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79:人間族の側室(フィオナ)

 早朝――フィオナはボウル帝国の後宮で渡り廊下を歩いていた。

 涼しい空気が肌に触れる。


 時折使用人が通り過ぎるくらいで、どこもしんと静まりかえっていた。

 硬い床を進んでいく、靴の音だけが響いている。

 落ち着いて外を出歩けるのは、人の少ないこの時間だけだ。


(誰かに会えば、厄介なことになるのがわかっているから)


 だがそのとき、フィオナは中庭で派手なドレスを身に纏った人物を発見した。

 警戒から、身を強ばらせる。


(誰かいるわ。こんな時間なのに……誰かのお客様? 後宮で寝泊まりしたのかしら?)


 柱の陰に隠れ、そっと様子を窺うと、派手な人物は大きな声で誰かに何かを訴え始めた。


(あんなに響く声を出したら、後宮の皆が起きてしまうわね……残念だけれど、今日は引き返すべきかもしれない)


 誰にも見つからないうちに、部屋に帰ろうときびすを返す。

 瞬間、耳を疑うような言葉が聞こえてきた。


「だからっ、お姉様! なんとかして! 人間族の生徒をアヴァレラ魔法学校から……いいえ、魔法島からも帝国からも追い出してよ! 追放よ! 追放するのよ!」


 思わず、フィオナは「えっ」と、足を止める。


「……人間族が魔法島の学校にいるの?」


 魔法学校は、その名の通り、魔法を学ぶための学校だ。

 そんな場所に、人間族の生徒がいるなんて、信じられない話だった。


(人間族なのに、どうして……?)


 そもそも、人間族は魔法が使えないから、魔法の溢れる魔法島に用事がない。

 別に入島は禁止されていないが、

 普通に居心地が悪い上に、魔法が使えない種族用の仕事もないのでわざわざ行かない。


(もしかして、その子は……魔法が使えるのかしら……)


 よく見ると、話をしているのはドワーフ族の――皇后の妹だった。

 彼女は頻繁に後宮を訪れては、大きな声で騒いで帰っていく。

 皇后とは仲良くなさそうだが、それでもこうして後宮へ来るのを止めない。

 不思議な人だ。


(たしか、ソネット様と言ったわね。見覚えのある人だわ。皇后様ご本人もいらっしゃる)


 フィオナは静かにそのドワーフ族たちの会話を聞いた。

 ソネットの声が大きいので、よく聞こえる。


「それでね! 校長は人間族を辞めさせないって言うのよ! 非常識だわ!!」

「特に問題を起こしていないのだから、退学は難しいのではないか? それに首席なのだろう?」


 うんざりした様子で皇后が答える。


「調べさせたら、その人間族……ミネットちゃんと同じクラスだったのよぉ!」

「…………」

「お姉様だって、ミネットちゃんに人間族が近づくのは反対じゃない! だったら、早めに辞めさせてやればいいのよ! 皇后が命令すれば、校長だって言うことを聞くはずよ!」

「……あのな、魔法島は帝国の管轄外だ。あそこは独自の自治を行っていて、帝国は内部にまで干渉できない。あの校長は、私の意見を一方的に受け入れるような人物でもない」

「きぃぃっ! 何よ! いつもいつも、私を馬鹿扱いして! お姉様なんて大っ嫌い!」


 子どものような癇癪を起こし、ソネットがその場から去ろうとする。


(あっ、こっちに来るわ)


 フィオナは慌てて回れ右し、鉢合わせをしないよう廊下を逃げ帰る。

 ソネットは苦手だ。あからさまに人間族を見下してくるから。

 人間族の側室であるフィオナに対しても、前に上から目線でけなしてきた。

 立場だけなら側室の方が上だけれど、フィオナは人間族だということが理由で全ての種族から見下されがちなのだ。


 悲しいけれど、帝国で人間族は対等に扱ってもらえない。

 魔法が使えないというだけで、下に見られる。

 そして祖国であるピア王国の、父王を含めた人間族たちの卑屈で身勝手な振るまい。

 他の種族はそれに眉を顰めている。


(わかってる……人間族は世界の嫌われ者)


 本当は、こんな針のむしろのような場所に来たくはなかった。

 しかし、フィオナが側室として嫁がなければ、ピア王国は帝国の庇護を失ってしまう。

 だから、辛くても国のために耐えるしかない。


 幸い、ここの後宮の規則は緩く、何代か前から、皇后や側室の身内なら男子でも出入りできる規則ができた。

 フィオナも弟の一人と一緒に暮らしている。

 ここでの生活に耐えられるのは、その弟がいてくれるおかげ。

 人間族の仲間もいない、皇帝の訪れもない、他の種族から敵意を向けられる辛い生活でも、孤独を感じずに済む。


(あの子は、私が守らなきゃ)


 フィオナも弟も、ここしか居場所がない。

 祖国にも帰れない。


(でも、外に可能性があるのなら。あの子を助ける手がかりがあるのなら……)


 こそこそ隠れながら部屋に戻ったフィオナは、ちょうど起きてきた弟に向かって声を掛けた。


「私、出かけるわね」

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