78:校長は穏便に行動したい(クリストファー)
リロとミネットは、慌ただしく校長室を出て行った。
クリストファーはミネットから受け取った手紙と解答用紙を眺める。
「ふぅん……」
予想通り、次の試験に向けて保護者の動きがあった。
足を引っ張る身内がいるのは大変だ。
出所は、大体予想が付いている。
(上手くいけば、これを使って元凶を追い落とせるかなあ。うん、それなら穏便な解決方法だ)
クリストファー自身は穏便な性格ではない。自覚している。
しかし、穏便に振る舞うことを心がけていた。
かつて、大切な人が、クリストファーの穏やかで落ち着いた振る舞いが好きだと言ってくれたからだ。
(リュネア――彼女に比べれば、僕は穏便なほうだったのかも)
だから、リロの傍にいる限りは……あらゆる厄介ごとに、なるべく紳士的な対応をしたい。
「それにしても、入学してからリロはまた成長したね。卒業までは目の届くところで見守ろうと思っていたけど」
のびのび過ごす彼女を見るのは微笑ましい。
ただ、思いのほか魔法を覚える速度が速い。
実家にいた頃とは違い、魔法学校で様々な知識や経験を積めば、中級魔法大全は二年生になるまでにマスターしてしまうだろう。
下手をすれば、もっと早いかもしれない。
(アヴァレラ魔法学校の卒業生である、リオパール家の両親は、敢えて初級以上の魔法をリロに覚えさせていなかった。小さな子どもは魔力が不安定なので、その対処法は正解だ。帝国や魔法島では、リロに限らず幼い子どもには同じように対処している)
だから、幼いリロは魔法を暴走させず、平和な幼年期を送れた。
だが、成長して魔力も安定し、魔法学校へ入った今、枷はなくなった。
彼女の、人間族の魔法の一つ。
自覚していないそれを無意識に使い、リロはこれから全てを吸収していくだろう。
(中級魔法大全をマスターしたら、次は上級魔法大全を渡すつもりだったけど)
案外、そのときは早く来そうだ。
アヴァレラ魔法学校の卒業生でも、上級魔法大全をマスターしているのは生徒の半分ほどだ。
世間では中級魔法大全をマスターしただけでも、優秀な魔法使いとして扱われる。
(だいたい、本の内容を完全に覚えている生徒なんて、そんなにいないだろうし)
主要な魔法だけを全部覚え、あまり使わないものは本を見ながら、必要に応じて使うというスタンスの魔法使いのほうが多かった。
中級でもそんな有様なので、上級ともなると……普通はマスターするのに苦労するはずなのだが。
リロの場合は、その例外になる。
(……卒業までもつかなあ?)
リロがリュネアと同じ実力を秘めているのなら、おそらくもたないだろう。
(成績上位での卒業をちらつかせれば、せめて三年間はここにいてくれると思っていたけれど……自主的に実習に行ってしまうロバートの例があるしなあ……真似しそう)
兄に懐いているリロが同じ行動をとらないとも限らない。
(学校内でなら、完璧に守ってあげられるのに)
魔法を使える人間に興味を持つ者は多い。
今はまだ、そこまで噂は広まっていないが、リロが頭角を現すにつれて彼女は有名になっていく。それを本人が望まなくても。
(……てか、リロは確実に世界で有数の大魔法使いになる)
彼女がリュネアの生まれ変わりなら、簡単に魔法を極めていくことだろう。
リオパール家にリロを任せたのは、彼らなら必ずリロを守ってくれるとわかったから。
カドの街が森に囲まれた国境沿いの街という理由もあるが、この年齢まで「魔法が使える人間族」の話は大事にならなかった。
本当はすぐにでも引き取りたかったが、魔法島の環境を整える必要もあったし、なによりリロがリオパール家の家族に懐いていた。
(だから……)
残念だが、幼いうちに家族から引き離すのは得策ではないと、クリストファーは判断した。
リュネアは家族と疎遠だったので、せめてリロには幸せな時間を過ごしてほしいという思いもあった。
リロにあれ以上の魔法知識を与えない選択も考えた。
魔法を使えることが公にならなければ、彼女自身が目をつけられることもない。
(でもなぁ~。あまり囲いすぎるのもなぁ)
その方法では彼女の成長を妨害してしまうことになる。
だが、リロなら魔法知識を与えなくても自分で覚え、どの道ここへ行き着く気もした。
もともと魔法の適性が高いし、彼女には人間族の固有魔法が備わっている。
その上、かつてのリュネアは、固有魔法のエキスパートだった。
(リロも同じかもしれない)
知識さえ得られれば吸収して再現して、改変して進化させてしまう。
恐ろしく冷静に、自分の目標に向かって進んでいく。迷ったりしない。
他人の感情や善悪どころか、自分の感情さえ考慮しない。
ただ、目的を果たすために動く。
(彼女がリュネアの記憶を思い出したなら)
あのとき、無の時代が訪れる直前に何が起こったのかを、必ず確認に来るはずだ。
魔法島へ――
(怒られるだろうな~……下手すれば、嫌われちゃうかも)
それでも、もう一度過去の時間に戻ったとしても、クリストファーは行動を変えないだろう。リュネアがそうだったように。
……とはいえ、リロの記憶は戻るのだろうかという心配もある。
捻れた現状を生じさせた張本人は、クリストファーだ。
(だけど、この現実は――意図したものではなかった)
今の未来はクリストファーにとっての最悪を脱しただけで、クリストファーの望み通りにはできあがっていない。
(当時の僕には余裕がなかった。彼女が変えたかった結果と、僕が望んだ結果と、僕が歪めてしまった現状はそれぞれ違う。リュネア自身も、あのままの姿を維持できずに生まれ直すことになったみたいだ。そして、僕にはそれすら予想できていなかった)
全ては変わり、人々の記憶は失われ、人間族の魔法もなくなった。
そこはリュネアの望みどおり。
だが、他の種族の記憶は失われても、魔法は失われなかった。
こうなることがわかっていたから、彼女は全ての種族から、記憶と魔法を取り上げようとしたのだろうか。
その膨大すぎる作業量や魔力と引き換えに自分を犠牲にして。
リュネアの考えは傲慢だと思う。
しかし、あの場面でリュネアがその他の選択をする余裕はなかった。
かつての彼女ならきっと、回避方法だって何通りも模索していただろうから。
(過去のことは、もうどうにもならない)
考えても仕方がない。問題はこれから先だ。
リロをどうする?
(あのとき、どうしてか、小さな少女がリュネアと重なった。本人だと確信した)
長い時を経て、それでも会えなくて、会える予兆は見えていたのに、なかなか本人が現れなくて……。
だからこそ、姿形が変わっていても、再び彼女に会えたのだと胸が震えた。
(リロがここで、ただ幸せに生きてくれるだけで嬉しい)
今度こそ幸せに長生きしてほしい。
(それでよかった……はずだったのに……)
なのに「かつてのクリストファー」を思い出してほしいと願う、欲張りな自分がいる。
(僕はどうしてしまった? どうしたい? どうすればいい?)
影の魔法島の管理者たる自分が、ただの少女一人に、すっかり振り回されている。
だが、これはきっと幸せな悩みなのだ。そう信じたい。





