第93話 美しい花
夕闇の中、ヴァラモの赤い塔が深く濃い影を落としている。
セフィールの邸である「ロゼッタ・ビアンカ」は、赤い光に呑まれることなくそこだけ白く浮き上がるように佇んでいた。
ルビエルは、二階のテラスからその様子をぼうっと見つめていた。
「おや、お嬢さん。今日もこちらに?」
「ええ……あら、薔薇のお世話?」
「はい。薔薇は、夕方の日が暮れる前の時間に世話をするのが一番いいんです」
「へえ…それは?まだ青い葉だけれど……」
祖母の代からこの白いバラを守る庭師が持っていたのは、たくさんの青々とした葉が付いた薔薇の枝。しかし、よくみると所々穴が開いている。
「ああ、薔薇は美しいけれど……ほら、これは一見美しい葉のようですが」
そう言って葉を裏返すと、幾つも穴が開いていた。
「まあ…」
「病気になりやすく、虫もつきやすいとても繊細な植物なんですよ」
「繊細……なら、綺麗な花がずっと絶えず咲いているのは、きちんと見てくれる人がいるからなのね」
「ほっほ……こまめに葉も剪定もしなければならないし、水も栄養も、太陽の光もたくさん必要になる。目いっぱい光を浴びてこそ、蕾も増えて美しい花をたくさん咲かせます」
「……光が、なかったら?」
すると、庭師は少し考えてから答えた。
「ふむ…繊細と言えど実はとても強い植物です。よくない光を浴びても花は咲きますが、長くは持ちません。歪だったり、枯れてしまったり……最終的には、病気になって枯れてしまうでしょう」
「………そう、なの」
「ああ、でも。弱った根でも、接ぎ木をすれば強くなって更に美しい花を咲かせることもできますよ」
「接ぎ木…木と木をくっつける、ということ?」
「はい!…薔薇は弱いけど、したたかでたくましい。それが、美しさの秘訣、かもしれません」
「したたかで、たくましく…だからこそ、美しい」
(まるで魔法の言葉ね……)
ふと、では自分はどうだろう、とルビエルは少し考えてしまった。
「あ、お嬢様、旦那様がお帰りになったようです」
「お兄様!」
「ルビィ」
テラスから顔をのぞかせた時、セフィールの後ろにもう一人の人物を見つけた。
「!…シャル?今、そちらに行きますね」
思わず身を乗り出し、エントランスへと急いだ。
「こんばんは、ルビエル様」
「まあ!嬉しいわ。どうなさったの……あ」
嬉しい反面、彼女がなぜここに来たのか。ルビエルは瞬時に察した。
「………もしかして」
その様子に、シャルは曖昧な笑みを浮かべた。
「ごめんなさい……どうしても、今話をしたくて」
(お優しいのね……でも)
「ええ。ここまでいらしてくれたんですもの……今、お茶を用意いたしますわ」
(あなたに…何が変えられるというの?)
心の奥に、小さなとげが疼いた。
「ルビィ」
「!…お兄様」
「お前がなぜここにいるのか、わかっている。でも――」
「逃げているわけじゃありません。……ただ、あちらは騒がしいから」
くるりと向けた背に、声が追いすがった。
「あの!ルビエル様!」
「!」
「これ、みて?」
「え…?」
シャルはそう言うと、スカートのすそを持ち上げた。…そこには、丁寧な繕い跡が見える。
「それは…?」
「えへへ、実は、セフィール様にほつれたところを直してもらったんです」
「え?」
思わず兄の顔を見ると、セフィールは苦笑した。
「…お前も、昔、よく木に登っては裾を破っていただろう」
「な?!」
かあっと顔が熱くなる。
「おかげでソーイングセットを手放せなくなってしまった。…まあ、シャルは君以上に活動的な女性だけどね」
「か、活動的……と、いうか。止むを得ずというか……」
もごもごと口ごもるシャルに、セフィールがからかうように笑った。
「一体何をしたんだい?…そう言えば、事故に巻き込まれた、とか」
「ちょっと……天敵に一泡吹かせようと思って。まあ、3階から木を伝ってこう…下に」
「て、天敵??三階から?!……まあ、信じられない!」
「すごいな……さすがにルビィはそこまで活発じゃなかったが……」
「か、活発…ふふ」
思わず、笑みがこぼれた。
その瞬間、尖っていた神経が少しずつ緩やかにほどけていくのを感じた。
「とても、お優しいんです!セフィール様って。…私には兄がいないから、ルビエル様が少し羨ましいな」
「それなら、いつでも呼んでくれれば」
「あー……考えときます」
「それはぜひ」
そんな微笑ましい二人のやり取りに、ついルビエルは声を出して笑ってしまった。
「フフ……お兄様ったら!」
「…ルビエル」
「お優しいのは、シャル、あなたもです。私を気遣ってここに来てくれたんでしょう?」
「……はい、ごめんなさい。今朝の新聞も、昨日のことも…私は直に聞いてしまったから」
「………私なら、大丈夫です。これが私の」
役割だから。
アズレアの薔薇だから。……いつも言葉に出しているはずなのに、なぜか喉の奥で止まってしまう。
ふと、昔母から言われた言葉が脳裏によみがえる。
(あなたは自分の花を咲かせなさい……か)
「………ねえ。シャル、あなたを花にたとえるなら、何になるかしら」
「私…?」
「昔、母に言われたことがあるんです。自分の花を咲かせなさい、と。……昔、アリストクラッツ・フェアーが開かれた時、あなたはカメリアの花のドレスを着ていましたね」
「あ…はい。カメリアは私の好きな花ですから、それにあの色は私の決意…みたいなものでしたし」
「……あの時、私はとても衝撃を受けたんです」
「え?」
自分の口から出た言葉に、自信が一番驚いた。
(私……こんなふうに思っていたの?誰かを羨むなんて…したことがなかったのに)
「だって、私には…なかったから」
「なかった……?」
鮮やかな赤を着ていれば、あでやかなドレスでいれば。
誰もが「薔薇の花のように美しい」とたたえてくれていた。それで、満足だったのに。
「今でも忘れられません。血のような赤に、鮮やかなカメリアの花―――私にはない【色】で、誰にもまねできない【強さ】がそこにあったから」
「ルビエル……」
「どうすれば私は、あなたみたいな【花】になれるのかしら……」
先ほど、兄より宣告を受けたばかりだった。
「不満か?」
「……オルフェイ様、私は」
「花が何を言う。……美しく、完璧で、最適だろう?ルビエル、お前にちょうどいい」
(完璧で、最適で……ちょうどいい、飾りの花)
花であれ、と冠の花であれと……その花はただの飾りで、中身もない虚飾の花。
そうであるべきと思い続けていたのに。
「……私は、どうすれば、いいの……っ?」
今はそれが、とても…辛い。
「ルビエル!ねえ、あなたはどんな花が好き?」
「……え?」
「花はどれも美しいでしょう?私がカメリアを好きな理由は…とても潔いから」
「いさぎ…よい?」
「勿論、私のお母さまの故郷の花だから、と言うのもあるけれど。散るときは美しく、咲くときは派手に大きく……それが好き。まるで、自分が美しいぞ、って誇りを持って咲いてるみたいじゃない?」
「……とても、あなたらしいわ」
「あの、だから!…ルビエルも負けないで!!」
「え?」
「…あ」
一度、シャルは何かを言いかけて、口を閉ざした。
「もし、自分で未来を選べるなら……何を選択、する?」
「私自身が……選ぶ?」
「うん」
「私は……飾りの、虚飾の花になりたくない……!誰かではなくて、自分の花を見つけたい」
「……わかった!」
「シャル……」
「それが聞けて良かった」
そして、すっと立ち上がる。
「ルビエル!……選ぶのは、自分自身、でしょ?」
「!!」
ぱっと、目の前が開いたような、頭の中がクリアになるような、そんな感覚。
「私が……」
(答えは、本当は……知っていた、でも、認めたくなかった。でも)
「選んで……いいの?」
その言葉に、セフィールは力強く頷いた。
「ルビィ…お前がそれを選ぶなら、応援する。力になるよ」
「お兄様……」
すると、まるで終わりを告げるような、大時計の鐘の音が響き渡る。
「あ……!やば、時間っ」
「!そうだわ、シャル……制服のまま」
時計の針は21時を指している。
門限まで残り僅か。
「いいよ、俺が送る」
「いや、もう…諦めます。間に合わないですし」
「馬車は無理だろうけど…騎馬なら?いい馬がいる」
「え?」
「行こうか」
「あ…気を付けて!お兄様。シャルも……ありがとう!私、もう少し考えてみます!」
「うん!また、手紙書くね!」
そして、笑顔で手を振るシャルに、手を振り返した。
(私が……決める。そうだわ、まだ何もしていない)
「もう少し……抗ってみます…!」
**
少し霧がかかったように霞んだ空に、下弦の月が煌めいている。
(美しい月の下……駆ける白馬、かあ。絵的には美しいけど、は、早い……!)
「あのっセフィール様」
「……今日はありがとう」
「あ、…いいえ、何も」
実は騎馬がかなりのスピードなので、振り落とされぬよう鬣にしっかりとしがみ付いている状態なので、セフィールの表情はうかがい知れない。
「……あの子を、完璧な薔薇だと…追い込んだのは、俺自身なんだ」
「追い込んだ、なんて」
「母は、ヴァラモのやり方に懐疑的でね。あの子もそうだったのに……俺は、そうじゃなかった」
「……」
「だから、知らないうちに…「薔薇としてあれ」と、そのやり方を押し付けた。それが、あの子の為と思っていたから」
(このご兄妹は……互いをずっと思いやっているだけなのに)
「でも、今は…そうじゃないですよね」
「……ああ。レディ・ルドヴィガ。君は、何か策があるんだろう?それは、勝算があるものか?」
「勝算……そうですね、ある程度の結果は残せると思います」
「ある程度…では、困る。協力するからには、遂行してもらわないと」
遂行、と心の中で呟き、笑う。
「私、こう見えて……結構強いんです」
「どのくらい?」
「剣術大会で、準優勝以上を狙えるくらいには」
それは、確信に似た言葉だった。
読んでいただき&評価やブックマーク、ありがとうございます!薔薇って、ホント、育てるの大変なんです。たくさん咲くのに、とっても繊細ちゃん。世話していると、とげで引っ搔いてくる…「もっと丁寧に扱ってくださる?!ほら虫!病気になっちゃうわよ?!殺菌剤まいてよッ」的な




