第89話 花の宿命
仄暗い闇の中、青と黄色が混じった蝋燭の火がゆらゆらと揺らめく。風に吹かれては、小さく縮こまるくせに、一向に消えない。ルビエルはその力強くも儚い蝋燭をぼんやりと眺めていた。
白いテーブルには、空になった三つのティーカップが並んでいる。クリスタルガラスの天井から注ぐ細い月の光は、自分の影だけを映していた。
「不思議ね……まるで甘いお菓子のよう」
どこか…夢のような、跡形もなく消えてしまった時間でも、確かにあった。
その証明のように、水色のノートに書かれた言葉が、寂しくなった胸に灯りをもたらす。
―――冠を飾る薔薇の花…それがお前の仕事
オルフェイの言葉が、いまでも耳に残っている。
(決まっていたことじゃない。…わかっていたこと)
「美しい花であれ」と……周りの人間は、ルビエルが幼い頃からずっと耳元でささやいていた。
子供心にそれが自分の役割なのだ、と理解しようとしても―――母は、その言葉をルビエルに言ったことはない。
「あなたはあなたの花でいなさい。」
「わたくしのため?」
「そうよ……誰かの為じゃない。自分の花よ」
「わたくし自身の……花」
ヴァラモと言う家は、家門の如く葡萄の蔓のようにアズレアを血で支配していた。
生れた女性は、皆他家に恵みをもたらすために。
生れた男性は、ヴァラモと言う家を発展させるために。
【価値】さえ合えば、他家の花を入れることもいとわない。王冠を飾る花も、旧き血を連ねる盾に絡まる花の蔓でも、実りさえもたらせれば、その地で新たな【血】の支配がはじまる。
そうやって、発展してきた。
(お母さまは……ああ仰っていたけど、ヴァラモの花に生まれた以上、それ以外になれない……)
例えば、旅の騎士と令嬢が結ばれる恋の物語だったり、王子様と令嬢が結ばれる恋の物語は、年頃の少女ならば誰だって、一度は夢に描く。
(私にもたらされた未来はそれだというのに、何が不満なのだろう?)
イリシユ=セルリア。
初めて会ったときは、美しい容姿の男性、という印象。
ずっと引きこもり、狂人と呼ばれていたのに突然、正気を取り戻した曰くの王子。その後から聞く噂は派手なものばかりで、良い噂は聞かない。
それとなく周囲の期待はそこに向いていたが、【従弟】という関係性である以上、親族同士の婚姻自体あまりアズレアでは勧められたものではない。だから、心の何処かで安堵していた。
そうはならない、と。
でも…それが決定してしまった。
(あの方を一目見た時、何か心の底がかき混ぜられるような、そんな感じがした)
一時はそれを【恋】というものなのかと考えたりもした。
けれども彼の噂を聞く度、それはすり減っていく…それなのに、再び会うと、また心がかき混ぜられる。
【恋】と呼ぶにはあまりにも危険で、認めてはいけないと、何かが警告する。
(デビュタントであった時も、心を見透かされ、理解をしてくれた……この人に寄り添いたい、そこに縋りつくたくなるような、そんな衝動もあった。でも)
彼女が声をかけてきた瞬間、何かが変わって気が付いた。
―――違う、と。
「男性パートまで踊れるなんて……ふふ。そう言えば…あの方と踊っている時より、ずっと楽しかった」
どこかぎこちないリードでも、しっかりと支えてくれた。
女性と踊るなんてありえないと思っていたのに、彼女だと、なぜか自然と受け入れてしまう。それはきっと、リッハシャルの中に、絶対にずれない信念のような物があるから…安心してしまうのかもしれない。
あんな風になりたい。誰にも流されず、自分の足で立てるような、そんな人に。
でも、それは間違いだと心のどこかに叫ぶ自分がいる。
『ヴァラモの花として、美しく、家のために、白い歪な花から完璧な花に』
(……イヤ)
そう思っているのに、言葉が出ない。
目の奥にこみ上げる。けれど、それを流してしまったら、今日の楽しかった思い出も一緒に流れてしまいそうで。
ルビエルはぎゅっと瞳を閉じた。
「……」
扉の取っ手を取ろうとして、セフィールは手を下ろした。
傍に控えていた執事が気づかわし気に声をかける。
「あの…セフィール様。お会いにならなくてもよろしいのでしょうか?」
「いや……もう、今日は遅い」
「ですが…ルビエルお嬢様はずっと待っていらっしゃいました」
「………明日、また」
(何を話せるというのだろう。……ルビィの婚姻はもう決まったことだと、そう告げるのか?それとも)
「……ヴァラモの赤い薔薇、か」
「………セフィール様」
「どんなに、多くの花の名で称えても、そんなの、ただの都合のいい蔑称だ…っ!」
(…何とかしないと、あの子は、ルビィは……)
そして、セフィールもまた瞳を閉じた。
同じ頃―――
セフィールが去ったヴァラモの本邸では。
公爵位のある者だけが座ることができる、一番高い赤い塔の執務室。ヴァラモ公爵家の広い敷地を一望できる場所にあった。
酒を煽りながらその光景をうっとりと眺めた後、フィリックス=ヴァラモは大きく長いため息をついた。
「あ―――くっそ!!!」
ガン!!と、赤いラベルのワインの瓶は派手な音を立てて真っ二つに割れた。
その様子を呆れたように見ながら、ひとりの従者は、公爵に怯えるそのほかの傍仕えに目で下がるように伝えた。
「荒れてますねェ……公爵閣下」
「ヒック、……っ我が愚息共は、父を敬う心が足らん!!!なんとも不遜な態度…なんとも無礼な態度!!!…許せん!」
落ちた破片を集めつつ、従者もそれに同意した。
「ええ、ええ。…偉大なるヴァラモの父、フィリック様。例の傀儡候補と赤薔薇さんとの縁談が決まりそうだとか。その英断を下されたフィリックス様なら、未来のアズレア王家も血脈さえ塗り替えてしまうことでしょう!そうしてこそ、我が家門は実質上のこの王家の支配者となる!!素晴らしいことですよ!」
従者の言葉に、歪んでいた表情はみるみる穏やかなものに変わっていく。
「ふふん……血が濃ければより一層、美しい実りが生れるやもしれん。善きことだ」
「はは、ごもっともです。……さて、公爵閣下。例の剣術大会ですが、自分、一つ面白い余興を思いつきました」
すっかり上機嫌になったフィリックスは、ピクリと片眉をあげる。
「ほう。……お前が思いつく余興は、私にも大いなる刺激を与える。言ってみろ」
「ちょっとね…ある面白い物を入手したんです」
「面白い物?」
従者はそう言うと、一冊の分厚い本を見せた。
「それは?」
「これはね……エストランテ学院の生徒名簿。それぞれに個人能力評価とレートが記載された、優良株たちのプロフィール集です」
「……そんなものをどこで」
「まあ、とあるツテがありまして―――で、ですね。見てほしいのはこちらの、脱落株たちのほうです」
パラパラとページをめくり、後ろの方にある質の悪い紙に書かれた名簿を見せた。
「……全部子爵以下の、貴族とは名ばかりの連中だな、存在する価値もない」
「いやいや、違いますよ、閣下。自分が提案するのは、彼らこそが主役…この脱落株たちこそが、一瞬の煌めきと名誉のために自分自身の未来を売り渡す、最高の顧客たちでございます」
従者はにやりと笑うと、一人の少年を指さした。
「例えばこの少年。彼は身分こそ男爵であるものの、ヴァラモの実りの恩恵を受けながら、父である現男爵が女に溺れ、借金まみれで没落寸前という不憫な背景がございます…それを颯爽と助けるのがこの、コイン・ゲームです」
「コインゲーム?」
「初手はワンコイン。それを担保に、我々が提示するゲームに参加してもらいます。」
従者は一度振り返り、大げさに両手をあげる。
「ゲームは多種多様!初めは簡単な物…そうですね、金コインの裏か表か選んでもらいましょう。あたりが出たら、その倍を、更に当たれば倍の倍を!そして……剣術大会で誰が優勝するか?誰が負けるのか?それを少年たちに選んでもらうのです!」
「ふむ。…少年たちに?それは」
そして、首を傾げ、口元に指をあてる。
「射幸心をあおらせるのですよ、子供たちの」
「……ほう。つまり」
「ベッドは常に全額!当たればゴートゥヘヴン!…負ければ、ジ・エンド。我々は、それを博戯として楽しむ。誰が没落し、誰がのし上がってくるのか!」
たっぷりと間を開け、続ける。
「スリルもあり、それを超えれば報酬が待っている!彼らも勝ちさえすれば、輝ける未来が待っている!!……その少年たちの葛藤を我々は投資という名目で見守るのです」
「くくく、負けたらどうする?」
その問いに、従者は首をくすめてお手上げのポーズでおどけて見せた。
「運が悪かったんでしょう……彼らの運命は、そこになかった。それだけの話です」
「はははは!!…なかなか面白い。人生をフルベッドしているとも知らず、夢を見させるのも悪くない!いいだろう。早く私に見せろ!」
「かしこまりました。…では、末端の没落寸前の各小公子たちに種をまきましょう」
(そう、こうでなくては)
沸き起こる快楽をごまかしつつ、口元には笑みを絶やさない。
(賭けだよ賭け…!運命賭博以上に面白物はこの世にない!!!)
「さあ、ラウ・サージェントよ……この私に、上等なワインよりも美味な刺激を持ってこい!命令だ」
「は!……どうぞ、ご期待ください」
そして…ラウは分厚い本を手に取り、あるページを開く。
「やあ、お嬢様。予言通り美しくなったじゃないか…あんたはまだ、運命賭博をしてる最中なのかい?」
そう呟いて、リッハシャル=ルドヴィガの名前をそっと撫でた。
読んでいただき、ありがとうございます。ヒロイン、降臨




