第88話 ルビエルとセフィール
(ルビエルの言葉が、一度も聞けなかった…か)
ふと、横を見ると、ルビエルはどこか寂しげな表情をしていた。
「楽しかったかい?ルビィ」
「はい!なんだか、とても新鮮でした……リッハシャルさまは、ご自分の芯を持っていらっしゃる方。お兄様が惹かれるのも、わかる気がしますわ」
「なかなか、相手には伝わっていないようだけど」
「あら、だってお兄様は本気を出してらっしゃらないでしょう」
「まだ、彼女は学生の身ではあるし……」
言いながら、はっとなる。
「ルビィだって、そうだろう?」
「……あまり、理由にはなりませんわ」
ゆらゆらと揺れる蝋燭の火を見つめながら、どこかぼんやりと続けた。
「お兄様は、どうかご自身の手でほしい物を手に入れてくださいませ。私は……傍で見ていることもできませんけど」
「……ルビエル。お前が欲しいものは?」
しばしの沈黙の後、ふ、と笑った。
「困りましたわ……何も、浮かびません」
「本当に?」
「お兄様?」
「それなら、どうしてそんなに寂しそうな表情を?……彼女との茶会を、終わらせたくなかったんだろう?」
「それは……」
「それなら、こういえばいい。もっと、リッハシャルと話をしてみたかった…楽しい時間を過ごしたかった、と」
「!」
つい先ほどまで、ぼうっとしていた表情がはっとなる。
「でも、それは希望であって、欲しいものでは」
「なぜ?彼女との時間がもっと欲しかった…そう言うことだろう?」
「……まあ。お兄様らしくもない、屁理屈ですわ」
「そうかな。…彼女も、同じことを言ったんじゃないか?」
「……でも」
ふと、過去に想いを馳せる。
今まで、ルビエル自身が何かを「したい」と主張することはあっただろうか、と。
そんなこと…できるはずもない。理由は、いたって簡単だ。
「それが、ヴァラモ公爵家の人間の一人としての義務だから」
(そんなの、理由にならない)
この時初めて、自分がいる世界に違和感を感じてしまった。
「すまないが、こちらをお願いしてもいいかな?ルビィ」
「ええ、勿論ですけれど…お兄様?」
「出かけてくる。……馬を」
「お兄様!?」
――生まれてから、この時に至るまで、当たり前の世界だった。
「おじい様。我が家門は、なぜ青い葡萄の蔓を使っているのですか?」
「この国に実りを多く、恵みをもたらすため。……地面に這う蔓のようにこの国を支える。それが我らの使命でもある」
ヴァラモの家門は、赤い盾に葡萄の蔓と小さな白い花、青い葡萄が盾を囲うように描かれている。
はじめて聞いた時は何も思わなかった。むしろ、誇らしいとさえ思っていた。
…しかし、【青】を長い蔓で【赤】が囲われた本当の意味に気が付いたのは、しばらく後のこと。それは暗黙の中にあり、誰も口にすることはなかった。
そんなころ、一族の一人の女性がとある家門に嫁ぐことが決まった。
「まあ!ついにあの家との縁談が?」
「それは喜ばしいことだ!」
その女性はヴァラモらしい赤い髪が特徴な、気が強い女性だった。
名は、ロザベーリ。
「ええ、お父様。私が妻となった暁には、あの家門に新しい恵みをもらたしますわ」
「はは!よくぞ言った!それでこそ、ヴァラモの花!」
祖父の信頼を得ている家臣たちがそろって喜び、その家門にとってなんと名誉あることなのだろう、と皆口をそろえる。
その様子を見て、それはとても素晴らしいことなのだろうと思った。だがただ一人、母だけは複雑な表情をしていた。
「母上?なぜそんな表情を?」
「……ロザベーリ様は、花であることをとても誇らしいことと思っているのね」
「?」
「セフィール。あなたは…ルビエルの味方でいつもいてね」
「勿論です!…あの、ルビエルもでしょう?きっと誰よりも美しいヴァラモの花に……」
「その言葉を、二度と私の前で口にしないで!」
「…は、はい」
よく耳にしていた「ヴァラモの花」という言葉の本当の意味を、無邪気な子供はまだ知らない。
その言葉が母をひどく傷つけたと知ったのは、ルビエルがもう少し大人になった時だった。
「ルビエル。どうしたんだ?…元気がないね」
「あ、お兄さ……えっと、セフィール様」
「……!」
昨日まで「お兄様」笑顔で自分を慕っていた妹が、突然「セフィール様」と敬称で呼んだ。
その時、心がひどく痛んだ。
(怒らせたのかな?)
急に目の前に大きな河ができて、自分と妹を断ち切れたような、そんな印象。
「どうして、そんな風に呼ぶんだい?…とても悲しくなる」
すると、ルビエルは驚いた表情を見せた。
「だって…その、オルフェイ……様が、兄を名で呼ぶな、と。お前は白い花だから…と」
「白い花?」
「はい、ヴァラモの花はこれを持つことで女性として認められるのだと聞きました」
そう言って、見せられたのは…歪はアシメトリの白い花のハンカチーフだった。
「…?この花、歪んでいる。ルビエルは、もっとも美しくて華麗な薔薇だろう?」
「華麗な、薔薇?」
「ああ!俺の可愛い妹だよ」
「薔薇…ええと、お兄様は何色が好きですの?」
「俺は勿論、ヴァラモの深紅が好きだ。誰にも染められない、高潔な色だ!」
「鮮やかな赤色……素敵。私、なれるかしら?お兄様の薔薇に」
それから、大人になって…ルビエルは誰よりも美しい「高潔な薔薇」となった。
淑女の見本、深紅の薔薇……ルビエル=ヴァラモを称える言葉は星の数ほどある。それは、自分にとっても誇らしくもあった。そして、今度は王家を支える花となる―――
(それが、どうしてこんなに違和感を感じてしまうんだろう)
「あ…セフィール様。本邸へ行かれるのですか?…その、お時間が大分深く」
「至急の用事だ。…兄上に会いたい。失礼する」
「あ、は…はい。しかし……」
2人の門番は互いに目配せしあう。
(そう言うことか)
「……俺の個人的な用事だ。職務はわかるが……君たちに責はない」
「わ、わかりました……」
ヴァラモの本邸は敷地が広い。
それぞれ区画に分かれており、祖父が構える赤い塔の城館に、ヴァラモの後継と現公爵それぞれの邸がある。
(……父に行くか、それとも)
実のところ、ヴァラモ公爵家内はひどく複雑な勢力図に分かれている。
主となる祖父の実権勢力と、最近急速に力を持ち始めている後継・オルフェイの勢力が拮抗している。そして…父である公爵自身は。
「珍しいな。……お前がここにいるのは、気に喰わん」
「!」
タイミングがいいのか、悪いのか。
遭遇したのは足元がおぼつかない、父・現ヴァラモ公爵フィリックス=ヴァラモだった。
(酒でも飲んでいるのか?相変わらずだな…俺を不快に思うのも、変わらない)
落ち窪んだ目は、ぎろりとこちらを睨みつけ、吊り上がった目じりに深いしわが浮かぶ。顔色があまり良くないのは、月光のせいだろうか。
父上と、声を出そうとするとヒュンと平手が飛んできた。
歯を食いしばり、甘んじて受ける。
「お前に父と呼ばれるのはとても不愉快だ」
「……失礼いたしました」
「口答えを…」
(二発も受ける理由はない)
飛んできた手首を取り、軽くひねると小さなうめき声を漏らした。
「俺の顔を見たくないなら、あなたがこの場を立ち去ればいい。誰か!」
「フィリックス様!!」
声をあげると、事態に気づいた家臣が飛んできた。
「ひどく泥酔しているようだ。……早々に邸でお休みいただくように」
「か、かしこまりました…」
家臣たちに半ば引きずられていく姿。それは、能力のありすぎると父と息子の挟間で押し潰された一人の憐れな末路。
気配を感じ、振り返る…兄がいた。
「そろそろ勇退も考える年齢ということに、早く気づけばいいものを」
「……意地の悪い方ですね、みていらしたんですか。兄上」
「ああ」
す、と手を伸ばすと頬に触れる。
「美しい顔が台無しだ。後で薬をやろうか」
「お気持ちだけいただきます」
一歩退き、軽く頭を下げると、オルフェイはにやりと笑った。
「その容貌はヴァラモの誇れる傑作。温室でしか生きられぬ名ばかりの盾に、簡単に手を出させるな」
「咄嗟のことでしたので…」
ぐ、とグローブで口元をぬぐうと、じわりと赤い血がにじみ出た。
「俺の端麗な顔をそこまで気にかけて下さるとは。…美貌とは、多少の傷も価値の一つでしょう」
二っと笑って返すと、オルフェイは満足そうに笑みを浮かべる。
「は それで?なぜここにいる」
「……ルビエルのことです」
「ああ、あの「花」か……あれこそ、お前の傑作だろう」
(傑作……)
金色の混じった赤が、ゆらりと燃える。
「不満そうだ」
「……イリシユは叔母上の実子…つまりは、縁戚関係にあります」
「それが?」
「ヴァラモの白い花は、他家に染めてこそ美しく、輝くのものでは?」
「……まあ、赤は青を支配する。紫もまた、美しい」
「赤の混じった…青」
紫色は、赤に染まった青―――それは即ち王家の落日を想起させる。
それを、いとも簡単に口に出す兄に少しだけ恐怖を感じた。
「それにしても…今日会ったあの黒い花。あれも、お前の作品か?」
「作品ではありません…リッハシャル=ルドヴィガは、彼女であるから、美しい」
「ほお。末妹を王国一の薔薇に仕上げたお前が言う【美】…益々興味がわいてくる」
「!…ルビエルは」
そう言葉に出そうとして、飲み込んでしまった。
(努力は…間違いない、でも)
―――私、なれるかしら。お兄様の薔薇に
「へえ、面白いな。……今日のお前は、随分と違った表情を見せる」
「…違う、表情?」
「いつもは人形のようにいるくせに。あの白い花と黒い花のことになると、人間らしくなるのはなぜだ?」
「彼女たちは…花ではない」
つい、漏れた本音を、オルフェイは聞き逃さず…声を出し笑った、
「はは!今更?水をやり、栄養を与え…ヴァラモの花として、王国の薔薇に仕上げたのは誰だ?」
「!それ、は」
「手折れるその日まで、誇り高く咲く。――完璧だ」
そう、誰よりもルビエルを「花」と愛でていたのは。
紛れもない、自分。
「事実は覆らない」
その事実が、心に深くのしかかった。
「それが、宿命さ」
読んでいただき、ありがとうございます!
ブックマークも嬉しいです、精進します。




