第87話 金色×深紅×紺碧
その声は、冷たいのに良く響いた。
金色の瞳は観察するようにこちらをとらえ、長い指を顎に当て作り物のような笑顔を見せる。
「初めまして、レディ・ルドヴィガ」
「あなたは……」
「ふうん……君が、例の」
長い脚が一歩踏み出し、私の前を壁のようにふさいだ。セフィールよりも背が高い。大きな体躯はそれだけで迫力がある。でも。
――目が笑っていないし、人をまるで見下すようなその表情ははっきり言って失礼だ。ちらりとみると、ルビエルはひどく怯えた表情をしている。
なら、私が引くことはない。
「私の名前はリッハシャル=ルドヴィガ……お名前も伺えぬままでは、ご挨拶のしようがありませんわ。」
すると彼は、ははっと乾いた笑みを浮かべた。
「ふむ、面白い」
「兄上」
(兄…と、言うことは。この人が、次期後継の?)
しばし、何かを確認するように動いていた視線は私に止まる。
そして、ぐっと距離を近づけてきた。
「!」
「オルフェイ=ヴァラモ―――我がヴァラモにようこそ。リッハシャル、君を歓迎するよ」
「歓迎…痛み入りますわ。小公爵様」
こういう奴は、怯んだら何かがくじけてしまう。だから、私は引かない…ただただ礼儀正しく、慎ましい令嬢として、笑顔で。
「彼女は俺の客人です」
「ふ…いいだろう」
ぴしゃりとセフィールが言うと、オルフェイは一歩引いた。
「君に免じて、今日は帰る。……ルビエル」
「は、はい……お兄 っお、オルフェイ様」
「決まったよ」
「!」
「王宮に行け」
「……」
「冠を飾る薔薇の花…それがお前の仕事」
(それって、つまり……)
まるで嵐のようにオルフェイは去っていった。
彼が去った後は、あんなに美しく見えた白薔薇も、怯えたように光を失う。
一度息を整えると、沈んだ表情のセフィールが見えた。
「すまない。……兄は、少し変わっていて」
「私は平気です。でも……その」
「申し分ありません。……驚かせてしまったようで」
(ここで、大丈夫ですか…なんて聞いていいものかしら)
詳細を知るわけでもないのに、予想で何かを言うのは変だ。それに、本当に落ち込んでるとか、何か不調がある人間に、その言葉は使いたくない。それは時に言葉の刃になる。
…全て、経験談だけど。なら、私はそのまま椅子に座り、先ほどと同じようにお茶を飲む。
「……ねえ、ルビエル様」
「…あの、私はもう」
「このお茶、なんというお茶なんでしょう?」
「え…?」
「!…リッハシャル。冷めてしまったね、淹れなおそうか」
「はい、お願いします。っ…あら、セフィール様ご自身で入れて下さるんですか?!」
「ああ…スコーンも、温めなおそう」
慣れた手つきで茶葉をポットに入れる。
しなやかな指が躍るようで、まるで一種のパフォーマンスのようだ。
(おお…!すごく有能な執事みたいな手つき)
「…ルビエル、せっかくだから、お茶の名前をもう一度説明してくれるかい?」
「あ…ローズ・ヒップティー……なくなった祖母の、特別なレシピなんです」
「まあ!どうりでバラの花びらが赤だけではないんですね」
「これは、祖母が疲れた時によく飲んでいたらしい。香りにリラックス効果があるとか……さあ、もう一度、仕切り直しだ」
「……お兄様。はい」
セフィールがそう言うと、ルビエルの表情も和らぐ。そして、滞っていた時間が動き出した。
(こういうところは、さすが)
「…そうだ、あなたからいただいた蜜蝋に火を灯すのもいいね」
「!はい。ぜひ」
やがて、日が傾きかけた頃…メイドさんたちが、持ってきた銀の燭台にそっと火を灯す。
炎は揺らぎ、青から赤へ不思議なグラデーションを彩った。
「へえ…赤いのに、青い炎?」
「ええ。私のルドヴィガの紋章であるブルースターの花ビラを練り込んでいるんです」
「……まあ!今までこんな匂いを感じたことがないわ…不思議な、甘い香り」
夕焼けのせいか、目元が少し赤く見える。
でも、表情は徐々に穏やかなものになっていくので、安堵した。
「……日も暮れてきた。残念だが、そろそろ時間だね」
「あ、本当」
「何なら泊っていっても」
「あら、まだ私は学生の身です。外泊は当然禁止項目ですわ」
すると、一瞬セフィールの顔が崩れた。
「そう言えばそうだった…つい、忘れてしまうね」
「あの…ルビエル様」
「はい」
「その、私が差し上げたノート、最初の一ページ…私と一緒に書きませんか?」
「え?」
「今日…とても楽しかったので、記念に」
うう…こういうのちょっと恥ずかしい、けど――それはどうやらあちらも同じようで、少しだけ頬が赤い。そして、やがて小さく頷いた。
「え、ええと、その。私で、良ければ」
(うわああ…すごい破壊力っ!可愛い人のこういう顔って癖になりそう)
「あ、でも…何をかけば」
「せっかくですもの。楽しかったことを書きましょう?」
「楽しかった…こと?」
「スコーンが美味しかったとか、セフィール様の淹れて下さったローズヒップティーが格別美味しかったとか!」
「…そこまで喜んでくれるなんて、準備した甲斐があった」
「あ…」
しまった、食べ物のことばかりになってしまう。
あ、しかも二人に笑われた…ちょっと恥ずかしい。すると、流麗な字でさらさらと「HAPPY]の文字が書かれた。
「私は…リッハシャル様とこうしてお話しできて、とても楽しかったですわ」
「なら、私も」
「随分楽しそうなことをしている。…俺も書かせてもらっても?」
「勿論ですわ、お兄様」
結局なんだかんだで、一ページはまるまる三人の文字で埋まってしまった。
でも、それも含めて、楽しかったな。…帰るのが、名残惜しいくらい。
「リッハシャル様。今、お約束の香水をお持ちします。そこでお待ちなさっていて」
「わかりました」
「……シャル」
「!」
突然、セフィールが私に頭を下げた。
「え?え…あの」
「ありがとう…妹を、気遣ってくれて」
「……ええと、もしかして。王宮って……」
今、現状二人の王子に婚約者のような存在はいない。
そうなると……ルビエルの相手として、考えられるのは。
「……私は、あのイリシユ王子殿下はあまり好きではありません」
「………うん」
「ヴァラモ公爵家のそう言う考えは…伝統のような物でもあるのでしょう。でも、私は…あの歪んだいびつな白い花の紋章だけは、今思い出しても不快になる」
「………」
「なんて…セフィール様を責めても無意味なのはわかっています。でも……花は花でも、美しいと言われ続けると、本来の美しさを見失ってしまうもの…だと思います」
「!」
ふ、と顔をあげたセフィールは…何かに気づいたような不思議な表情だ。
「本来の美しさ……?」
「だって、魂のこもっていない誉め言葉は、心を傷つけていく…そんな気がしてしまうんです。同じように、自分を律するための【美しい】という言葉も……」
私は美しい…美しくなければならない。そう言い続けたあの女性は、全てを諦めていた。
「そうなると、その言葉はもう…ただの呪いです」
「…シャル」
「ルビエル様と話していて…少しだけ、哀しくなりました。だって、彼女の言葉に彼女自身のための言葉がなかったから」
「ルビイの言葉……」
「…リッハシャル様」
はっとなる。…ルビエルだ。
「あ…」
「香水、お持ちしました。……喜んでくださるとうれしいですわ」
「……ええ。ありがとうございます…っあの」
そのまま、私は両手をがしっとつかんでルビエルに詰め寄った。
「私達、お友達になりませんか?!」
「え…おとも…だち?」
「はい!文通したり、買い物行ったり!!ええと…美味しいスコーンをまた一緒に食べたり!」
「あ……あの」
カッと顔が赤くなり…うつむき加減で目を伏せる。
…ちょっと待って、この人何でこんなにかわいい顔してるの?!不本意ながら、イリシユがこの子を虐めたくなる気持ち、少しだけわかってしまった。
(あ、だめ、変態の第一歩、だめ、絶対)
「は…はい」
「!やった。なら、お手紙書きますね!!ちゃんとお返事ください!待ってますから!」
こくん、と何度も頷く。
可愛いお友達、ゲットしたわ!と、心の中でガッツポーズを決める。
「なんだか羨ましい。…俺もどうだろう?リッハシャル」
「あら、仮にも先生であらせられるセフィール様が、生徒一人を特別扱いしてはいけないと思いますわ!」
「そう来たか…なら、ヴァラモの公子としては?レディ・ルドヴィガ」
す、と懐に入り込むのは、卑怯だと思うわ。
「か、考えておきますわ」
「そうだ、あなたにこれを返さないと」
「返す…?」
そっと私の手に乗せたのは…デビュタントの時になくしたと思っていた、アンクレットだった。
「!これ…片方なくしたと思っていたのに」
しかし、よく見ると…ブルースターの宝石はそのまま、赤いロゼット型の長いチェーンが追加されたものに、そして、金色の薔薇のモチーフが追加され…なんとも美しいネックレスに変わっていた。
「パーツが外れていたみたいだから、少しだけ手を加えた。…気に入ってくれるといいけど」
「あ、ありがとうございます…綺麗」
「喜んでくれたみたいで、良かった」
うーん、なんともスマートなやり方…こういうのって、なくしたときめきのような物がちくちく刺激されてしまう。気を付けないと……
「今日はありがとう」
「!…そ、それはどうも?」
「失礼、レディ」
「あ!」
そっと指が伸び、するりとスカーフが解ける。途端に、吹いた風に私の髪が舞う。
「…その黒い髪、俺はとても好きだな」
「!?」
耳元で聞こえた声に思わず赤面する。
「貰った」
「あ…私の髪飾り」
「また、誘う口実ができたな」
「~~勝手に持って行ったのは、セフィール様でしょう…もう」
「ふふ、……また、招待状を送るよ。レディ」
「ご、ごめんあそばせ!」
バタン、と閉じた馬車にもたれかかり、大きく息を吐く。
「…は――も――心臓が持たない……なんなの、あの人」
「ま、魔性の方ですね…お嬢様、しっかり!」
(絶対…わかっててやっていたわ、セフィールめ)
そして、私は力なく頷いた。
読んでいただき、ありがとうございます!…この世界、公用語は英語なのか……




