第85話 ヴァラモの赤い薔薇
「え?…リッハシャル=ルドヴィガが?」
「ああ」
「まあ…それは」
そう言って、ルビエルは少しだけ嬉しそうに笑った―――。
ここは、ヴァラモ公爵家の本邸より少し離れた場所にある通称、「ロゼット・ビアンカ」。
大きなクリスタルガラスで作られた温室があり、四季咲きの薔薇が多数咲き誇る。ヴァラモ公爵家に関わる傍系の庭園には必ずと言ってよいほど赤いバラが咲いているが、この温室もまた、例外ではなかった。
ただ、赤よりも白い薔薇が多いのが特徴で、元は先々代の公爵夫人の持ち家。今は孫であるセフィール=ヴァラモが受け継いだ。
(まだ、少し到着には早い、か)
先日のデビュタントの時の事。
とある事情からダンスに乗り気ではなかったセフィールは、時間を遅らせてホールに入場した。
そこで、ホールの中心でなにやら話し込んでいるイリシユとルビエルを見つけた。
(…?ルビィ?)
うつむいたままのルビエルと、明らかに距離が近いイリシユ。
はたから見れば仲の良い恋人同士に見えたかもしれない。しかし、セフィールにはどこか異常に見えた。
すぐさま止めに入ろうとしたものの、脳裏にある話がよぎり、足を止めてしまった。
「ルビエルを荘厳な王宮の薔薇に。美しく咲き誇るダリアの花と共に恒久的な祝福を王家に」
祖父が突然言い出した言葉は、セフィールをはじめとする公子三人と、母親である夫人は冷ややかな目で見ていたが、なぜか現公爵である父は二つ返事で快諾した。
「素晴らしい!我がヴァラモの栄光は更に末永く続いていくことでしょう!!」
「……ですが、ルビエルは」
夫人はそれ以上口をつぐんだ。
ヴァラモ公爵家に置いて、女性というのは所詮はただの飾り花。叔母であるアゼンダリアでさえ、あの地位にいながら異論を唱えることは許されない。
だからこそ、この話を一番最初に持ち出したのは叔母だと聞いて、セフィールは驚いた。
そして、当事者であるルビエルの意向など誰も聞いてない…聞く必要もないと思っていること自体に強烈な違和感を抱いたのだ。
(なぜ、誰も。……それとも、あの二人は)
尚も寄り添うルビエルとイリシユをただじっと見ていると…事態は急に動いた。
「ルビエル様、どうでしょう?私と一曲」
「え?」
「!」
その後、すごすごと去り、謀らずともこちらに向かってきたイリシユに尋ねた。
「イリシユ殿下」
「!チッ…なんだ、お前も来ていたのか?」
「……」
以前からどうも避けられている。
そう感じてはいたが、あまりに露骨な態度に軽い苛立ちを覚える。
「ルビエルと何をお話しで?」
「何って…お前に関係は」
「社交界の花と言えど、あの子は俺の妹です。それとも、言えない理由でも?」
じっと見つめると、イリシユはひるんだように目をそらした。
「別に。ただ、窮屈そうだから声をかけただけだ」
「窮屈…?」
「心、ここにあらずっていうの?……あの子、一人でいるとまるで」
「……まるで?」
しかし、音楽が始まったためそれ以上は互いに何も言えなかった。
ただ、先ほどのイリシユと共にいた時よりも…リッハシャルと話している時のほうが、何倍も輝いているように見えた。
(そう言えば。…ルビィは、友人というものがいない)
最も、ヴァラモ家に生まれた以上、そう言った個人的感情を持ち出す関係性は「悪」とされているが。
だからこそ、叔母が出した提案も、それをおかしいと思わない父や祖父にも……言いようのない不快感を感じてしまった。
「……?足が」
ふと、リッハシャルの足の様子が少しおかしいことに気が付く。
(休めばいいものを、なぜ彼女はそれをおしてルビエルとダンスを?)
考えられる要因としては…彼女を取りまく対人関係から推察するに、無茶なパフォーマンスの要求を求められたのだろう、と思う。
「あの子ね、これで連続ダンス5回目」
「?!」
「…最初はともかく、王子様と幼馴染君たちと無茶をしてしまったのよね」
ぎょっとして振り返ると…声をかけてきたのは豪華な金色のドレスに、黒い髪の異国の女性だった。
彼女はワインを一口飲み、金の混じった黒曜石の瞳で見つめた後、ふっと笑った。
「ヴァラモの公子様…でしょう?赤い髪はあの家の特徴ですものね」
「あなたは…?」
「私はダイアナ。シャルの叔母ですの」
「!……貴方が、ランザの月」
「あら、おほめ戴き光栄ですわ。私が月なら、シャルは星ですわね」
(噂は聞いていた。ランザの太陽王を陰で支える金城の月……まさか)
「叔母殿ということは…リッハシャルは」
「あなたがたのような政を重んじる方々には、あの子はとても魅力的に映るでしょう。でもね、あの子はあの子で、そんなものはなくとも天空に燦然と輝く星、ですのよ」
「それは…少し、理解できます」
「あら。見どころがあるわねえ、公子様。でもね…あの」
くい、とダイアナは顎である方向を指し示した。
「イリシユ?」
「そう言う名前なの?…あの坊や、良くないわ」
「良くない…?」
「そう。全てにおいて、良くない。あなたにこの意味、わかるかしら?」
とうのイリシユは、楽しそうに他の女性とおしゃべりをしている。
自分も似たような状況になることは多くあるが…どの女性も、妙に浮かれているような様子なのが気になった。
「あれは、搾取の目。…捕まらせちゃ、だめよ?」
「……ご忠告、ありがとうございます」
「どちらのところに行くのかしら?公子様」
「悪い男から妹を救い出してくれた英雄の元へ。…彼女は、どこかで止めないと無茶をし続けるでしょうから」
「まあ…ふふ、いいじゃない。公子様、うちの子を頼むわ」
(どこか見透かされたような、そんな気持ちになる…不思議な女性だ)
そして、大勢の人がいる中でも妙に存在感があって、それが不快ではない。
堂々としている立ち振る舞いが、リッハシャルとよく似ている。それがひどく印象に残った。
そして同時に、イリシユが去り際に言いかけた言葉の意味を薄っすら理解した。
そう、ルビエルは……誰よりも華やかなのに、大勢に紛れた瞬間、色を失ってしまうのだ。そ理由を、セフィールは意識の下に蓋をした。
「お兄様、このお茶でよろしいかしら?」
「!……ああ、ローズヒップ。ルビィが作ったものだね」
赤い花びらが詰まった赤い瓶を見せながら、ルビエルはにこやかに笑った。
「ええ。おばあ様に教えて頂いたレシピですのよ?お砂糖よりもはちみつの方が合うけれど…あの子はどちらが好きかしら」
「随分と楽しみにしているみたいだね」
するとルビエルは、一瞬顔を赤らめ、ふい、と顔をそらした。
「べ、別に。お兄様があの子をお気に入りのようだから……その、応援してあげなくもないだけよ!」
「ルビエル」
「……私は、自由にはいかないから。お兄様くらいは、お望みの物を手に入れてほしいですわ」
「………ルビィ」
また、だ。
と、セフィールは胸に起こる不快感を抑えられない。
(どうして…こんなに苛ただしい……)
「ルビィは……いいのか?」
「何をですか?」
「………おじい様の話は」
「聞いております。……婚約発表は今年中にされるそうですわ」
「!随分と気が早い。まだ、イリシユ殿下も学生の身分だろう?」
「だって、そこに理由はありませんもの。お父様と叔母様と……みんな喜んでいらっしゃるでしょう」
「……喜ぶ、なんて」
その続きを言葉に出せずにいると、ルビエルは何かを諦めたようにほほ笑んだ。
「そうかしら?喜ばしいことですわ。王子殿下の妻なんて、誰もが望んで手に入れられない幸運ですもの!私があの方の元に行けば、ヴァラモの基盤は更に強固になることでしょう!」
「その相手が……イリシユでも?」
突然、笑っていた笑みが停まり、うつろの表情に変わる。
「だって…あの方は…とても素晴らしくて、素敵な殿方で」
「……?ルビィ、一体何を」
「おかしいんですの。あの方の目を見ると、胸が高鳴って……まるで」
「まるで…?」
そして何かをぶつぶつとうわごとのように呟くと、手に持っていたローズヒップの赤い瓶が、するりと抜けた。
「…ッと。ルビィ、一体どうし」
「セフィール様」
「!」
落ちそうになった瓶を手で受け止めると、執事がやって来た。
「リッハシャル=ルドヴィガ令嬢がご到着されたようです」
「…今迎えに行く」
ちら、とルビエルの様子を見ると、いまだ茫然としたままだった。
(このまま放っておくのは……)
「ルビエル。…客人の到着だ、お迎えに上がろう」
「おきゃく、さま……」
「せっかく作ったローズ・ヒップティーをお披露目するんだろう?」
すると、徐々に表情が戻り、何かにはっとしたように目を見開く
「あ……私ったら」
「もう少しで、スコーンも焼き上がるようだ。お前の要望通り、くるみとプレーンのものと、2種類あるみたいだし……彼女に選んでもらおうか?」
「彼女……リッハシャル、様?あら、嫌ですわ、ぼうっとしてしまって」
「……大丈夫だ」
(何かがおかしい。最近のルビエルは……)
その理由がわからない。
共に長くいるはずなのに、その理由をセフィールは見つけることができなかった。
玄関のエントランスに行くと、ルドヴィガの青い花の紋章の馬車が停まっているのが見えた。
「……こちらから馬車を手配したはずだが」
「いいえ、リッハシャル様から丁重なお断りの返事をいただきました」
「彼女に…?」
ガタン、と扉が開くと同時に、薄紅色のドレスを纏ったリッハシャルが馬車から降りた。
「……ようこそ、レディ・ルドヴィガ」
「ご招待、真にありがとうございます、セフィール様」
「ああ、よく似合う。そのドレス…でも、俺が手配した馬車には乗らなかったんだね」
「不快に思ったならば、申し訳ありません。だって…」
すると、彼女はにっこりと笑った。
「ルドヴィガの馬車は、私が令嬢として『何処に行くために乗っているか』を示すものです。初めての社交の場で、家門の象徴を手放すわけにはいきませんから」
「…実に、君らしい。ようこそ、我が邸へ――リッハシャル」
読んでくださり、ありがとうございます!不定期ですが、精進します




