第52話 胃薬を父に
「シャペロン…ですか」
「ええ…もしよかったら、だけど……私はどうかしら」
思いがけない言葉に、レイドックは固まる。
(これは、どう…答えるのが正解だ…?)
ここで、今の自分の絶妙な立場では、どれも地雷になりかねない。
すると、ちらりとカシオスがこちらを見る。
「……どうするんだい?」
「………」
―――この表情は、絶対に楽しんでいるな。
まず、問題なのはこの申し出をしている人物が、自分よりも遥かに上の身分で、発現一つで政治も情勢も動かしかねない、超名門一族の貴婦人ということ。
確か、クオンタ公爵家には男子が三人にいる。その先に予測できるのは…考えたくもない。
(何より、はい、と答えたら…カシオスがほくそ笑むことになる――)
自分の娘を突け狙う(?)上司。
その身分と顔から過激な発言が許されている、粘着質で厄介…もとい、身分も容姿も右に出る者はいない、自称・最高の婿候補。
既にクオンタ公爵家の正式な後ろ盾があると明言している。
そうなればシャルの立場が完全にカシオスに有利に働くだろう。
(それは……上司を立てるよりも、父として、絶対に譲れない)
荒れ狂う政治の波の渦中に燃料を放り込むようなもの。
しかし、いいえと答えては、それはそれで角が立つ可能性がある。つまりは正しく答えねば
(……胃が)
だが実のところ、シャペロンの候補はいる。
だが、まだ明確な回答を貰っていない。
「……リジー。あまり伯爵を困らせてはだめだよ」
すると、空気を察してか、クオンタ公爵は夫人を軽くたしなめた。
「すまないね、伯爵。うちには息子が三人いるが…女の子というのがいなくて」
「まあ!そんなつもりはなかったんだけど…でも、そうね。ここは私がでしゃばる場面ではないわね」
「!…いいえ、お気遣い嬉しく思います」
「……チッ」
(正直、助かった…。…今、舌打ちのような物が隣から聞こえた気はするが、聞かなかったことにしよう)
「リッハシャルのシャペロンはすでにお願いしている方がおります。…ただ」
言いよどむと、婦人はにっこりとほほ笑んだ。
「…ルドヴィガ伯爵。女性にとって、デビュタントと言うのは一生に一度しかない晴れ舞台の一つ。シャペロンの有無によって、将来の格式がある種位置づけられる厄介なものではあるけれど…それだけじゃないの」
「…?それは、一体」
「今まさに美しい花が開く瞬間は、繊細で――とても力を使うもの。その時を見守り、支えるのがシャペロンの本来の役割なのよ」
「……夫人」
「花は自分が美しいことを知らない。なら、真っ先に誰かが美しいって言ってあげないと」
そう語る、エリザベラ様の表情はとても穏やかだ。
(この方に任せたられたら、私も心強い。だが―――)
後の影響を考えると、やはり、その力を借りることはできなかった。
「申し訳ありません…」
「いいのよ。…あなたは何を思っているかはわからないけれど。それを忘れないであげて」
「残念です。叔母様が彼女のシャペロンになってくれたら、僕も嬉しかったのに」
「あらあら。…そう言えば、カシオス。あなたはどうするのかしら?」
すると、カシオスの瞳がきらりと光る。
「……勿論。僕も参加するつもりです。なので、間に合わせるためには、まず事は慎重に、かつ確実に進めていくつもりです」
認めさせねば。
彼らに、セレスト王家の帰還を―――。
「…っは!!!…いった!」
ゴン、と鈍い音共に私は目覚めた、
…どうやら、寝返りを打った瞬間、昨日ぶん投げたはずの本に頭をぶつけたらしい。
何で枕元にあるのよ、忌々しい。
(うわぁ。昨日あんな馬鹿みたいな妄想日記を見たせいかしら…物凄い悪夢を見たような気がする)
「おはようございます、お嬢様。…あら、お顔の色がすぐれないようですけれど」
「あ、大丈夫。…ヤダ、すっかり寝過ごしちゃったね。もうお昼だ」
「お疲れだったのでしょう。…そう言えば」
「ん?」
「うーん。実は朝から問題が」
「え?」
珍しくルルが困ってる。
いつもは大抵そんな様子を一切見せないのに。
「下に降りればわかりますわ」
「?」
手早く着換えて身支度を整えて。
玄関に行くと…見たことない、大小さまざまな形のプレゼントや手紙が山のように置かれていた。
「……なにこれ」
「全部、お嬢様あてです。お帰りになられたという噂を聞きつけたのでしょうね……使用人達は朝から届くこの荷物の整理に追われています」
執事までもが忙しそうに動いている。
「えっと…いったいどちらさま方から」
すると、ずらりと名前が並べられた紙を渡された。
何と言うことだろう、王国内でも有名な宝石商から、デザイナー、ドレスのブティックからの贈り物まで。
その他は…交流など、全く接点のない家門の名前ばかり。
なるほど、ルルの困っていたことはこれか。
「今期、もっとも注目されているデビュタントの令嬢は、お嬢様でしょうから」
「ありがたいけど、どうしたらいいの?」
思わず執事の顔を見ると、無言で二枚目の紙を差し出されてしまった。
「交流のない家門の方々からの贈り物は返してもよろしいかと。こちらの方々は…恐らくお嬢様もご存じな方々だと思いますので」
「あ!エイデン侯爵家!それに、ヴァラモ公爵家……」
あ、やはり、一番目立つ赤い箱は…セフィールからの贈り物、らしい。
薔薇の君と言われるくらいだし、深紅の宝石や紅色のドレスなんかを想像していたのだけど、大きなリボンの中身は…ちょっと予想外だった。
中に入っていたのは、赤に近いけれど決して赤ではない―――朱色のティア―ド・クラウンのドレスと、同じ朱色で作られたアクセサリと靴だった。
(へえ…素敵なデザイン。センスいいなあ)
自分の好みを押し付けようとしない、私に似合いそうなものを選んでくれたらしい。
「あら、素敵…お嬢様の髪は黒くていらっしゃるから、こういう明るいお色の方が映えますね」
「そうだね…まあ、イヤリングが薔薇の模様なのは、らしい感じ?」
実を言うと、セフィールからのプレゼント…はこれが初めてではない。
何処で調べたのか、誕生日近くなると必ず何かしら彼は贈り物をしてくれるのだ。最低限の礼儀として、お礼の手紙をかいたりはしているけど、デビュー前だし、直接逢うのは避けていた。
しかし、今同封されていた手紙には…簡単な祝いの言葉と、デビュタント後の日付のパーティーの招待状だった…。
(気が早いなあ。でも、これからは断り続けるってわけにもいかなくなるのかなあ……)
そして、エイデン侯爵家からはデビュタントの祝いとして、ケディが細身の綺麗な短剣を、フォーレはカメリアの模様が入ったティーセットをくれた。
「可愛い!…ていうか、すごい。双子の個性が良く出ているプレゼントだわ…」
いつも、大抵ケディは動きやすい手袋とか、靴とか、訓練に欠かせない実践的なものをよくくれる。対してフォーレは硝子ペンや、時計など実用重視なものをくれるのだ。
後は…それぞれエスコートの申し込みの手紙だった。
「うふふ、人気者ですわね」
「うーん、もうエスコートの男性は決まってるからなあ」
――そう、今回、私のデビュタントのエスコートを務めてくれるのは、お父様。
あと二日もすれば、ククナが私のドレスとお父様の衣裳を、海を越えて持ってきてくれるはず。
今は、それが一番楽しみだ。
「あとは…あ、ジェンナ先生!」
私が子供の頃、家庭教師を務めてくれていたジェンナ先生は私の中等部の進学になるその任期を終えた。その後は大学に戻り、講師の鞭をふるっている。
そして、なんと今回…エストランテ学院のマナー講師に選別されたらしい。
(嬉しい…また会えるのね)
実のところ、後半の方は…ジェンナ先生とお父様は結構いい感じになっていた。
いい感じ、と言っても多分お父様からすれば「信頼できる人」って感じなんだろうけど…ジェンナ先生は元々お父様のファンでもあったし、見えないところでたくさん頑張っていた。
でも…結局、想いを告げずに家庭教師の任期が終わってしまったのよね。
「あら、お嬢様。…よからぬ顔をされていますわ」
「えへへ…。まあ、ね」
お父様には幸せになってもらいたいところではあるけど…、お母様とのあんな運命的な大恋愛の話を聞いてしまったら、何も言えなくなってしまう。
実は何度か、私がこの世界に来るタイミングがもっと違っていたら、という考えが浮かぶこともあった。
そしたら、お母様は…救えたのだろうか、と。
(でも、それは…傲慢ね)
運命って、誰にも操作できないから、運命っていうんだろう。
今、こうしてリッハシャルがデビュタントの舞台に立つことだって…多分、本来の彼女にはなかった未来。でも、今は全く違う方向に進んでいて、もう誰も知らない、予測できないものに変化した。
わたしという存在は、現在進行中の【今】を歩いているから。
(そう言えば…私がここに来る前……処刑前夜時間軸の未来、ケディかフォーレのどちらか「大公様」がリッハシャルに会いに来ていた。あれって、結局どっちだったんだろう?ケディ?フォーレ?)
「お嬢様…?どうかされましたか?」
「…!あ。ごめん、ちょっと考え事。それよりお腹すいちゃった…プレゼントの選別は後にして朝食を」
「リッハシャルお嬢様」
やって来たのは…執事服ではないメイド服のエイルだ。
「…なんか、見慣れないわ」
「あ。お邸では、こうしないと怒られてしまうので…って、じゃなくて!」
ぶんぶんと手を振り、姿勢を正した。
「こほん、…今しがた、ケディック・エイデン様がお越しになりました」
「……ケディ?約束はしていないけど…」
「……お断り、されますか?」
「あ。いいよ…今日は元々休む予定だったし。…ケディ一人?」
「はい」
「そっか……わかった。今行くよ」




