第37話 その夢は、既に泡沫のようで
―――彼は、夢を見ていた。
いや、それこそが現実で今この瞬間、彼は夢を見ているのかもしれない。
見ていた夢では、自分はスーツを着て会社に出社して…代り映えのしない毎日を過ごしていた。
結末のない物語の続きのページをめくるように繰り返し、飯を食い、酒を飲んで眠り…また繰り返す。
(これが生きていると言えるのか?)
ただの屍が知識を持ち、何者にもなれず社会という延命装置で生きながらえている、それだけの話ではないだろうか。
「くだらねえな…これが、オレの人生、かよ」
ぼそりと呟いたのは、電車の中…のはずだった。
最近妙な夢を見ていたせいか、いつの間にか眠ってしまったのだろうか?
(だから、今、こんなクソみたいな夢を見てるのか?それとも…)
知らない天井、少なくとも、自分の知る世界とは全く異なる…まるで小説の中とか、そう言う…ファンタジーの世界。ゆっくりと体を起こし、鏡を見る。
「レッドゴールドの髪に、灰褐色の瞳…嘘だろ」
ふ、と笑みがこぼれる。
白い肌に整った顔立ち…いかにも、物語の王子様になり得るくらいの美貌が、今目の前に鏡に映っている。
「はは…っ マジかよコレ!!!」
鏡には赤い文字で何か書かれている…一見すると、見たこともない文字だが、じっと見つめていると徐々に理解していく。
霧が晴れたように頭の中はクリアになり、まるで生まれ変わったような特別な気分。
『この物語の主人公は君だ。…僕はこれで終わり、交代の時間だ』
そう書かれた文字が、自分に更なる自信と希望を与えた。
「くくっ…はは!!オレの名前は、イリシユ=セルリア…!このアズレア王国の二番目の王子にして、狂人と呼ばれた爪はじき…!!!そんな奴が正気に戻って玉座に座るとか…最高過ぎるシナリオじゃん?!」
「あ、あの殿下!…どうかなさいましたか?!キャ…?!」
(メイドってやつ…オレの世話係)
に、と口角が上がる。
扉を開き、メイドの手を掴んで壁際に寄せる。
確認したかった、この身体が本物なのか―――確かめずにはいられない。
「あ、あの…」
「なあ、母上を呼んでくれないか?」
「え…?」
「今、物凄く頭の中がはっきりして…まるで霧が晴れたみたいに清々しい」
「あ、あの近…」
「ああ、でもその前に…少し試してみたいな。オレ、まだこの身体が慣れてないからさ」
「あ…っ イリシユ…様」
メイドの声が震える。
(そうだよ、これだよ…!)
―――この王子がどれほどの価値か、敵は誰か。…オレは知る必要がある。
**
その夢は、とても懐かしい夢だった気がする。
私は何かに一生懸命で、終わらない毎日の中で微かにある小さな幸せを探して、日々を生きている。
便利でいて、とても不便で…心が空っぽになるけど、不自由のない生活。
目が覚めると、その夢は泡沫のように消えてしまい、もう思い出すことも難しい。
「うう…ん」
(ああ…布団って最高よね。まだ肌寒いこの季節…中々出がたい)
「お嬢様!そろそろ起きてくださいな!」
「もう少し…」
「あらあら、お寝坊さんは美容のた・い・て・き!ですよぉお!!」
ばさあっと布団を引っぺがされた…このパワフルなメイドは、エイル。
ずっとメイドのルルが私の担当をしてくれたんだけど、今回は久しぶりの長旅、私にとってはお母さんみたいな存在なんだから、無理はしないでほしい。ということで…エイルが名乗り出た。
エイルは髪型を天才的にお洒落にしてくれる子で、そばかすに栗毛のショートカットが特徴。腕力が強くて、私の数倍元気で勢いがあるというのが特徴だ…。
「エイルってホントパワフル…」
「何を言うんです!見てくださいこの外の景色!」
そう言って、色ガラスがはめ込まれた窓が開け放たれると、ひゅう、と雨上がり独特のあの湿った森の匂いが風に乗って運ばれてきた。
「うん、いい香り。…アズレアの風は少し塩っ気があるから、異国に来たって感じ」
更に身を乗り出すと、遠くに海が見えた。低くて白い建物群は、太陽の光を反射して全体的に光っているようにさえ見える。
さわさわと心地よい風が通り抜け、私の伸びた黒髪を波のように揺らす。
「髪…大分伸びましたね。そろそろお切りしないと」
「そう言えば、最後に切ったのは…3年前のアリストクラッツ・フェアーの時だったね」
「……なんだかもったいないですぅ」
「手入れも大変だし…切っちゃいなよ…」
私は正直あまり気にしない方なんだけど、長い髪を切るというのは緊張感が伴うらしい。
髪が長いのは素敵だけど、肩が凝るのよね…。
そう…私リッハシャル・ルドヴィガは16歳になった。来月には高等部の入学を控えていて、今はその準備期間中。そんな中で、やっと念願だった隣国キアルーン地方…ランザ王国への視察旅行が解禁されたのだ…!!
「ホント?!私も行っていいの?お父様!!」
「…もう16歳だし、まだまだ大人ではないが、子供ではない年齢だしな…」
とかなんとか、なんだか随分苦々しい表情ではあったけど、了承を得たのだ。
ただし、条件は二つある。
一つ目は、父が同行すること、あくまでルドヴィガ伯爵の助手として業務を手伝うこと、もう一つは、旅行の宿泊先、行く場所はすべて父親の許可をもらうこと。
この二つ…期間は二週間と長期滞在。今は丁度三日目に差し掛かったところで、やっとここにきて初の自由時間となった。
「よっし!まずは市場を散策して、ああそうだ、美術館も回りたいなあ…あとは美味しいもの食べて」
「お嬢様…!聞いたところによると、市場では蜜柑飴なるものが有名らしいです…!」
ミカン飴…ってもしかしてあのりんご飴の変形型??
なんとも懐かしい言葉に遠い目になる。
(どこにでもあるのね…アレって)
「それは楽しみね!…って、誰に聞いたの?」
「宿屋にお努めしてるお嬢さんです!」
…このエイルという子は、どこか中性的な雰囲気のせいか、やたらと同性の女の子にもてる。
彼女たっての希望で、メイド服というよりも執事が着るようなジャケットにパンツスタイルというのも特徴で、彼女なりのこだわりがあるらしい。
外見はともかく、話すと全然普通で、オシャレと美味しい肉料理が何よりも大好きなお姉さんなんだけどな。
「あまり、他国まで来て女の子を誑かしちゃダメよ…?」
「たぶらかしてませんよぉ。女の子の方から自然に色々と話してくれるんです!」
この世界には、大陸共通語がある。
勿論地方ごとに特有の言葉や言い回し、使い方が異なるけど、総じてこの大陸内ではどこでも通じるので、とても便利だと思う。
このランザ王国…字は【鸞坐】と書く…は、アズレアで見聞していた内容よりも、ずっと都会的で、美しく整理された街だった。
(しかも、なぜか日本語を崩したような字で、私でも読めるのよね)
アズレアと違う特徴としては、建物が全体的に低くて白で、太陽の色を反射するように窓には大体玻璃などの色ガラスが組み込まれていることと、遠くにうっすらと砂漠が見える事。
こちらの国は年柄年中気候が温暖で、冬の季節がない。
その他の特徴としては、雨が少ない割によく植物が育つ。なぜなら、大きなキアルーン山脈が首都・秋霖のすぐ隣にそびえたち、海から運ばれた水を含んだ風が山壁に当たって霧に変わり、植物に恵みを与えるせいと言われている。
そのため、香や染料など、独特の製法で作られる植物を使った伝統工芸品が多く、アズレアにはない色の反物や染料もたくさんあるのだ。
…海と山と、森と…砂漠まで見えるなんて、なんとも贅沢な景観の国だと思う。
その代わり、港はアズレア程大きくはなく、どこかこじんまりとした印象。でも、大型船が停泊できるスペースもあるし、地味に月に1度アズレアとの定期便もあるので、海洋貿易国としては十分な規模だと思う。
「あ、でも治安はアズレア程いいわけでもないので…あまり煌びやかな服装は控えましょうか」
「うん!大丈夫!私も鍛えてるし!」
「そ、そうですね…それは存じてます」
さて、この三年で変わったことの一つと言えば…実はこっそり剣術と弓の勉強を始めた事。まだ初めて三年程だけど、剣術だけならエイデンの双子のフォーレには負けない!…まあ、ケディはさすが「剣術の天才」と言われるほどの腕前なので、敵いっこない。
と、いうか…真剣勝負を申し込んでも、断固拒否。「もう僕の負けで!!シャルと剣で向かい合うなら僕は死ぬ!!」とまで言われてしまうのだ。
―――私は、ここ数年とあることをずっと実行し続けている。
努力すること、体を鍛える事…それらすべて、例の運命ガチャ対策だったりする。
ガチャの頻度は確実に減ったものの、忘れた頃にあいつはやってくる。
もうこいつらに振り回されたくない一心で、ガチャを全て拒否し続けていると、ペナルティが当然のように襲い掛かってくる。
だからこそ、私は心身を鍛え、メンタルの強度をあげどんな状況にも備えれるように準備をしている。
「だって人生って苦難の連続だもの!それを乗り越えるには自分が努力するしかない!!」
という人生論にたどりついたのだ。
所でこの旅行…もとい視察だけど。実はもう一人同行者がいる。
「シャルちゃん、エイルさんおはよう!」
「おはよ、ククナ!」
「ね、ね、今日どこ行く?!あ!この季節でも日に焼けるから、ラーザンはきっちり巻いてね!」
ラーザンとは、この地方の女性の頭に巻くターバン。しっかり巻いた後に、花のブローチや銀色のチェーンなどをつけるのがトレンドなんだとか。
確かに太陽光は強いので、女性はみんな肌を露出させずロングスカートや風通しのいい袖口が広いガウンのような物を羽織る。…私のいた世界では【浴衣】によく似ている。
(でも…記憶はもうだいぶ薄れたなあ)
「今日はね、反物を見てみたいんだ。確か、反物通りみたいな場所、あったよね?!」
「サイハリ通りだね?そこにはね、美味しい屋台もあるから、食べ歩きもできるよ!!」
ああ、とても楽しみ。
なんだか新しいことが始まりそうな、そんな予感がする。…それが現実になるなんて、この時は想像もしていなかった。




