第123話 赤い盾
「はあ……」
ごそごそと起き上がると、窓を少しだけ開いた。
冷たい風が通り抜けて、カーテンをふわりと揺らした。
(寝れない……色々、あったからなあ)
あの後、食事をいただき兄弟二人と話した後、床に就いた。
イスメテとタクトは、前回の剣術大会で見てからずっとファンでいてくれるらしい。それがどこかくすぐったいような妙な気分ではあったものの……それに比例して、色々なことが頭に、耳に残り、時間になるにつれて、どんどん鮮明になっていくようだった。
暗闇に光る鋼刃、叫び声、自分が放った矢で倒れる人の声――。
馬のひづめの音、倒れる人影……そして。小さな姫君の、柔らかい髪の感触。
「守れたから……あの子も、殿下夫妻も……ここにいるんだよな」
開いた掌を見つめ、ぎゅっと握る。
(守ったんだ。それで、いいじゃないか)
そう、ためらいながら矢を放っていたら――、その瞬間、迷いが生じたら。
それが、命の掛け合いだ。
すると、遠慮がちにこんこん、と二回ノックの音が聞こえた。
「夜分遅く、すまない。起きているか?」
「!…あ、レイル、さん?」
ドアを開くと、グラスを二つ見せた。
「え?」
「寝れないなら、これが効くぞ」
手に持っていた瓶にはしっかり「酒」と書いてある……
「え?!いや……ええと」
「大丈夫だ。俺も初めてこれを飲んだのは、君と同じくらいの年齢だった」
「えええ……?!」
(この人には驚かされるばかりだ……)
どう答えようか迷っていると、レイルは静かに言う。
「……そう、今の君と同じように、初めて人の命を奪った夜のことだ」
「!!」
「君は、よくやったよ。あの状況で、適切に判断し、確実にご家族を守ることができた。……それを誇っていい」
「……」
そして、ケディはそっとグラスを受け取った。
「でも……多分、僕は、あれが闇に隠された影じゃなくて、明るい場所で見た姿なら…きっと、あんなに正確に弓で射貫くことはなかったでしょう」
「……それが普通、だ」
「普通?」
「人一人の命を奪うこと…それは、その人の今後の人生全てを消滅させてしまうことだ」
「!」
「それを躊躇いなく成し遂げる者は、人じゃない」
「……そこまで、簡単には」
「だからこそ、これが必要な時もある」
「……」
促されてやって来た部屋は、地下にある高級バーといった雰囲気の場所だった。
大きなバーカウンターがあり、そこにはラデュオン殿下が立っていた。そして、団長の姿や、数人の騎士の姿、先ほど先陣を切っていたクオンタ公爵の姿まで。
(なんだか、楽しそう…?)
「やあ、来たね。エイデン君」
「こ、今晩は。あの、ここは…?」
「ここは秘密のバーだぞ。まあ座り給え」
「お父上には内緒だ!まさか未成年の君に酒を進めるなんて、イルモンドは怒るに決まってる!」
あまりにも明るく言う姿に、あっけにとられてしまった。
「殿下のご趣味で作ったんだ、このバーは」
「ご趣味……」
クオンタ公爵がそう言うと、レイルとケディを隣の席に座るよう促した。
「ははは!まあ座るといい。少年よ」
「ど、どうも……?」
「改めて礼を言うよ、エイデン君。私の妻と、私と、娘のデイジーを守ってくれてありがとう」
「そんな……!僕は何も」
言われた瞬間、心にくすぶっていたものがふっと溶け、なぜか涙が出た。
「あ……ええと、すみません」
ごしごしと目元を拭くと、なぜか濡れたタオルを押し付けられた。
「男は人前で泣くものじゃない。やはり君は少し精神修行が必要だな」
「ず、ずみまぜん……」
「レイルも大人になったな……お前の時はずっとガタガタ震えていたからな」
「……父上、言葉が過ぎます」
「事実だろう」
「………まあ、飲むといい」
「いや、僕お酒は」
「なら、これならどうだ?」
そう言って差し出されたのは、カクテルグラスに入った琥珀色の飲み物だった。
「ジンジャーにレモンを絞ったジュースだ。苦いかもしれないが」
「苦い……?う、苦い、けど…甘い」
「大人の味だな!殿下直々の賜り物だ!!心して飲むといい!!」
手元に既に空いたグラスが三つも並ぶ団長が豪快に笑った。
(もしかして…励ましてくれてる、んだろうか??)
ケディにとっては、人との関係性は特別なものではなかった。
何故なら、常に自分はエイデン侯爵家の一人として見られてきたので、他人にあまり興味がない。
どうしても人との係わり自体が、どこか後ろ暗い思惑があるのではないかと勘繰ってしまう自分がいて、嫌気がさしてしまったのだ。
「レイルさんの時は……ガタガタ震えていていたって」
「……そこは覚えていなくていい。俺の時は、婚約者を守るために、剣を抜いた。それが……結果、そうなってしまっただけだ。君のように極限に近い状況であの判断をするのは、とても難しいこと」
「レイルさん……」
「うん、そうだな。……君は、いい騎士になるだろう」
「!……ありがとうございます」
言いながら、まるで水を飲むようにとくとくと酒を飲み進めていく姿を見て、クオンタ公爵が小さくため息をついた。
「まずいな、このペースじゃ」
「え?」
「レイルは、君を励ましたいらしい。…君は、大丈夫か?」
「僕は……」
先ほどまでぐるぐる悩んでいたことを、一つずつ集めていく。
「今日、初めて、人を……その」
「騎士になるのはそう言うことだ」
「……わかって、いるつもりです」
「一番最初というのは誰でも起こり得るが、何度も起きる事ではない……ある意味、その瞬間だけで君の価値観すら、簡単に崩れてしまうものかもしれない」
「……はい」
「だからこそ、人は成長するものだ」
「!……クオンタ公爵閣下」
そう言って、ケディのグラスに自分のグラスをぶつけた。
「君は今日、この瞬間、その手で覚悟を決めて……挑んで、手に入れたんだ。得難い経験を」
すると、そこにラデュオン殿下も便乗した。
「そう。……私の未来の騎士団は展望が明るいな」
「ラデュオン殿下まで……」
「期待してるよ、ケディック・エイデン…君の未来に、幸多くあらんことを」
「ありがとう、ございます……!」
「だがな。それだけじゃダメだ」
「え?」
すると、一拍おいて、レイルが肩をがしっとつかんできた。
「すまん、エイデン君」
「え?」
「そいつ、絡み酒でね……」
「ええええ?」
「適当に相槌を打ってくれればいい」
それから、くどくどとレイルの説教が始まる。
隣にいた公爵は「今日も絶好調だ」とあきれたように呟いた。
そしてそれをにこにこ見守りつつも、悪ふざけか、ちょっとずつアルコールを足したドリンクを進めるラデュオンに、相変わらずマイペースで笑いながら豪快に飲む団長も、どれも暖かくて、冷え切った心は徐々に温かくなっていった。
そして―――当事者たちが酒盛をしつつ、楽しんでいるころ。
海岸にほど近い森に、幾つものランタンの光が浮かびあがる。
「これか」
イルモンドは、数人の部下を連れ、その現場に立ち会っていた。
足元の土はしっかりと血を吸い、所々色が変わっている。しかし、その場には驚くほど何もない。
ただ、壊れた馬車と、絶命した横たわる馬だけが残っていた。
「残党は?」
「いません。見事ですね、死体は全て持ち去ったようです」
「持ち去る、か。専門の処理班もいるようだな」
「今、範囲を広げて探索を続けています。それにしても……異様、ですね。こうも何もないと」
「……それが、連中の得意技だ」
(かつての、エイデン侯爵家もそうだった)
「カシオス様を匿ってすぐ、奴らは嵐のようにやって来た。そして―――」
「忘れていません……我々エイデンの騎士があんな屈辱的な敗北を喫することになるなんて……!」
その日、侯爵家にやって来た黒いローブの連中は、鳴りやまぬ風と雨と、嵐と共に邸になだれ込んできた。
共通しているのは、全員裏地が赤であること。
そして、一糸乱れぬ動きのまま、自分たちの目的である先王の遺児である赤子だけを探すべく、騎士を次々と切り殺していった。
―――そして、最後に。
「閣下!……森のはずれの方に、一体、気になる遺体がありました。矢で貫かれたようですが……」
「矢?遺体が残っていたのか?!」
「はい。どうやら、伏兵部隊のようで……クオンタ親衛隊が来た時点で、回収が漏れてしまったのでしょう」
「クオンタ公爵殿の情報通りだな。それで?」
そう言って部下が差し出したのは、表が黒で、裏が深紅の外套だった。
「これで、赤い盾が動いていたことが証明されたか」
「それと、こちらを」
もう一つは、先端が二股に割れ、返しがついた特殊な先端を持つ、一本の矢だった。
「!この矢」
この特異な形状は過去、イルモンドは一度見たことがある。
それも、あの、嵐の日に。
「—―間違いない」
赤い盾を動かせる人物は、このアズレアで、とても限られている。
「王よ………私は忘れてはいないぞ、あなたが過去、我がエイデンで起こしたことを」
赤い盾。
王族専門の暗殺部隊とされるが、その存在を公式に認める者はいない。実際に存在するのか、それすら定かではない。だが、彼らを知る者は、その存在を疑わない。
闇と共に現れ、王家にとって都合の悪い人間を葬る。高名な貴族も元王族も、全て例外なく葬り去る。彼らが去った後には、死体も証拠も、何ひとつ残らない。王家の旗を掲げることなく、王家の意思を遂行する。その存在を知る者は限られ、彼らを動かせるのは、今代の国王陛下とその后のみである。
(当初は殿下の存在が公にできなかったが、カシオス殿下がご帰還された今なら)
「それと、気になることが」
「気になること?」
「はい。急所を正確に射抜かれていました、同士討ち、でしょうか」
「……それか、こちら側が弓を奪ったか。だとしたら、闇の中で一撃で射貫くなど、相当腕の立つ射手がいたのかもしれない」
(……矢、か)
ふと、「矢」という言葉を聞いて、思い当たるところがないわけでもなかった。
「まさか、な……その遺体はすぐに回収しろ。身に着けているものは全て証明になる」
「は!」
「これから……アズレアの国は揺れるな」
東の空は、もう青みがかかっている。
既に夜明けは近づいてきた。
しばらく主人公不在です!読んでいただき、ありがとうございました!




