第十三話Part3⑧
突然腕を引っ張られ、自動車の後部座席に押し込まれてから数分後。アキラは自宅の前で再び後部座席から引っ張り出され、玄関を通されてリビングのソファに座らされていた。目の前の大人の女性が自らの肩に掴みかかるのを、アキラは混乱しながら見ていた。それが母だと理解するのに、数分かかった。沈黙を通していた母は、開口一番アキラを怒鳴りつけた。
「何やってるの、あんたは!!」
言葉だけなら娘を心配する母として、至って真っ当な一言だった。だがその声音には、アキラへの気遣いなど微塵も感じられなかった。
「外は危険なのよ! 出て行ったらだめでしょう!! しかもあんな所で、あの子と―――」
アキラの襟元から覗いた鎖を母の手が掴む。ペンダントに加工した『エターナルジュエル』を目ざとく見つけたようだ。母は鎖を掴むと引きちぎった。
「こんなものまでぶら下げて!」
「か、返して! 返してよ、あたしの」
「うるさい!!」
そう言われた瞬間、アキラは混乱した。
確かに母は自分を家に閉じ込めた。だが、少なくともアキラを何かから守ろうと―――それが母の一方的かつ独善的な善意だとしても、守ろうとしていた筈なのだ。だが今は、娘であるはずのアキラを威圧している。
これが母なのか。自分を産み、愛し育ててくれた母なのか。愕然として、アキラはジュエルを取り返そうとした手を止めてしまった。ほぼ同時に母がジュエルをゴミ箱に叩き捨てようとしているのを見て、我に帰った。ブライドとして鍛えられた今なら、生身の腕力だけでジュエルは取り返せるだろう。だが、それが原因で母に怪我をさせてしまうかもしれない…その恐れから、アキラは決断した。
「プル!!」
精霊の名を呼ぶと、突如ジュエルが発光した。突然の異常事態に母が混乱し、ジュエルを手放した一瞬、プルが内部からジュエルを動かし、アキラの手の中に飛び込んだ。手元に帰ってきたジュエル…自身の恋を形にした宝石を、アキラはその胸に抱きしめた。
「あ、あぶなかったプル…」
「よかった…プル、大丈夫?」
「だいじょぶプル!」
ジュエル越しに、アキラとプルは笑い合った。だがそんなアキラの会話は、母には独り言にしか見えなかったのだ。その一方で今の物理法則を無視した動きに、母は明らかに恐怖してもいた。奇怪な玩具の宝石と、独り言で話す自分の娘を見て、彼女は怒りを半ば忘れかけて混乱した。丁度その時、騒ぎを聞きつけたのか、弟のカオルもやってきた。父は会社の仕事でまだ帰宅しておらず、今にいるのはこの三人とプルだけだった。
アキラは一度ソファに座り直し、再びジュエルの中のプルに頼む。
「プル、お母さんとカオルに姿を見せられる?」
「む。できないことも無いけれど、長くても二十秒くらいプル」
「それだけでいいよ。お願い」
アキラがそういうと、その膝の上にプルが姿を現した。チャウチャウやサモエドのような、ふわふわの青い毛並みの仔犬の姿に、まずカオルが興奮して、頭を撫でようと手を伸ばした。
「い、犬…!? わんこモフ」
「わんこではないプル」
「あ、そうなんだ。ごめん」
カオルは素直に手を引き、友好の印とばかりにプルと握手した。一方、膝の上に突然仔犬が現れてしゃべり出すという状況に、母は驚愕と恐怖で顔を引きつらせるだけだった。プルの姿はすぐに消え、そこにいるのはまた三人だけになった。
アキラは母と目を合わせ、意を決して口にした。
「話すよ。全部話すから…だから聞いて、お母さん」
アキラが訥々と話し始めるのを、母は立ったまま黙って聞くことしかできなかった。
それはあまりにも荒唐無稽な話だった。呪いがかかった宝石を浄め、持ち主の少女達と精霊達を解放し、更には神を相手取って闘っているなどと、まともに聞く方が無理というものだ。だがその一方、今しがたの不思議な仔犬の姿を見てしまった以上、全く信じないわけにもいかなかった。
そしてアキラは、緋李と交際していること、その恋を誰にも後ろ指さされず、むやみに褒め称えられもしない『普通の恋として』叶えるべく闘っていることも明かした。ただ、緋李の名前は出さなかった。弟もここにいるので、家族でその話をしたのは二人だ。母は怪訝な顔をしていたが、カオルは特に反応しなかった。
話を聞き終え、母はだいぶ冷静さを取り戻していた。そして最初に口にしたのは―――アキラにとって、あまりに冷酷な質問であった。
「……アキラ」
「なに?」
「それってそんなに大事なことなの?」
母にとって、アキラの闘いとは…すなわち恋も願いも、娘を危険にさらすものでしか無かった。問われたアキラは一瞬呆然として、固まってしまった。
「疲れるだけならともかく、死にかけたことすらあるんでしょう。そんな危険なこと、何もあなたがやらなくてもいいじゃない」
「……あたしは自分で闘い始めたんだよ。今言ったじゃない」
「やめなさいそんな事! そんな事する必要は、最初から無いと言ってるの!」
「嫌だ! …あたしの…あたしとあの子の願いが、もうすぐ叶うんだ。もうすぐ普通の恋になる」
「あのね、アキラ」
母はアキラの前に歩み寄り、その肩に手を置く。説得と言うより、子供を諭すような視線だった。空想を本気にする愚かな子供を、現実を以って諭すような、冷たい大人の目だ。
「あなた、騙されてるのよ」
「………は?」
冷たい一言に目を見開き、アキラは母の話の続きを待った。
だがその時、玄関のドアが開閉する音、そして聞きなれた父の声が聞こえた。父は慌ただしくリビングに入ってくると、家族が揃っているのを確認し、安堵のため息をついた。そしてアキラの斜め前の席に座ると、真っ先にアキラに尋ねた。
「アキラ。お母さんに聞いたんだけど、お前。女の子と付き合ってるって?」
突然の質問に意味が判らず、アキラは呆然とした。このことは父には言っていなかった。アキラが最初に同性との恋愛を告げたのは、母だ。つまり…アキラは状況を理解し、母に再び視線を向けた。
「勝手に話したの…!?」
「当然よ。家族で向き合う問題なんだから」
問題、という言葉にアキラは激昂した。自分がどれだけの覚悟を持って告げたのか、その覚悟に泥を擦り付けるのか―――そう言おうとしたが、その前に母が口を出した。
「アキラ。さっきも言ったけど、あなたは騙されてる。遊ばれてるだけなのよ」
「そんな事無い!」
「相手の子。いつか来たすごい美人の子よね、進学校の制服着た子」
やはり、母はアキラと緋李の関係に気づいていたのだ。緋李の顔を思い出したのか、母の目つきが険しくなった。
「進学校のエリートの子が、アキラみたいなただの高校生と親しくなるなんて、普通あり得ないじゃない」
「そんなの知らない。あの子とは会った瞬間に、お互い好きになったんだ」
「目を付けられただけよ。しかもそんな遊びのために、わざわざ命を危険にさらすなんて。馬鹿馬鹿しい」
「…でも。でも、さっきも言ったじゃない」
アキラは食い下がる。だが、自分の言葉がどこか上滑りしているように感じられた。何を言ってもあり得ない、そんなのはおかしい、で片づけられるのだ。話が通じぬゆえの虚しさだと、アキラはこの時まだ気づかなかった。
「あの子とは互いに命を懸けて、神様の所にいくのを止めようと」
「半殺しにされたんじゃないの! 尚更危ないわよ」
しかし母は言葉尻を捉え、さらに親であること、そして家族を守ろうとする者という立場を利用して言いくるめた。彼女と十七年間暮らしていたアキラはそれに気づけず、黙り込んでしまう。母が危険を訴えるのを聞き、父は進言した。
「…母さん、やはり引っ越した方がいいよ。他の県に引っ越そう。距離をおけばその子の事も、友達だの闘いだかの事も、全部忘れるよ」
父の残酷な提案に、アキラは顔を上げた。母は当然のようにその提案に乗る。そしてアキラの手を握り、真正面から目を見て、諭すように言った。
「そうね、あなた。…ねえアキラ、確かにあの子はすごい美人よ。同性でも惹かれるのは仕方ない。でも大人になれば、ちょっとした気の迷いだって判るんだから」
「気の迷いなんかじゃ」
「距離を置いて頭を冷やすの。そうすれば良い思い出になるわよ」
「……あたし達は…今こそ、恋してるんだ」
アキラは母の言葉に囚われまいと、握られた手を振り払った。
「アキラ」
「大人になったらとかじゃない。今、今この時、運命の人と出会ったんだ」
「でもアキラ、お前だってもうすぐ大人になるんだぞ」
父の手に頭を撫でられる。子供の頃は大好きだったはずのその手が、今は醜い生き物に思えて、アキラは思わず払った。父はやや憮然としつつ、話をつづけた。
「そんな遊びは卒業しなさい。卒業して、お前も幸せな家庭を作るんだ」
「…しあわせ?」
何を言っているのか、アキラは理解しかねた。二人の恋を遊び呼ばわりしておきながら、幸せになれとかみ合わない父の発言に訊き返す。それに答えたのは母だった。
「あのねアキラ、よっく聞いて。私達はね、アキラに幸せになってほしいだけなの」
「………しあわせ」
「そうよ」
母は再びアキラの手を握ると、話を続けた。
「素敵な男性と恋して、結婚して、できればお給料のいい仕事にも就いて。そして子供を産んで、幸せな家庭を作ってほしいの。お父さんとお母さんみたいに。わかるでしょ?」
理解を求めた母の言葉は、アキラにとってどこまでも残酷で、理不尽で、そして無意味であった。
二人が高校の頃からの大恋愛の末に結ばれたことは、しばしば聞かされていた。両親はそれこそがアキラにとって幸せだと言う。今のままでは幸せになれない、全身全霊の恋だと思っているのは騙されているのにすぎないと、アキラ達の恋を存在しない物としていた。
それは、どこまでも冷酷な善意であった。
「クラスの男の子に暴力を振るったのも聞いたぞ。それ自体は悪い事だけど、友達を守ろうと」
「友達じゃない。あたしの恋人だ!」
「…友達を守ろうとする勇気ある人だと、お前の良さに気付いてくれる男の人だっているかも知れない。男の人が苦手なら、父さんたちが優しい人を探してやるから」
アキラ自身の訂正も、両親には効果が無かった。
「それにね、アキラ。お母さんが高校の頃にも、女の子同士で恋愛ごっこしている人たちはいたんだけどね。高校を卒業したらちゃんと男の人と結婚して、幸せに生活しているのよ」
「あたし達はその人達じゃない」
「聞きなさい。要するにその人たちは、他の子と違うとアピールしたかっただけなの。相手の子もそうなのよ」
無理やり別れさせられたのかもしれないじゃないか―――言おうとして、だが今の母に言っても無意味だと、アキラはすぐに悟った。奇妙なことに、頭の中は少しずつ冷えていった。何を言おうと流され続けたせいで、自身の発言に意味を感じなくなってきてしまっていた。だが、まだ少しでも判ってもらえる可能性があるならと、アキラは説得を続けようとした。一度口をつぐみ、虚しい結果に終わるだろうという予想に目を瞑って、アキラは両親の顔を見た。
「……お母さん達は、高校の時から付き合って、素敵な恋をして、結ばれたんだよね」
「そうよ。いつも話しているから憶えてるでしょう」
「周りに何を言われても別れなかったんだよね。しょっちゅう聞かされてた」
言いながら、乾いた笑いが浮かんだ。この二人の愛情とやらを認めることに、アキラはどこか虚しさを感じていた。
「異性なら誰でも良かったんじゃなくて、この人だからこそ好きになったって」
「うん。アキラ、だからお前も」
「ならあたし達だって同じだ!!」
父が何か言う前に、アキラは敢えて声を荒げた。両親への期待が削られすり減らされていく中での、最後のあがきだった。
「あたしだって、あの子だから好きになったんだ! 学校とか性別だとか、そんなんじゃない!! あたしはあの子に恋したんだ!!」
「アキラ!」
「なんで、そんな、素敵な恋をした人達が、そんな事を―――」
「―――いい加減にしなさい!!」
だが、アキラが言おうとした最後の一言は、父の一喝で遮られた。
きちんと話せばきっと理解してくれるものと、アキラは両親を信じていた。だからこそ二人の言い分を真剣に聞こうとした。だが両親は、家族で向き合うべきと言いながら、アキラの必死の主張を一言の叱責で踏みにじってしまった。
(……ああ)
アキラが呆然とする中、両親が引っ越し先のアパートの相談を始める声が聞こえた。だが、二人の声は徐々に不明瞭になり始める。
(そっか。そういうことか)
アキラは悟った。両親にとって、アキラと緋李の恋は理解も許容もできない、おぞましい何かなのだ。
母が緋李に対して抱いた危機感の根源は、その片割れである緋李に自分達の『幸せな家庭』を破壊されることへの恐怖だ。許容できぬ緋李を盲目的に排除しようとする二人には、最初からアキラの言葉を聞く気など無かった。彼らがアキラと緋李の苛烈で純粋な恋を理解することなど、これから先、絶対にできないのだ。だからこそ、必死に二人の恋を『無いもの』にしようとしている。
「そっか。そうだよね」
気づけば、アキラは引きつった笑顔を浮かべながら、両目からボロボロと涙をこぼしていた。ギョッとした両親と弟に見守られながら、この胸にあるのはなんだろうか、とアキラは考えた。
それは喪失感だった。
十七年間抱いてきた両親への愛情や信頼が、全て無意味であったことを悟った瞬間。心の中に巨大な空隙が生まれた。途端に両親が穢れた獣の如く見え、吐き気すらも覚えた。そんなアキラの胸の内にも気づかず、母は涙をこぼす娘の手を握った。
「アキラ。判ってくれた? 辛いとは思うけど…」
「小波みたいに、話せばわかってくれるって期待してたんだ。本当に少しだけ。あたしがバカだった」
「アキラ…?」
「…お父さんとお母さんの大恋愛なんて、嘘だったんだね」
両親の顔が途端に険しくなった。
「だってさ。ホントにすごい恋をしたっていうなら、あたし達が本気で恋してるのだって、わかるじゃない」
「…何言ってるんだ、アキラ」
「サカリがついたのを恋って勘違いしただけじゃないの?」
この発言は何の根拠も無いただの侮辱、八つ当たりに過ぎなかった。だが躊躇なくそれが出てきたのは、最後の信頼を裏切った両親に対し、最早アキラが憎悪と侮蔑しか抱いていなかったからだ。
アキラの隣に立ちながら、姉がここまではっきりと人を悪く言うことに、カオルは恐怖すら感じていた。そして泣きながら笑う姉の顔を見て、すぐに理解した…姉の精神は壊れかけている。両親に言うまいと心に押しとどめた悪意が、ここに来て決壊したのだ。
罵詈雑言はアキラの口からとめどなくあふれ出てきた。
「言い返せないんだ。ホントにただのけだものかよ、汚らしい」
「……姉ちゃん」
「しかもガキ二人ひり出して家族ごっこまでして。毎晩毎晩汗みどろで変な汁垂らして、布団きったなくしてたんだろ」
「アキラ。やめなさい」
「それとも学校でもやってたのかな。授業抜け出して、人目もはばからずに交尾してたんだ。朝から放課後まで」
「アキラ!」
「大恋愛なんだろ! それで生まれたあたしが命を懸けて恋してるんだ。自慢の娘だよな!」
そこまで言ったところで、アキラは頬に強烈な痛みを感じた。母に叩かれたとすぐに悟った。アキラを見下ろす母の表情は、恐ろしく醜くゆがんでいた。そこに最早アキラを諭す理性などは無い、憎悪と屈辱の表情であった。
「…それ以上言うと、許さないわよ」
―――ある時から、母の脳裏には高校の同級生の少女達の姿が浮かんでいた。先刻彼女自身が言った、『恋愛ごっこ』をしていた二人だ。卒業を前に破滅的な別れを迎えたと聞き、その時は内心で嘲笑った。やはり異性と結ばれてこそ、人は幸せなのだと。
娘がそう思っていないと気づいたきっかけは、些細なことだった。四月か五月か、食卓でアキラに恋の話を訊いた時の反応だ。父が相手の男子の事を聞いた瞬間、アキラは突然黙り込んだ。照れたのでないことは、母には一目でわかった。
更に、誰かに尾行されていた所を送ってもらったという他校の少女。母…アキラの祖母が引き取った見知らぬ少女二人。小波との交流が途絶えたと思ったら、以前より仲良くなったこと。何も言わずに少女達と交流を深めるアキラが、異性ではなく同性に興味があるのではないかと、不安は増していった。
決定打となったのは緋李の訪問だった。二人の間に漂う空気を察知し、母はアキラが緋李と愛し合っていることを確信したのである。そしてアキラとおぞましい関係を結び、あの二人のような目に遭わせるであろう…無論、これは完全な言いがかりである…緋李、更にアキラが交流するあらゆる少女から、アキラを守ろうと決意した。夫、すなわちアキラの父も快く承諾した。そしてアキラのためと称し、二人が軟禁に出た…というのが、ここまでの顛末である。
アキラには、母の反応がおかしくてたまらなかった。アキラは虚ろな表情で、泣きながら笑い続けた。
最早今まで演じていた『幸福な家族』の仮面はアキラがはぎ取り、家族の本当の顔をさらけ出してしまっていた。両親が幸せな家庭を維持する意思は本物だったのかもしれない。だがそれに異常なほどに固執し、娘にまで同じ幸せを押し付けた、その結果がこの有様だった。
「愛し合ってるなら、あたしにだって『つらくてもガンバレ』くらい言えるだろ!! あたし達が全てを懸け恋してるって判るだろ!!」
「黙りなさい!!」
母の平手が幾度もアキラの頬を叩いた。はれ上がった頬の痛みにかまわず、アキラは叫び続けた。叩かれるたびに涙が飛び散る。
「わかんねえのかよ! この世で一番幸せな恋とか言ってたくせに、わかんねえのかよ!! あはははははは!!」
「黙れ! 黙れぇぇ!!」
幾度も幾度も、母は鬼気迫る表情でアキラの頬を叩いた。さすがにやりすぎだと父は止めようとして、母の肩を押さえた。
邪鬼のごとき形相を浮かべる母を横目に、カオルはいたって冷静に観察するのみだった。しかし同時にアキラの様子も伺って、何かを待っているようでもあった。そして父が母を引きはがし、しかし息を荒げた母が尚もアキラにつかみかかろうとした、その瞬間。
《アキラ、いるの!?》
ジュエルを通し、アキラの心に緋李の声が届いた。
「緋李ちゃん!」
《家にいるのね、今迎えに行く! 部屋で待ってて!》
「うん、うん!!」
緋李に答えるアキラの笑顔があまりにも眩しく、母と父は一瞬だけ見とれ、手を止めた。その間にアキラは両親を押しのけ、階段に向かって走り出す。両親は阻もうとしたが、その前にカオルが立ち、アキラに何かを投げ渡した。
「姉ちゃん、スマホ!」
母が没収して寝室に隠していた、アキラのスマートフォンだった。
「サンキュ!」
受け取りつつアキラは階段を駆け上がり、自室に向かった。追いかけようと走り出す両親を、しかしカオルは両手で阻んだ。
「どきなさい、カオル!」
「父さんも母さんも…姉ちゃんをあんなボロボロにしたの、誰だかわかってんの?」
カオルを押しのけようとした両親の手が、一瞬だけ止まった。
「幸せどころか、さっき姉ちゃんは心が壊されるところだった」
「で、でも…駄目だろう、女の子なのに女の子と付き合うなんて」
「今言ってたアカリって人が、姉ちゃんを本当に幸せにしてくれるんだ。見たろ、さっきの姉ちゃんの笑った顔」
本当は説得も口喧嘩も必要なかった。緋李の声を聴いたアキラの輝くように幸福な笑顔が、彼女の恋が本当に幸せであることを物語っていた。そして両親は手を止めた。手を出してはならないと、一瞬でも思ってしまった。その事実を受け入れるだけで良かったのだ。
ガタガタとクローゼットを開閉する音が聞こえる…恐らくバッグに服などを詰め込んでいるのだろう。音はすぐに止んだ。支度はできたようだ。
「じゃ、俺見送って来るから」
「見送り…? カオル、何言ってるのよ」
「姉ちゃんはもう戻ってこないよ」
その意味を量り兼ね、両親が首を傾げた瞬間、カオルは階段を駆け上がった。直後、窓のガラスを割る音が聞こえた。カオルがノックもせずにアキラの部屋のドアを開けると、そこには真っ赤な髪を風になびかせ、アキラと愛おし気に抱きしめ合う、絶世の美少女がいた。髪の色が変わり妙な装束を纏っているが、カオルは彼女が数日前にこの家に訪れた少女だと、そして彼女こそが「アカリちゃん」だと、カオルはすぐに気づいた。
姉のバッグからは、服らしき布の他、犬のマスコットの造形を施した目覚まし時計がはみ出していた。犬好きな姉のお気に入りの時計だ。むしり取られたジュエルはその手に握られていた。外はいつの間にか晴れ、日が傾いていた。もう夕方になっていたのだ。
アキラと赤髪の少女―――ルビアMこと緋李は、自分たちを見るカオルの視線に気づいた。遅れて部屋に入ってきたアキラの両親には、汚物を見るような視線を一瞬向けるだけだった。
「姉ちゃん、行くんだね!」
カオルはあくまでも笑いながら、二人に別れの言葉を告げた。それは大切な家族だった姉とその恋人への、彼なりの祝福であった。
「じゃあね! アカリさん、だよね、姉ちゃんのこと頼みます!」
ルビアMはうなずいた。
「カオル、あとよろしく!」
「行きましょう、アキラ。皆が待ってる」
「―――うん!!」
アキラがうなずいた直後、突風と共に二人の姿は消えた。ルビアMの、常人の目には見えぬ速度での跳躍だった。追いすがろうとして間に合わず、両親はアキラがルビアMとともに永遠に去ったことを悟り、その場に座り込んだ。母は顔を覆ってすすり泣き始めた。
「何で…何でよぉぉ」
醜い泣き声にかまわず、カオルは残された窓枠から外を眺めた。
「私達、間違えたっていうの? 育て方を間違えたの?」
「…母さん……」
母の肩に手を掛け、父は慰めようと試みる。カオルは二人を見ずに、姉とその恋人が跳んでいった方角を眺めて答えた。
「間違ってたんだろうね」
「…何ですって」
「姉ちゃんの気持ちと全く向き合わなかった。自分達の望む将来だけ押し付けた。こうなるのは当然だったんだよ。…あんたたちの言う『幸せな家庭』なんて、最初から無かった」
そう言い切ったカオルの背中に、母が縋りついた。
「カオル! あんたは違うわよね、あの子なんかと違うわよね! 普通の子でしょう!」
この期に及んでまだそんなことにこだわっているのか。カオルはため息を吐き、最早なだめてやる理由もあるまいと、やや意地の悪い答え方をした。
「そうだね、俺は姉ちゃんと違うね。女の人には興味無いし」
「―――は?」
母が数歩後ずさる。振り向くと、母の醜くゆがんだ顔が見えた。まだ四十代になるかならないかの筈の年齢だが、倍近い年齢の老婆に見えた。父に至っては魂が抜けたような、どこまでも虚ろな目でカオルを見ていた。
「お、お前、まさか…」
「男の人にもそういう興味は無いよ」
「何、言ってるの」
「俺、アセクシャル? アロマンティック? っていうのらしいんだ。要するに恋とか性欲とか全く無い人、だってさ」
両親は…恐らくそのような言葉を聞いたことが無いのだろう、呆然として…その直後、意味を理解して恐慌状態になり、カオルに掴みかかった。
「お前…何を言ってるんだ…」
「好きな人がまだいないだけよ! ね! そうよね! いつか素敵な彼女ができるんでしょう!?」
「いやそういうの無理。キモい」
無表情で答えられ、母は絶望に膝を突いた。こうまで彼が冷静なのは、恋愛感情など彼にとっては何の関係も無い物…いわばどうでもいいことだったからだ。ただ姉と緋李の姿は、そういった感情を抜きに美しいと思った。
「学校のカウンセラーの人にも相談したんだ。何人かに聞いたけど、答えは同じ。異常者じゃないって判ってスッキリした。クラスのみんなも判ってくれたし」
スッキリしたというその表情は、自分が恋も愛も持たないで生まれたという事実に対し、まさに言葉通り何のためらいも戸惑いも無く笑っていた。そしていつかの食卓で問われたことを、カオルはもう一度答えてやった。
「だからさ、俺に好きな人はいないって言ったじゃん」
いわゆるお姫様抱っこの形でルビアMに抱きかかえられ、アキラは足元を通り過ぎる街を上空から見下ろしていた。今は祖母らが越したアパートに向かっており、そこで一度『通用口』に関する報告会をする予定だった。アキラはこれ以上ない程に幸福な笑顔で、ずっとルビアMにしがみついていた。
「こういうのも駆け落ちっていうのかな?」
そう尋ねると、ルビアMは優しい笑顔で答える。
「いうんじゃないかしら。ま、行先は同じ市内だけどね」
「…また捕まるんじゃないかな」
「大丈夫よ。見たでしょ、あの二人の魂の抜けたような顔。私のアキラを泣かせたんだもの、いい気味だわ」
とは言われた物の、両親の顔などもはや憶えてもいなかった。どうやら失望が過ぎたショックで、二人の顔そのものを認識できなくなったらしい。だが最早不要な情報だった。
「んー…どうでもいいや」
「そう。ならいいわ」
アキラの心はすっかり軽くなっていた。自分の心を押しつぶそうとする両親を捨て、これからはもう会う必要など無いのだから。あの家に戻ることは二度と無いだろう。置き去りにしたものはあるが、サイフにスマートフォン、愛着のある目覚まし時計、そして数日着まわす分の服がバッグの中にある。あとは緋李と仲間達がいて、ジュエルとパートナーのプルがいる。生きていくには充分であった。
「ねえねえ、アキラ、アカリ」
そのプルが、アキラの肩にぴょこっと顔を出した。
「なに、プル?」
「さっきチラッと聞こえたんだけど…」
プルは二人が飛び出した直後、カオルと両親の会話を話して聞かせた。話を聞き、アキラは弟の一面をここで初めて知った。
「そっか。だから女の子に興味が無かったんだ。アイドル雑誌を無理やり貸されたのもそれだ」
「なるほどプル。でも、クラスの子達には判ってもらえたみたいプル」
「ご両親が勝手に絶望しただけってことね」
そしてその結果を聞いて、アキラは吹き出し、そしてこらえきれずに笑い出した。両親が自分に押し付けた身勝手な『幸せ』を、弟は気持ち悪いとただの一言で切って捨てたのだ。これが爽快でなくて何であろうか。改めて、内心で弟の評価を上げたアキラであった。
そして高らかに叫んだ。
「―――ざまー見ろぉ!!」
空には一面を覆う『通用口』が浮かび、開門の時を待っていた。この門が開くその時こそ、正真正銘最後の決戦が始まるであろうことを、ブライド達は予感していた。
それは神の命運が尽きる時かもしれない、と天使たちは考えている。絶対不可能なはずの神の世界へ向かう方法に思い至ったアキラ達の作戦は、最早無謀ですらあった。ブライドも天使も、聞いた瞬間に全員がそう思った。
だがアキラさえいれば叶うのではないか。ブライド達はすぐにそう思いなおした。アキラは神の呪いを解く力を生み出した、この世界でただ一人の存在だ。彼女の恋はジュエルの浄化に始まり、いつしかブライド達を結束させ、天使に匹敵する戦闘能力をもたらした。今度もまた、叶えてしまうのではないか…そんな安心感すら、ブライド達の間にはあった。
幾度か日が昇ったその時、最後の闘いが始まる。闘いの後に世界にもたらされるのは、少女達の恋が起こす奇跡か、神がもたらす平和か。それとも―――。
―――〈ジュエル・デュエル・ブライド:第十三話Part3 END〉―――
3000PVオーバー。
ありがとうございます! ありがとうございます! 感謝のハラキリTake3
次回とエピローグにて本編は完結となります。




