すれ違い
目の前の光景が信じられずに、キールを見つめる。あれほどまで人間を憎み、それが良くも悪くも、生きる源になっていたというのに、今キールはそれすらも手放そうとしている。住処を追われ、仲間を奪われ、不条理な理由で差別される。結希には考えられないほどたくさんのものを失ってきたはずなのだ。
それでも、生きることだけは諦めることはなかった。それなのに、自分のせいでキールはその命すら、手放そうとしている。そんなこと、絶対にいけない――。
痛む肩口を押さえながら手を伸ばした。
「――っ」
止まらぬ血が、エドガルが用意してくれた浅瀬色の服を濡らす。悲鳴が喉元まで出かかった。それでも、無表情にキールに近づく黒衣の裾を掴む。放さないように、強く。
「なにを、しているのですか?」
静かに怒りを湛えるエドガルの視線に一瞬身が竦む。その様子は、マグマを溜め込んでいる活火山のようで、変に口を挟めばそれこそ命取りになりそうだった。慎重に言葉を選ぶ。
「――やめて」
「なにをですか?」
しらっととぼけて口にするエドガル。その彼の剣先を見ながら言う。
「あなたがしようとしていること。キールを、殺さないで」
「……」
エドガルは苦虫をかみつぶしたような顔で、結希を見る。
「――あいつは、あなたのことを傷つけたのですよ?それでも止めるのですか?」
「お願い。……もう、誰が傷つくのも見たくない」
切実に願いを口にする結希に、エドガルの瞳が一瞬揺れる。エドガルの体が傾き後方にたたらを踏んだ。結希とエドガルの間に距離ができる。俯いたエドガルの表情は、ベールのように重なる黒髪で見えない。エドガルの口が弱弱しく開かれた。
「どうして?まただ……。わたしはあなたを助けたいだけなのに。どうして言うことを聞いてくれない?どうして、どうして、ドウシテ――!?」
「……エドガル?」
「助けたいだけならば、どうしてリアーナを殺した?」
いつの間に来たのか、結希とエドガルの間に銀の毛並を揺らすキールが立ち塞がる。結希を背にかばうように、エドガルに向き直っている。その背中からは、先ほどまでの生きることを諦めていたようすは感じられない。そのことに、心底ほっとする。しかし、キールの聞いた内容に、疑問が浮かんだ。
「――?」
たしか、エドガルはキールがリアーナを殺したと言っていた。信じられないことではあるが、それを否定できないでいるのは、リアーナにウヴェーリの歯型があったからだ。そのため、ウヴェーリであり、リアーナと事件の日に会っていたキールをエドガルは疑ったのだ。しかし、キールはエドガルがリアーナを殺したのだという。
これは、一体……。
「しらばっくれるな!キールヴァトロフ、貴様がリアーナ様を殺した張本人のくせに、いまさらとぼけようとでも言うのか!!」
「――?とぼけているのはお前の方だろ!オレはリアーナが殺されたあの時ちゃんと聞いたんだ、エドガル様の命令だってな!!」
「――な!?」
エドガルが目を見開いている。身に覚えがないのか、顔に動揺の色が浮かんでいた。
(どういう、こと?)
かみ合わない二人の会話に首を傾げる。お互いが、リアーナを殺したのは相手のほうだと思っている。
(どちらかが嘘をついている?)
しかし、二人ともとても嘘をついているようには見えない。では、この状況は――。
なにか大きな誤解が生じているように感じられて、結希の心がざわついた。
「なにが、どうなっている?」
傍らに立つキールが呟く。エドガルも困惑の表情を浮かべていた。
「リアーナは、確かにあの時……」
続くキールの話の内容に、なにかが脳裏にちらついた。小さな波紋が広がるように、頭の中のイメージが徐々に鮮明になっていく。
いつものように、リアーナが城を抜け出してきた、あの日――。
キールの声が遠くなり、白昼夢のような光景に結希の意識は奪われた。
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リアーナは街に降りると、真っ先に待ち合わせをしている森の隠れ家へと向かう。道中、白銀の毛並を見つけて近づいた。
「遅い」
「ご、ごめん」
驚かそうと思ったのに、敏感に気配を感じ取ったのか背中を向けながら声が発せられる。耳に心地の良い低い彼の声に謝る。しかし、声色から彼、キールが本気で怒ってはいないということがわかる。
「そうやって驚かそうとするところは、昔と全く変わらないな」
「ん、それってまだまだ子供ってこと?」
「さあ」
そう答えるキールの声は笑っている。
(昔馴染みだからってバカにしているな)
少しむくれながらも、こうやって一緒にいられることがとてもうれしい。
ここ最近のウルスタ皇国は、ウヴェーリにとっては生きにくい国になってしまったから。




