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後ろ髪を引かれる


 思いがけない言葉に息が止まりかける。

待ち望んでいた機会だったが、それを仲良くなったとはいえ、まだ会って間もない女人の口から聞くとは思わなかった。正直言えばすぐにでも首を縦に振りたい。ここで乗らなければいつここから出られるかわからない。

けれど――。


「あなたはどうなるんですか?私を逃がすことによってあなたが責任をとることになるなら……」


 俯きがちに呟く。ここ数日、部屋に閉じ込めた張本人のエドガル以外には彼女だけなのだ、結希に接してくれたのは。夕暮れ時に一度だけ訪れるエドガル。それでも、一人の時間が長く、結希は本来ならもっと孤独で寂しい思いをしていたはずだ。もとの世界での結希がそうだった。それを感じずにいられたのは、優しく接してくれた彼女のおかげだった。だから、彼女を巻き込むようなことは、出来るならば避けたい。


「本当に、あなたはお優しい方です」


 顔を上げると、目を細め笑みを浮かべる彼女がいた。


「わたしがガラスで手を切った時も、あなたはまずわたしの心配をしてくださったでしょう?それが、どれだけうれしかったか」

「そんな、あれくらい……」

「結希様にとってはあれくらいのことでも、わたしにとってはそれだけで十分なのですよ」

 

 そう言う女人は、わずかに目を伏せた。


「でも……」


 まだ納得できないといった顔をした結希に、女人は自分の身の上をとつとつと語ってくれた。


「わたしはもともと、家族のいない無法地帯で育ったのです。そのためか、昔は人に優しくされるということを知らずにいました。手を上げられるのなんて当たり前のことでしたし、言われのない罪で汚く罵られることにもなんの感情も抱きませんでした」

「……」

 

 静かに語る女人の話に耳を傾ける。当たり前のように生きることを虐げられる。結希の知る現実とは違う世界だった。


「けれど、そんなわたしをリアーナ様は救ってくださいました。路頭に迷っていたわたしに綺麗な服と食事と職を与えてくださいました」


 昔を懐かしむように一瞬女人の目が遠くを見る。


「ですから、リアーナ様がいなくなってからは、心の光が消えてしまったかのようでした」


 触れれば脆く壊れてしまいそうなほど弱弱しい声。それが、より一層彼女の悲痛な気持ちをあらわしているようだった。そんな彼女の声に力が戻る。


「――結希様のおかげで、リアーナ様との約束を思い出せたのです」

「え?」

 

 頭上からの明るい声に顔を上げる。話の矛先が自分に向けられたことに驚く。女人の顔をまじまじと見つめると、くすりと笑われる。


「その自覚のなさも似ておられます。わたしは結希様のお力になりたい」

 

 それに……と女人は俯き気味に続けた。


「今のエドガル様は結希様に依存されておられるように見えます。リアーナ様と似ておられるあなたを丁重にもてなすことで体裁はとっていますが、閉じ込めていることに変わりありません。結希様には本当に、申し訳ないことを……」


 頭を深々と下げる女人に慌てて手を振る。


「そ、そんな!あなたが謝ることじゃ!!」

「しかし、主の行いを止められなかった責任は使用人にもありますので。――今のエドガル様は現実が見えなくなっておられます。あの時のように……」

「あの、時?」

 

 結希の呟きには苦く笑むだけで、女人はさらに続けた。


「このままでは、過去をくり返すことになります。――それではリアーナ様も浮かばれませんから」


 伏せられた目元に堪えるものが見えた。彼女にとっても、リアーナという人の影響は大きいものだったのだろう、そう思った。

 彼女は気丈に顔を上げた。


「ですからどうか、協力させてはもらえませんか?」

「……―――」


 その目はもう既に、すべてを決意しているものだった。この固い決意を捨ててしまうようなことは結希にはできなかった。


「無理は、しないでください」

「承りました」


 不敵な顔で女人は笑って見せた。


「では、明日のこの時間にお迎えに参ります」


 女人が礼をし、部屋を出ていく。タイミングの良いことに、首都より西方の街でウヴェーリの噂が立っているらしく、その偵察にエドガルが向かうことが決まったらしい。その留守のタイミングで、抜け出そうというものだった。

 女人が帰った後も胸の動悸が治まらない。なんだか悪いことをしているようで後ろめたく感じる。

 



 夕刻いつもの時間にエドガルがやってきた。


「明日は来られないかもしれません」

「そう、なんですか?」


 知っているのに、知らないふりをするのは心苦しい。しかし、こうでもしなければ、折角の機会が失われてしまう。


「そのお詫びといってはなんですが、あなたに贈り物を買ってきますね」

「え?」

「この国にはたくさんの特産品があるので。西方の街にも多くの名物があります。とても愉快なものばかりなのですよ」

「……」

 

 無邪気に笑うエドガルの目を見ることはできなかった。


(ごめんなさい)


 心の中で謝罪する。贈り物を携え帰ってきたとき、そこに結希はもういない。誰もいない部屋を見た時、彼はどれだけ悲しむだろう。


(……考えるのはやめよう)


 これ以上エドガルのことを考えれば抜け出せなくなる。そう思って思考を中断した。


「贈り物は嫌、ですか?」


 目を伏せていた結希のようすに、不安げにエドガルの瞳が揺れる。結希はできるだけ笑って見せた。


「いえ、楽しみだなって思って」

「――そうですか」


(うそだ。私は出ていくのに……)


 ほっと微笑を浮かべるエドガルに、笑顔を保てなくなる。

 これ以上エドガルの顔を見ていることができなくて俯いた。自分よりいくらか年上であるはずなのに、彼はどこか目を離せない。


それは、あのリアーナとの日々を垣間見てしまったせいなのか、それとも……。


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