囚われているのは誰?
途端、エドガルの瞳が昏く冷たいものへと豹変する。体が震えるのが自分でもわかる。それほどまでに、彼の存在は結希にとって恐ろしいものとなっていた。けれど、やはり希望をすてることはできない。
もう結希が消えて数日が経っている。置いてきてしまったアンナやキールが自分を探しているはずだ。ともかく、彼を説得してこの城から出ることができれば、また二人に会える。その時には、人の目に怯えることなく、堂々とキールが町中を歩けるような、そんな世界になってほしいと思う。
「お願い、します。ウヴェーリがみんな悪いわけじゃ……」
「うるさい、黙れ!!」
いつもの柔らかな物腰が消える。エドガルが振るった拳が円卓に置かれた小瓶にあたる。床へと落ちた花瓶が派手な音をたてて砕け散った。花はひしゃげ、水がこぽこぽと溢れ出す。
「――っ!!」
ガラスの割れる音に、思わず身を固くする。怯えたようすに気付いたエドガルが我に返ったように慌てて手をうろつかせ、眉をハの字にした。
「あ、すみません。怖がらせたかったわけでは……。だから、そんなに怯えないでください」
「……」
「仕方が、ないのですよ?あなたがウヴェーリのことばかり気遣うから――。口を開けばウヴェーリのことばかり。……本当に、嫌になる」
沈んだ声で、エドガルが言う。悲痛に表情を歪めている。ウヴェーリの話をするときの彼はいつもそんな顔をする。エドガルのようすがおかしくなるのは、いつもウヴェーリに関する時だった。
「どうして、そんなにつらそうな顔をするんですか?」
「……」
頑なに口を閉ざすエドガルに結希は小さく息をつく。これも毎度のこと。結希のこの問いにエドガルが答えることはなかった。この平衡線のまま時間だけが過ぎていくように感じる。
結希は下を向いてしまったエドガルの顔から視線を外すと、その手になにかが握られていることに気付いた。
「それは?」
エドガルはおもむろにそれを背に隠した。
「いや、これは、その。なんでも、ありません……」
「?どうして隠すんですか?」
あからさまにうろたえるエドガルに首を傾げる。なぜそんなにも必死に隠そうとするのだろうか。
素早く横に動くと、彼が後ろ手に隠したものがちらりと見えた。
「真っ白な、お花?」
「……」
俯いたままの彼が、まるで隠していたものを親に見つけられた子供のように小さくなる。それでも、なぜそれを隠すのか、まだわからない。
「どうして隠すの?」
再度問うと、観念したのかエドガルが溜息を吐いた。
「――あなたは高価なものを嫌がるので、これならばと。花瓶を壊しておいて、お花を持ってきていたなんていいお笑い草、ですよね。自分でもどうしようもなくて。こんなことをしても、いまさらあなたが許してくれるはずもないのに……」
呟きに答えることができない。確かに、現状結希を帰そうとはせずに監禁し、自由を奪い、ウヴェーリの迫害を止めようとはしない彼を許すことはできない。許してしまえば、今までのウヴェーリ達の思いをふいにしてしまうような気がするから。しかし、怖くはあってもどうしても彼のことを嫌いにはなれなかった。それは、こうやって結希を心から気遣ってくれる彼が見え隠れするからだ。
(そういえば、颯真くんのことも。嫌いには、なれなかったな……)
あれだけ酷いことをされても嫌いになれなかったのはきっと、優しかった彼を忘れられないからだ。結希のことを颯真だけが受け入れてくれたから。
エドガルと颯真は見た目は全然違っているのに、雰囲気や印象はよく似ていた。
「こんなことをして、迷惑ですよね」
自虐的に呟いて、エドガルが目を細める。瞳の奥に孤独が見えた。こんなふうに、たまに寂しそうな目で笑うところも、よく似ていた。そんな目で笑うから、結希はどうしようもなく放っておけなくなる。
「ありがとう」
ぎこちない笑みだったかもしれない。それでもエドガルに向ける気持ちに偽りはない。エドガルの目が見開かれる。
「――リアーナ様」
「リアーナ?」
「――っ!?」
自分の口からでてきた言葉に、エドガルがはっと口を押えた。おもわず出てきたものだったのだろう、エドガル自身が一番驚いている。
呟かれた単語に既視感を覚える。どこかで聞いた覚えがある。一体、どこで……。
「あ……」
(そうだ、この世界に来るときだ!それから、キールも口にしていたような……)
二人にとって知る人物なのだろうか。一体どんな人なのだろう。興味からエドガルをじっと見つめる。
「以前にも聞いたことがあるんですけど、リアーナ様って誰なんですか?よければ、教えてくれませんか?」
少しの沈黙が室内を包む。なにかを考えるようにエドガルが口元に手をあて、結希を視界にとらえる。
「すみません、今は、まだ……」
「――そう、ですか」
少し気落ちしながらも仕方ないかと気を取り直す。名を知る人物に会うことができただけいい。なにかある度に出てくる名だ。そのリアーナという人物が、なにか大きな意味を持っているように感じた。
「――かわりにはなりませんが、お詫びに次は五年に一度だけ咲く花を持ってきますね。今年咲くそうなので。ツヴィトークナディアという淡い水色の花なのですが、そちらもこのウルスタ国にしか咲かないとされる美しい花なのですよ」
嬉しげに語り、優しく微笑むエドガルに室内が暖まったように感じる。冷酷な皇帝というイメージは今のエドガルからは全く感じない。
(どちらかというと……)
甲斐甲斐しく結希のことを気遣うエドガルは従者かなにかのようだ。そう思ってから、相手は皇帝なのだと慌てて首を振る。現皇帝陛下に向かって従者みたいだと思うなんて、不敬罪かなにかで裁かれてしまいそうだ。
新しく花瓶を用意し花を生けるようすは、優雅で無駄な動きがなく洗礼されていた。彼の動きは波の立たない湖のように、澄んで静かだった。先ほどの怒りを露わにする彼とは別人のようだ。一体なにがエドガルをここまでかえさせたのだろう。
(おかしいの)
先ほどの寂しそうな瞳が思い起こされる。囚われているのは結希であるはずなのに、エドガルの方がどこか囚われているように見えた。
なにかに囚われているというのならば、彼のことも助けてあげたい、結希はいつしかそう思うようになっていた。




