誘拐
嗚咽を漏らしながらも、アンナがキールの問いに答える。
「そろそろ帰ろうって歩いてたら、道を聞かれて、アンナの方がこの街に詳しいから教えてあげてたの。後ろにおねえちゃんいたはずなのに。いなく、なってた――」
わぁーん、と泣くアンナの声が森に響き渡る。森全体が泣いているように、木の葉が強く揺れ、ザァーと騒ぐ音と共鳴する。
「――クソ!!」
こんなことをする人物に、心当たりがありすぎて嫌になる。
あの方角、田舎に不釣りあいな上等な馬車――。彼女を連れ去りそうな奴はあいつしかいない。自分が感じたものと同じものを奴も彼女から感じ取ったのなら、ありえないことではなかった。しかし、よりにもよってなぜこのタイミングでこんな辺境の地に――。
「エドガル・コンドラート」
喉がひりつく。怒りと、吐き気がするほどの嫌悪、憎悪が粘膜に絡み付く。ウヴェーリの迫害の決定打となった人物。ウヴェーリの、そしてウヴェーリを守ってきたリアーナの名誉を地の底まで落とした人物。
「許さない」
秘めた感情が濁流のように流れ出す。溜め続けた負の感情に底はない。
「待っていろ。いまこそ、あの時の借りを返す」
吠えるように叫んだ声が、森に響き、再度大きく森全体を揺らした。
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数時間前。
手を引くアンナと笑いあい、キールが待つ森へと向かう。反対側の手には、衣類、食料など買えるだけ買ったものが布袋に詰め込まれている。
「キール、きっと寂しがってるね」
「そうだね」
キールが寂しがる姿はあまり想像できないけれど、そうだったらいいなとアンナに笑い返した。二人で屋台が連なる大通りから一本裏に入る。途端に人気が減り、先ほどに比べ、道が寂しい印象になる。喧噪も遠くに聞こえた。
「あの、すみません」
「はい?」
急に話掛けられ、驚いて振り返れば、そこには中年の体格のいい男の人が立っていた。眉をハの字にし、困った顔でこちらを見ている。
「この街に来るのが初めてでして、迷ってしまって。道をお聞きしたいのですが……」
申し訳なさそうに言う男に、トップルに初めて訪れた結希はしどろもどろになる。
「す、すみません。えっと、私も初めてで……」
「アンナわかるよ!おとうさんが森でとったものを街に卸すのによく一緒に来ていたから!」
困っていた結希に、下からアンナが助け船をだす。結希は助かったとばかりにアンナにお願いと頼むと、アンナは役に立てるのが嬉しいのか、満面の笑みで大きくうなずいた。
「おお、それは助かります。ええっと、ここなんですが……」
男が持っていた紙を広げ行先を指し示す。アンナは結希の手をほどいて、男が広げた紙を覗き込み、説明のために前方を指し示している。役に立てない結希は、二人から離れた後方でその様子を見守っていた。
(アンナはまだ小さいのに頼りになるな―)
本来ならば年上である結希がしっかりしなければいけないのに、はじめから自分のことは自分でできるアンナには助けられっぱなしだ。幼さを残すあどけないその後ろ姿を見ながら、情けなく思っていると――。
「――っ!?」
強い力で口が塞がれる。目隠しされ、世界が暗転した。脇から腕を回され、そのまま足が宙に浮く。
「ん――!!」
あまりに突然のことに動揺しつつも必死に抵抗するが、そのかいむなしく浮いた足は宙を蹴るばかりだ。結希を抱えている相手が走り出したのか、体が激しく揺れる。その割に、足音が小さいことに驚く。アンナが結希を呼ぶ声は聞こえない。結希がさらわれていることに、気づいていないのだろう。
(アンナ、キール!!)
心の中で叫ぶ。口からは息がただ漏れるだけだった。
宙にいた時間はどれだけだったのか。おそらくそんなに長い時間ではなかったのだろうが、出来事がスローモーションのように長く感じた。ふと、脇に差し込まれた手と、口を塞いでいた手が離れる。新鮮な空気が肺に入る。それと同時に、なにか乗り物に押し込まれる感覚がした。
「――っ」
無理に押し込まれ、横倒しになりそうになる。目はまだふさがれたままなのでなにがあるのかわからないが、このままの勢いで倒れればなにかにぶつかるはずだ。衝撃に備えるように、暗い視界のなか強く目をつぶる。
「――?」
来るはずの衝撃が来ない。むしろ、体を包みこまれるように、抱き留められる。低く、静かな声が耳元でささやいた。
「大丈夫、ですか?」
「――!?」
こんな状況に似つかわしくない、穏やかな声。しかし、聞いたことのある声に、首を傾げる。
(この声、最近聞いた気がする)
ふと脳裏に揺らぐ街で出会った青年の顔が浮かんだ。それと同時に、視界を覆っていた布が紐解かれる。開けた光の眩しさに目を眇めながらも、あたりを見る。映画でしか見たことはないが、馬車のなかのようだ。しかし、映画で見た馬車よりもはるかに中は広い。紅の毛が立つソファ―のような座席に、左右の扉には小さな窓が設えられている。しかし、そのどれもが深い紫の布で覆われていた。座席脇にある小さな蝋燭が、馬車の中をほのかに照らしている。まだ夜ではないはずなのに、ひどく薄暗く感じた。しっかりと結希の体を支える顔を仰ぎ見る。
「あなた、は――」
結希の考えを裏付けるように、先ほど出会ったばかりの、青年の顔がそこにあった。




