新たな旅立ち
キールに乗せられ、アンナのもとへと戻る。
動揺させないように大まかに事の顛末を話す。クリメントが他の狩人達にウヴェーリの居場所を教えたということはふせて、その場に残ったということは話す。話しを聞いている途中アンナはなにも話さなかった。
唯一の家族であるクリメントが残ったんだから、冷静になんてしていられないよね。
アンナが泣き出してしまわないか。それならまだしも、自分まであの場所に行くと言わないかひやひやしながら様子を窺うと、アンナは少しだけ目に涙をためながらこちらを覗き込む。
「おねえちゃん。おとうさんは、死なないって言ったんだよね?」
「うん、そうだよ……」
確かにクリメントはそう言っていた。それを聞いたアンナはゆっくりとしかし強く頷き、結希へと小さく笑顔を見せる。
「じゃあ、大丈夫。おとうさん、アンナに嘘ついたことなんてないもん。だからアンナはおとうさんの言うとおり、おねえちゃん達と一緒にいる」
立ち上がり言うアンナの強い瞳に、自分がアンナを侮っていたのだとわかる。幼くともアンナは、結希の何倍も強い子だった。
「おねえちゃんも大丈夫だからね。アンナがおねえちゃんを守るから!」
拳を握りしめ、高らかに宣言するアンナが眩しい。そんなに自分は酷い顔をしていたのだろうか。気を遣わせてしまった情けなさで俯いてしまいそうになる。
小さな手が目の前に差し出された。幼い手の先を辿ると、はにかむアンナの顔があった。
「おねえちゃんが行きたいところへ、アンナもいきたい」
それは具体的な場所などではなく、ウルスタ国の未来へ、そう言っているように聞こえた。二の腕のあたりに、柔らかな毛がかすめる。いつの間にか、横にはキールがいた。
「オレも、いきたい」
そっけないが、とても温かい。
「うん」
この先どうなるかなんて、きっと誰にもわからない。それなら、今できることを、出来る限りの力で立ち向かえばきっと、どんな形でも未来は切り開ける。いまは、信じて進もう。
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分厚い本、参考資料が多く立ち並ぶ部屋。しかし埃っぽいことはなく、いっそ綺麗すぎるほど。それは毎日のように使用人が丁寧に掃除を行ってくれているからだ。部屋の奥、その中央には人一人が横たわれそうなほどの大きな黒塗りの机と、同じく黒塗りの長椅子がある。その長椅子に座るこの部屋の主は、卓上に無数に並べられた書類の一つ一つに目を通していた。
「……―――」
不意に響く慌ただしい足音に、眉根を寄せて重厚な扉の先を見つめる。艶やかな翡翠色の石の床に足を踏み入れたのは、額に汗の浮かぶ衛兵だった。
「エドガル様!!」
「――なんだ」
面倒そうにそちらを見遣る。城下での民の諍い程度ならば、ここまで報告しに来ることもない。嫌な予感に顔を顰める。
「急ぎの報せが入り参りました。北方にある森にてウヴェーリの村が発見されたとのことです!」
「――!?」
その内容にわずかに片眉があがる。迫害をうけてから今まで、どれだけ追跡しようともウヴェーリ達のねぐらを特定することができなかった。それが今になってなぜ……。
「現在、周囲の地区の狩人達がウヴェーリの掃討に取り掛かっているようです」
「そうか。北方の森といえば……。あそこにはワスレジの森があるな」
「は、はい!――あの、もう一つご報告が。そこには、その……」
「なんだ、はやく続きを話せ」
不自然に途切れた言葉に先を促すと、こちらを窺いながら衛兵が声を発する。
「――ウヴェーリの頭、キールヴァトロフの姿も見られた、という情報が……」
「……キールヴァトロフ」
嫌になるほど知る名を、久方振りに口の中で転がす。そのおぞましい名に虫唾が走る。
奴がようやく姿を見せたのか。この時を待っていた。
「忌々しいウヴェーリどもが。一匹残らず血の海に沈めてくれる!」
濡れガラスのような艶やかな黒髪が狂気に揺れる。いつもは白く滑らかな肌は怒りから紅潮し、涼しげな目元は吊り上り厳しい形相に変わる。その憑りつかれているかのような若い王の変わりように、衛兵はヒッと小さく声を溢した。こうなっては誰にも止められない。
彼の狂気を止められる唯一の者はいなくなってしまっていた。
「くくっ。北方の街といえば小都市トップルか――」
コロコロと愉快そうに言葉を転がす。軽蔑の笑みを浮かべ、狂気のままに振る舞う。止める者もなく壊れたままの彼は錆びついた心で涙も忘れ、ただ憎むべき対象の末路を脳裏に描いていた。
「予定変更だ。――わたしが行く」
「え、エドガル様が自ら赴かれるのですか!?それは……」
衛兵が言いよどむのを、鋭い視線で制止する。
「お前はわたしの決定に口を挟むのか?」
その言葉に衛兵は青ざめ頭を垂れる。
「そんな!とんでもありません!!ウルスタ皇国皇帝陛下であられるエドガル様に逆らおうはずもありません!!」
「ならば、黙って従え」
ウルスタ皇国、現皇帝エドガル・コンドラート。それが彼の名前。
傲慢な態度で衛兵を睨み据える。その瞳には他の者を見下す以外の色などない。
――彼女以外の者など、どうでもいい。
ガラス張りの大きな窓から、城下の街並みを望む。
彼女のいない街となってから今までずっと、灰色のまま色褪せて戻らない。




