残る者
「あ。ここに、いたのか」
しかし、草陰から現れた見知った顔に安堵の息を漏らす。
「びっくりした――。クリメントさんか」
「驚かせて、すまない」
申し訳なさそうに頭をかくクリメントのようすに、笑みを溢していると、クリメントが厳しく顔を引き締めるのを見て、結希もなにごとかと崩した表情を改めた。
「狩人達が、もうそこまで、来ている。はやく、逃げないと……」
「――それは、本当か?」
底から響く声を発し、キールが一歩前に出る。忠告するクリメントの声を遮るように、鋭くクリメントを睨む。その瞳は猜疑に満ちていた。
「お前だろう?このウヴェーリの村を他の狩人達に報せたのは」
敵意も露わにクリメントに食って掛かろうとするキールに、ウヴェーリの親子はぎょっとクリメントを見て、結希は冷や汗をながす。とうのクリメントはただ黙って下を向いている。
「き、キール、でもクリメントさんは……」
「いい、んだ。どんな理由があるにしろ、やった事実は変わらない。消えた命も、戻らない」
「で、でも……」
たしかに、そうなのだろう。起こった事実を変えることなど、だれにもできないのだから。アンナの命と引き換えに、ウヴェーリの命を差し出した。クリメントは許されないことをした。けれど、歯がゆい気持ちが残る。
「だから、償う機会を、与えてほしい。信じられない、かもしれないが……」
真直ぐな目でクリメントは結希とキールを見る。その目になにか不吉なものを感じて、結希は焦る。
「つ、償うって?」
「オイが、あいつらを、ひきつける間に、アンナを連れて、逃げてほしい。娘には、なんの罪も、ない、から」
「そんなのダメ!!」
叫ぶようにクリメントの服を掴む。
「アンナは泣いてたよ。お母さんが死んだのは無理をしているのを止められなかった自分のせいだって。そのうえ、たった一人の家族であるクリメントさんまでいなくなったら、アンナが、アンナが本当に一人になっちゃうよ」
「……」
クリメントは俯き、黙り込んでしまう。しかし、すぐに顔をあげ、断言する。
「オイは、死なない。だから、あんたたちには、逃げてほしい。どうか、お願いだ!!」
クリメントからめったに聞かない強い声と、真摯な眼差しに圧される。引く気がないのが伝わってくる。結希がなにも言えずにいると、他からも声があがる。
「わたし達も残るわ」
「うん、ぼくも」
「え?」
意志を決めた者の顔をした、二頭のウヴェーリが凛々しく立っている。
「あの時は、あなたにあんなことを言って、わたし達も酷いことをしたから。だから、恩を返させてくれませんか?」
「なにを……」
困惑の声をあげる。ここにきて、残ると言いだす者がいる現状に戸惑う。これにはキールも驚いたのか目を見張っている。
「キールさんも、守ってもらったのにごめんなさい。けれど、わたし達の村はここだけだから、どうしても離れられないから。ごめんなさいね」
やわらかく言う彼女に、キールが一瞬切なさに瞳を揺らす。けれど、それはあんまりに一瞬のことで、次の瞬間には感情を読ませない顔に戻っていた。
「わたし達に恩を返させて。あなたとキールさんは逃げて、わたし達の分まで。約束」
なにかを守ろうとする強い笑顔だった。こんなにも尊い命を、どうして奪われなければいけないのだろう。
「こんなの、間違ってる……」
手を伸ばすが、いままで脇にいたキールが前方に入り込んで来たことにより防がれる。いくらもがいても、大きなキールの体に邪魔される。その間に、クリメントも、ウヴェーリの親子も遠ざかっていく。
「や、だめ、だめだよ、こんなの!どいて、キール、キール!!」
キールはなにも言わない。ただ黙って結希の前に立ちふさがり、クリメント達の姿が見えなくなると、結希の首根っこを引っ張り、悠々と持ち上げ、自分の背にのせた。
「わ、わっ!!」
うつ伏せになる形でキールの背に放られた。大きなキールの背から地面まではやけに高さを感じ、思わず毛をギュッとつかむ。結希が背に掴まったことを確認すると、キールは振り落とさないように加減しながらも、ものすごいスピードで駆け出す。
「ま、待ってキール!!クリメントさんが、あの親子が、ウヴェーリ達が、まだ……」
「いまのアンタが戻ったとして、なにができる?」
「――!?」
固い問いの言葉に息が詰まる。それは、今までで最も痛い言葉だった。なにも言えずに口をつぐむと、下で小さく唸る声がする。
「それはオレもだけどな。けれど、あいつらはアンタに可能性を見出した」
「え?」
思いがけない言葉に目を丸くする。
「恩を返したいとだけ言っていたが、あいつらは感じていたんじゃないのか?人間なんか信じていなかったあいつらを変えたアンタなら、今度こそは人間を止めてくれる。そう思ったんじゃないのか」
祈りにも似た、儚い願い。しかし、その言葉が今はなによりも心に響いた。なんでもいい、自分ができることがあるというのならば――。
「私、決めた。この国を動かせる、首都の役人に会いに行く」
「それでどうする?」
「この現状を報せる。そして、ウヴェーリだって人間と変わらないんだってことを知ってもらう」
「いくらなんでも無謀だな、そんなこと。国を挙げてウヴェーリを抹殺しようとしているんだ。たとえアンタが人間でも、逆賊として首をはねられる。よくて一生牢の中だ」
結希を牽制する言葉。無謀だと、心配する声色だった。キールにとって大嫌いな、人間であるはずなのに、キールはそんな結希を心配してくれる。ごめんね、とキールに心のなかだけで呟いて、いまにも恐怖で消え入りそうになる決意をそれでも口にする。
「無謀でもやる。なんだかそうしないといけない気がするの。……私は、そのために、いまここにいるんじゃないかってそう思うから」
鼻をならすと、キールはぶっきらぼうに言う。
「ふん、勝手にしろ」
「……うん、ごめん」
「――オレも行く」
「え?」
予想だにしなかった言葉に聞き返す。結希をのせて走るキールの背からでは、彼の表情は見えない。
「オレも行く。――アンタだけじゃ、不安だから」
「……ありがとう」
いつものそっけない音の言葉に心が温かくなる。そうだ、本来キールはとても優しいひとなのだ。困っている者を放ってはおけない。
結希は掴んだ白銀の毛越しに伝わる、キールの体温を感じていた。




