争いの前兆
「おかあさん、アンナね、お友達ができたんだよ!ほら、ゆきおねえちゃんと、キールっていうの!」
アンナが紹介するように、後ろに立ち尽くす結希とキールに視線を向ける。キールはそっぽを向いたままだったが、否定するようなことも言わない。結希はためらいがちに前に出て、石に手を合わせた。
「おねえちゃん?」
アンナは不思議そうに見る。
「手を合わせて、なにをしているの?」
行動の意味が分からないとでもいうように、目を大きく瞬かせ、アンナは首を傾げている。この国には手を合わせるという風習はないのかもしれない。
「えーと、これはね、私がもともといた場所でやっていたことなんだけど。こうやって手を合わせることで、思いを込めるの、亡くなった人に伝わるように」
「へー、そうなんだ!」
アンナは笑顔になると、結希をまねるように両の手を合わせた。
「おかあさん、おねえちゃんもキールもすっごく優しいの!!」
笑って墓石に話しかけるアンナの横顔を見る。透きとおった瞳が見ていてとても眩しかった。辛い思いをしてきたはずなのに、アンナはどこまでもひたむきだった。そんなアンナに習うように結希も話しかける。
「はじめまして。アンナちゃんとクリメントさんのおかげで私もキールも本当にとても助けられています。なにかあればこちらも手助けをしたいと思っています。だから、――だから心配しないでください」
強くそういえば、アンナは目を白黒させた後、泣き出しそうな目をして笑っていた。キールもその様子を見つめる。その目は優しく、当初の暗さなど感じさせない。
アンナが母親の話しを楽しそうに語ってくれる。しばらくそうやってアンナと墓石の前で話していると、後ろにいるキールから声がかかった。
「おい、そろそろ――」
「――?」
ふいに首を巡らせたキールに首を傾げる。森の奥に目をやると、遠くのなにかを見通そうとするようにキールは目を細めた。厳しいその目つきに、結希の体が強張る。
「キール、どうしたの?」
「静かに!!」
突き刺すような言葉におもわず息をとめる。耳をぴくつかせ、しばらくの静寂の後、キールは突然走り出した。
「き、キール!どこに行くの!?」
返事を返す余裕もないのか、後ろを振り向くこともなく、キールは元来た道をものすごいスピードで引き返していく。
「ま、待って!!」
結希とアンナも慌てて後を追うが、四足で走るキールに追いつけるはずもなく、だんだんと距離が開い
ていく。けれど、キールが向かっていく先の検討はついた。道を引き戻してきてから、物々しい音が結希の耳にも聞こえてきたから。
「……おねえちゃん」
隣を走る結希の手をアンナがつかむ。細かく震えるその小さな手を、励ますように力強く握り返した。キールの姿を捉えることは完全に出来なくなったが、キールの消えた先を進むごとに音は大きくなっていく。だんだんとどのような音なのかも認識できるようになってきつつある。たくさんの足音と、なにかがぶつかり倒れるような音、怒鳴り声、悲鳴、叫び声、感情の波。
「――っ」
この、道は……。
それは、先日キールとともに訪れた、ウヴェーリの村へとつながる道だった。クリメントの家からならば、北東の方角に進む道。脈が速くなる、アンナとつないだ手に汗がにじむ。無意識につなぐ手に力がこもった。
「おねえちゃん?」
アンナが不安気に結希を見上げる。気遣うようなまなざしに、自分を叱責する。まだ幼いアンナだって不安なはずなのに、それなのに気を遣わせてどうする。キールもクリメントもいない今は、自分しかアンナを守れる人はいないのだ。怯んでなどいられない。
「大丈夫だよ」
なけなしの笑顔をつくりアンナに向き合うと、アンナはコクリと頷いた。
正直に言えば、これ以上先に進みたくない。しかし、進まなければ。この渦中にはキールがいるはずだから。
森の茂みから、記憶に新しい開けた場所に出る。
途端、赤色に世界が浸食されていく。真っ白な雪がほの暗い赤色に色を変える。まるで、ペンキをこぼした後でも見ているようだった。でも、どうやら違うらしい、だって頭が、脚が、無造作に転がっていたから。
「――ぃや、キャー―!!」
アンナの叫び声が木霊する。頭が状況を理解するよりもはやく、結希はアンナの目を手で覆い隠していた。それでも、漏れ出た叫びはアンナのもので、見てしまったものを変えることなどできはしない。
目の前には、人間とウヴェーリの死体が転がっていた。死体というよりも肉塊に近いかもしれない。
ウヴェーリの死体は、刃物で切り付けられた又は切断されたものや弓で射抜かれたものが多い。人間の死体は噛み千切られたものが大半だった。本体から離された直後の体の一部だったものは、自分はまだ生きているというようにピクピクと動くものもあった。いまだどくどくと流れ出す血が白く美しかった雪を染め上げていく。人間、ウヴェーリ合わせて二十ほどの死体があるように思われた。
森の茂みに、アンナを隠すようにしゃがませる。
「アンナは、ここで待ってて」
それだけ言って立ち上がろうとした結希は、なにかに引かれてうまく立ち上がれなかった。アンナの方を向く。結希の上着の裾をアンナは強くつかんでいた。
「い、行かないで」
顔を歪ませるアンナと目が合う。いまにも泣き出しそうなアンナを抱きしめる。大丈夫だから、囁いて頭をなでる。しかし、アンナは駄々をこねるように首を振る。
「いや、嫌だよ。……おかあさんも、大丈夫だって言ってた。でも、おかあさんは死んじゃった。大丈夫じゃなかったのに、アンナが止めてあげられなかったから、おかあさん無理して死んじゃったんだもん。アンナのせいだもん!」
「アンナ!!」
泣き叫ぶアンナの体を離し、目を合わせる。恐怖で、喪失感に浸かったその瞳を救い上げるように、やわらかく微笑む。
「それは、アンナのせいなんかじゃないよ」
「でも……」
「それに、アンナがそうやって自分のことを責めているの知ったら、おかあさんはきっと悲しくなっちゃうんじゃないかな」
「……」
「アンナのおかあさんは、自分が無理しちゃったのはアンナのせいだって思うかな?」
「……おかあさんは、そんなこと思わない」
「でしょ?」
俯きながらも、涙を止めたアンナに、ほっと息をつく。それから、ウヴェーリ達のいると思われる場所へ視線をうつす。転がる死体の奥に、動く生き物の影が見える。
「あそこには、キールがいるはずだから行かないと。ごめんね」
「……」
よほど強く握っているのか、上着を掴んでいるアンナの手が白んでいく。体を離し、俯くアンナの顔を覗き込むと、不敵に笑って見せた。
「危なかったら、すぐに逃げ帰ってくるから。ね?」
片眉をあげて言う結希に、アンナの目がふと細まり、小さく笑った。
「そんな、自信満々にいうセリフじゃないと、思う」
鼻をすすりながらいうアンナに、そう?とまた笑って見せた。心の中は恐怖でいっぱいだから、よほど強張った笑顔だっただろうけれど、それでもアンナはつかむ手を離してくれた。
「おねえちゃん、絶対にムリしないでね」
「うん、約束する」
「約束」
もう一度アンナの髪を梳くようになでてから、結希は立ち上がった。かすかに震える足を叱咤する。
一際喧噪の大きな方角へと足を向けた。




