後編(辺 鋭一 さん作)
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勧められるままにソファへと並んで座った俺とリリアは、その対面に座った金色の少女――年齢的には同年代だが――、赤水生徒会長が雨水さんへと手の動きだけで何かを指示してから俺たちに向き直るのを見ていた。
「……さて、本日は遠いところご足労頂きありがとうございます。陰陽師の穂高・理人さんに、ドラゴンのリリア・フェレ・ヴィトシャさん。私は生徒会長の赤水・妖香です。どうぞよろしくお願いします」
俺たちが部屋に入ったあたりでちょうど鐘が鳴り、部屋の外から聞こえる音がだんだん大きくなってきているが、そんな騒音すらもわきに控えさせてしまいそうなほどの存在感を放ちながら、彼女――赤水さんはそう言った。
俺たちの名前や種族などを知っているのは、おそらく資料が送られていたからだろう。
もちろん、俺たちの方にも最低限の資料(雨水さん、赤水さんの名前と役職程度)は来ているが、彼女の種族はきいていない。
……雨水さんや俺と同じ人間、ってわけじゃなさそうだな……。
なんとなくの勘でそう思いながら、悩んでいても仕方がないので尋ねてみることにした。
「――赤水生徒会長は、どんな種族なんですか?」
「あら、ずいぶんと直球な質問ですね。……まあ、素直に答えてあげてもいいのですが――」
先ほどまでの凛とした表情とは打って変わり、何か面白そうなものを見つけた子どものような笑顔を赤水さんが見せるのと同時に、今まで奥で何かをしていた雨水さんが戻ってきた。
その手にはお盆を持っており、その上に三つの容器が置いてある所を見ると、どうやら雨水さんは飲み物の用意をしていたらしい。
雨水さんはそのうちの二つ、何の変哲もない湯飲みを俺とリリアの前に置くと、そのまま赤水さんの横に歩いていき、お盆に乗った容器の内の最後の一つ――グラスを赤水さんの目の前に静かに置く。
俺たちの前に置かれた薄緑色の液体――おそらくお茶――とは容器も違うが、何よりその色が違う。
透明なグラスゆえにはっきりと見えるその液体の色は鮮やかな赤色。
それも、普通に赤い絵の具を溶かしただけでは表現できないような粘度の濃そうな液体だ。
赤水さんはそれを俺たちの目にはっきり見えるように掲げ、
「――口で言うよりも、これを飲んで見せた方が早いでしょうね」
と言い、そのままゆっくりとそのグラスを口に運ぶ。
その様をじっと見ながら、俺は密かに、しかしはっきりと息をのむ。
「……リリア、あれが何だか、わかるよな……?」
「ええ、はっきりとわかります。私達のごく身近にある物ですから……」
その声を聴いているのかいないのか、赤水さんはグラスを口に運ぶ速さを一切変えない。
ゆっくりと、しかし確実に、液体は彼女の口へと近付く。
そしてついに、グラスのふちが彼女の桃色の唇へと触れ、赤い液体が口の中へと流し込まれる。
そう、その液体は、俺たちが生きていくのに欠かせない、とても重要な――
「「――タバスコだな(ですね)」」
「――――――――!!!???」
赤水さんが、生きていくために(食事をおいしくいただくという意味で)欠かせない重要な調味料を口に含んだ数秒後、彼女は目をカッと開き、口を押え、涙がにじみ出る瞳で隣に立つ雨水さんを睨み付けた。
だが、当の雨水さんはその視線を真っ向から受け止め、それでいて飄々としながら俺たちが入ってきた扉を指し示すと、
「吐き出すのならすぐそこにトイレがありますから、そこでしてきてくださいね。水道でやられると『会長が吐血した』って騒ぎになりますから」
赤水さんは何かを言いたそうにしながら雨水さんに詰め寄ろうとするが、口をふさいだままでは何も話せないと悟ったらしく、すぐさま踵を返すと扉に駆け寄り、勢いよく乱暴にあけると飛び出して行った。
後に残された俺たちは呆然とするばかりだったが、そんな様子を見かねたのか、雨水さんが声をかけてきた。
「――さて、お二人とも、これで彼女がどんな種族かわかりましたか?」
正直良くわからなかったが、思考することは大切なのでとなりにいるリリアと相談しながら考えて見る事にする。
「……どうだリリア、わかったか?」
「いえ、ただ辛いモノが好きな種族なのかな、としか……」
「なるほど……。いや、もしかしたら人よりも味覚が鈍い種族なのかもしれない。だから強い味の物じゃないとおいしく食べられないんじゃないか?」
「へえ、そういう事も有るんですか……。理人さんは物知りですね」
「いや、俺もそういう事があるって聞いたことがあるだけだから、大したことはないよ」
「いえいえ、そんなことないです。理人さんはすごいです」
「いやいやいや、そんなことは――」
「いえいえいえいえ、そんなことは――」
なぜか途中で思考方向が変わったような気もするが、気にしてはいけないのだろう。
例え雨水さんが『うわぁ……』みたいなことを言いたそうな顔を向けていても、俺にとってはリリアの事が最優先であり――
「――雨水君!! これは一体どういう事よ!?」
――っと、異次元に跳んでいた俺たちの思考を現実世界に叩き落としたのは、開け放たれた扉の前に立つ赤水さんの怒声だった。
彼女はそのまま部屋に入り扉をしっかり閉めると、涙があふれる目をぬぐいもせずにずかずかと部屋を横切って雨水さんへと近付いて胸ぐらをつかみ、
「なんであんなものを用意したのよ!? 私がお願いしたのは普通の血だったはずでしょう!?」
「それが、いろいろ手を回したのですが良い物が手に入らなかったんです。なので代用としてよく似た色の物を使うことにしました」
「だからってなんでタバスコ!? 口の中が辛いを通り越して痛くなってきたわよ!?」
「僕特性のタバスコジュースですからね。アクセントとしてハバネロのすり身をトッピングしてあります」
「何で!? 何で辛いものに辛いものをトッピングしたの!?」
「会長を困らせる為以外に何か意味があると思うんですか?」
「ですよね!?」
俺たちが見ていることも忘れたのか、二人はひたすら言い合っている。
もっとも、雨水さんは叫んでいる赤水さんを軽くあしらっているだけだったが。
「ちなみにあれ、かなり辛いと思うんですけど、なんで飲もうと思ったんですか?」
「雨水君が飲ませようとしたからよね!? しかもさりげなく臭いにまでこだわってたみたいだし!!」
「そりゃあ代用品ですからね。臭いもしっかり血に近付けました」
「だったら味も近付ける努力をしなさいよ!!」
「それだと会長が喜んじゃうじゃないですか」
「それでいいでしょう!? なんで私が喜んじゃダメなのよ!!」
「……会長、あんまり興奮すると体に悪いですよ?」
「タバスコ一気飲みする方がよっぽど毒で――」
「――ほら、これでも飲んで落ち着いてください」
「……? あ、血だ! しかも私の好きなAB型! わーい!!」
ずっとものすごい剣幕で怒鳴っていた赤水さんだったが、雨水さんがどこからか取り出した物を見て急に態度を変えた。
それは赤い液体の入った透明なパックであり、その表面には何やら細かい文字が書かれた大きいシールが貼ってある。
そして、その文字の中で目立つように大きな文字で『AB』と二文字のアルファベットが印字されている。
それを嬉々とした表情で受け取った赤水さんは、これまた雨水さんがどこからか取り出したストローをそのパックに差すと、その管をくわえて赤い液体を口の中に流し込んで行く。
今度は先ほどと違って暴れたりはせず、赤水さんはおいしそうにその液体を飲み下している。
「……雨水さん、それって……?」
その光景を唖然と見ていた俺だったが、隣から聞こえてきたリリアの声で正気を取り戻し、雨水さんの方を見る。
俺たち二人から視線を向けられた雨水さんは、疲れたように肩をすくめながら言う。
「見ての通り、これは血です。正真正銘数日前にとれた新鮮なAB型の血液です。しかもこだわりの成分無調整」
「……じゃあ、赤水さんの種族は……」
ニコニコ笑顔を浮かべ、鼻歌まで奏でながら機嫌よく血を吸い続けている赤水さんを横目で見ながら、雨水さんは俺の問いに簡潔な解を与えてくれた。
「――ええ、この人の種族は吸血鬼です。かなりメジャーな人外、いわゆるモブキャラ的存在ですね。」
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あれから少し経って、血を全部飲み干してご満悦になった赤水さんは、制服のポケットから取り出した小さなケース(『口臭壊滅! ブレスクリア』と書かれている)からタブレットを一粒出して口に放り込んでから再び俺たちに向き直った。
その雰囲気は先ほどまでと180度変わっていて、俺たちはその様子に戸惑いながらもここへ来た要件を伝えることにした。
「……なるほど。つまり、この学園に在籍している人外たちの戸籍を作り、管理したい、と?」
「はい。私達の組織では、世界中の人外たちの情報を管理・保存しています。その手の情報は一つの所にまとめておいた方が、もしもの事態に対して有効に動けるということは、わかっていただけると思いますが……」
「情報の一元化の利点は十分にわかっています。もちろん、それを行った場合に起こる弊害の事も、十分に」
……まあ、そういう反応がくるよな……。
物事の有り方を大きく変えるということは、それだけの利点を得られるのと同時に歪みも生む。
しかも今回の要求は『個人情報を明け渡せ』という理不尽な物だ。抵抗感を持たれるのも当たり前の事。
それでも変革を起こさせるためには、その利点がどれだけ素晴らしいかということをアピールし、同時に歪みの解消法を提示する必要がある。
……でも、それよりもまず、『信用』なんだよな……。
そう、どんなに良い条件を提示できたとしても、『その条件をしっかり満たしてもらえるか』という疑念を払拭するための証――『信用』がなければ、どんな物事も認めてはもらえない。
本来、この接触はその『信用』を得ていく為の最初の段階である。この段階でこちらの思い描いているものをすべて実現できる訳もないのだが、それでも不用意なことをすれば後の交渉に影響を及ぼすことになる。
……まあ、後の交渉の為にも、できるだけいい影響だけを残さないとな。できれば相手の要求を聞き出して、信用を得る為の切り口を作っておきたいけど……。
最初から大きなモノを望めば待っているのは身の破滅であることは、短い人生しか送っていない自分でもしっかりわかっている。
だから、少しずつ、焦らずに――
「あなた方の組織に我々の情報を管理していただいたとして、我々にどのような利点があるか、具体的に教えて頂けますか?」
「私達の組織は世界中に手を伸ばしているため、把握している人外の種類や数はとても多い。ですので、もしここに在籍している方が何らかのコミュニティーと接触したいと思った場合、適切な段階を踏んだ後にその望みをかなえることができます。また、何らかの種族的な問題が起こった場合、その問題を解決できる人材を探し出し、協力を仰ぐことも可能となります」
あまり頻繁に行われることではないが、それでも前例がないわけではないのでそのことを伝える。
その言葉を聞き、赤水さんは一つ頷くと、
「その協力内容に、戦闘に類するものが含まれることは有りますか?」
「ないとは言いませんが、可能性はかなり低いと思います。何より、正式な職員でもない限りそのような危険な任務は言い渡されませんし、協力の打診は断ることもできます」
「……そう」
赤水さんは感情のこもらない声色で呟くようにそう言うと、一度目を閉じ、そして俺の目を睨み付けてきた。
「――大前提として、これだけは伝えておきます。私を含めたこの学校の人外生徒・職員は、全員人間社会への帰化を心より求め、目指しています」
叩きつけるように、はねのけるように、拒絶の意思をその身にあふれさせながら、彼女は言う。
「だからもし、万が一彼らが望まない非日常に彼らを導こうとしたなら――」
――ワタチタチハ、アナタタチヲユルサナイ……!
その瞬間に見た目はごく普通の美少女が放ったのは、俺が思わず服の中に仕込んできた武器類に手を伸ばしかけてしまうほどの覇気だった。
となりに座っていたリリアも左掌をソファーに置き右手はフリーに。さらに少しだけ腰を浮かせていつでも飛び掛かれるようにしている。
……だけど、ここで動いたら意味がない……。
ここに来た当初の目的を思い出し、俺は手から力を抜くとそのままリリアの肩にポンと置き、少しだけ力を込めてしっかりと腰を下ろさせる。
そして全身に残った力をため息一つで体外に吐き出して、今一度彼女の目を見つめ返しながら、はっきりという。
「我々の仕事は、皆が平穏を得るためのお手伝いをすることです。そのために誰かを不幸にするなんて本末転倒なことは絶対に起こしませんし、起こさせません」
俺が平静をできる限り保ちながら言ったその言葉を、赤水さんは正面から受け止め、そしてしばしの後に体から力を抜くと、
「……今の所は、その言葉を信じましょう。それに、どの道あなた方の要求を今すぐ叶えることはできません。これからその案を上に報告して判断を仰ぎ、さらにはそれぞれの人外たちに許可を取らなければいけませんから」
「話を検討していただけるだけでも十分です。我々を信じて頂き、ありがとうございます」
「まあ、今の段階であなた方に疑う要素は見受けられませんでしたし。……ただ、先ほど私が言ったことは私個人の意見ではなく、我々全体の意思であり、私達の長でもある反川・太刀理事長の意思でもあります。もしそれが破られた場合、私達も相応の反撃をさせて頂かねばなりません」
「……相応の反撃、というと?」
俺の大切な人たちに危害が及ぶのではないかという不安に駆られ、俺は彼女にそう問いかけた。
すると彼女はにやりと不敵な笑みを浮かべながら、
「……先ほど明かした通り、私は吸血鬼です。伝承などでも有名な私たちの能力、お分かりですよね……?」
そう言った彼女のその顔は、なんだか黒い物を感じる笑顔だった。
……吸血鬼の伝承……。その能力をフルに使われたら、俺たちの住むところなんか簡単に滅茶苦茶にされる……!
先ほど雨水さんは吸血鬼の事をありふれたモブキャラなんて言ってたけど、とんでもない事だ。
伝承通りならば、吸血鬼の持つ能力は多岐にわたる。
吸血による人間の眷属化など序の口であり、動物の使役、体を霧にするなどの多彩で対処の難しい技をいくつも持っている。
「……例えば、動物を自由自在に操る能力。これを使って大量のネズミたちをあなたの家へと送り込み――」
……まさか、柱をかじり折って家ごと押しつぶす気か……!?
「――毎晩屋根裏で大運動会を催させたり、とか」
……………………えぇぇ……?
「どたどた走り回って安眠妨害……!? なんて恐ろしいことを考えるんですか!」
リリアが顔を恐怖にゆがめながらそういうのを、俺はなぜか冷静な頭で見ていた。
その反応に気をよくしたのか、赤水さんは口元を吊り上げて悪役っぽい笑顔を浮かべながら、
「例えば、体を霧にしてどんな隙間からでも忍び込む能力。これを使って貴方たちが寝ているうちに――」
……まさか、寝こみを暗殺する気じゃ……!?
「我が一族で一番屈強な刺客があなたの耳に生暖かい息を吹きかけるわ!!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁ!?」
「ちょ、どうしたんですか理人さん!? いきなり叫びだして……え? 青いつなぎはもう嫌だ? 失せろ金髪ホモ神父? 絶対にヤらないぞ? 何を言っているのかわかりませんよ理人さん!?」
ひとしきり錯乱した後、俺の脳内でいい笑顔を浮かべながらサムズアップしていた変態神父をボコボコにしてからソファーに座り直し、すっかり冷めてしまったお茶をすする。
そして自分が普段通りであることを確かめてから赤水さんに向き直り、
「そんなことをしなくとも、我々はあなた方に害をなすことは有りません。ご安心ください」
「……まあ、あれだけ取り乱されれば完全に信用しても良いような気はしてくるけど……」
なんだか若干引きつった表情を浮かべながら、赤水さんはそう言った。
どうしてそんな顔をしているのかはわからないが、気にしないほうが良いだろうと判断し、交渉を続けることにする。
……とりあえず、交流の第一歩としては及第点かな。後はもう少し引きつけるために……。
「――これは、我々全体の考えではなく、あくまで私個人の考えですが……」
「構いません、聞かせてください」
そう言って居住まいを正した赤水さんへと、俺はとっさの思い付きを脳内で必死にまとめ、紡ぎ出す。
「……先ほど、この学校に通う人外の方たちは皆、人間社会への帰化を求めている、とおっしゃいましたよね?」
「ええ、ここはもともとそういう方たちの為の場所です。なので、ここに通う方々全員の意思を確認し、絶対に帰化したいという強い気持ちを持った方のみを招き入れ、指導や援助を行っています。……まあ、当然一緒に過ごす人間たちへの影響も考え、安全指導も万全にしなければなりませんが」
それがどうか? と尋ねてくる赤水さんに、失礼を承知でもう一度質問をぶつける。
「例えば、我々の影響が及ぶ範囲内でそういう意思を持った人外が発見された場合、あなた方の協力を得ることは可能でしょうか?」
「当然です。事前に様々な調査を経ることになるでしょうが、そのような方の望みを叶えられないようでは、ここの存在意義が揺らいでしまいます」
「……ならば、私はここに一つの提案を行います」
これから行うことは上層部に対して全く伺いを立てていない、俺の独断だ。
一応単なる提案であり、その事もしっかり明言してあるから越権行為にはならないはずだが、それでも緊張はする。
その緊張を少しでも追い出そうと大きく息を吐くと、膝の上で握り拳を作っていた俺の手が、ふと優しい温かさに包まれる。
何かと思い視線を下に向けてみると、俺の手が隣から伸びてきた手に包まれているのが見えた。
さりげなく隣をうかがってみると、視線を前に向けて赤水さんたちを見据えながら、手だけを俺の方へと伸ばしているリリアの姿があった。
ばれないようにしているようではあるが、それでも少しだけ赤面しているのが俺にはわかり、なんだか気持ちが楽になってくるのが感じられた。
……ああ、俺は幸せ者だ……。
そう改めて実感するのと同時、俺は拳の力を抜くと、リリアの手に包まれているのとは逆の手をその上に乗せながら、言う。
「今後我々が保護した人外の内、帰化を強く望む者達の支援を、合同で行ってはいただけないでしょうか?」
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この施設の事を最初に聞いて、思い出したのはリリアの事だった。
一応人との関わりは最低限有ったとはいえ、森の奥深くで育ったリリアは、とある事件に巻き込まれて俺と出会ったとき、ひどく怯えていた。
その時は後先考えず必死で動いたが、そのおかげで何とかリリアは今みたいに落ち着いている。
……だけど、一歩間違えていたら……。
たぶん、人間を見るだけで怯えて動けなくなってしまい、故郷の森の中に隠れて一生を人とかかわらずに過ごしていたという未来も、ありえただろう。
そして、今後もリリアみたいな事例と出会うだろうし、そうなったときにまた同じようなことができるとも限らない。
だから、この施設のことを聞き、そして実際にここに通う人外たちの顔を見て、とても魅力的に思えたのだ。
たった数人しか見ていないけど、ここにいる人外たちは例外なく、とても良い顔をしていた。
なかにはひどい過去を持っている人もいるのだろうけど、それでも毎日が充実していて、そんなことは思い出す暇もないのだろう。
そんな良い表情を生み出せる技術が、この先絶対に必要になると、俺は思う。
だから――
「我々の活動範囲は広く、任務の内容によっては人外の方を保護することもあります。その人外たちが人間社会で生きていきたいと願った場合、それを叶えるための手段が、我々には不足しています」
本来、Li-Reの活動目的は『魔術師同士の交流の手助け』であり、人外関連はついでで行っているような面もある。
それゆえに、そういう人外たちへの精神的な対処へのノウハウが欠けている感は否めない。
そして、精神に傷を負った場合、対処が遅ければ最悪の事態にだって発展し得る。
だからこそ、今のうちに手を打っておかなければならないのだ。
「今はまだ具体的な案を出せませんが、例えば今まで行ってきた指導について詳しい方を講師としてこちらに派遣して頂いたり、あるいはこちらの依頼という形で、保護した人外をそちらで受け入れて頂いたり等が行えるのならば、こちらとしてもありがたいです」
俺が一人で考えた稚拙な案であるため、当然穴だらけで決め直さなければならない箇所も数多くある。
だが、
「そちらへの対価については、私の立場では現状で何かをいう事はできません。ですが、どうかご一考お願いできないでしょうか」
俺が座ったまま頭を深く下げると、隣からも同じように頭を下げる衣擦れの音が聞こえてきた。
そしてそのまま待つこと数秒、じっと俺たちの事を見ていたらしい赤水さんが一つ頷くような音を立て、
「なるほど、現状ではまだまだ詰めなければいけない点は多々ありますが、とても興味深い提案です。特に、他の種族と交流の無い方たちは私たちの存在を知らないという方も多いので、あなた方と協力すればその方々とも交流できるという利点もあります」
そこまで言うと彼女は一つ息を吐き、『頭を上げてください』と言った。
その言葉に従い顔を上げると、彼女は眼を少しだけ細めた自然な笑顔を浮かべて、
「今のお話、私から理事長に報告しておきましょう。我々としても、有益であると判断できます。今後とも、あなた方とはより良い関係が築けることを願っています」
と言いながら、俺の方へと手を伸ばしてきた。
それの意味を悟った俺は、すぐにこちらからも手を伸ばし、固く握りあう。
「――こちらこそ、これからよろしくお願いします」
そう告げてもう一度頭を下げたところで、いきなりどこからか電子音が聞こえてきた。
何事かと頭を上げて辺りを見渡す俺だったが、目の前にいる赤水さんはあわてずに傍らの雨水さんを見る。
その視線を受け、雨水さんは一つ頷き返すと制服のポケットに手を入れて携帯を取り出し、二三の操作の後耳に当てる。
「――はい、僕です。……ええ、はい、はい……」
その後、時間にすると約数分間、相槌を打ちながら誰かと話しをしていた雨水さんだったが、
「――わかりました。ではお手数ですけど、こちらに連れてきてください。……はい、はい、では……」
と、そう言って通話を切った。
それを見て、赤水さんは雨水さんに何が起こったのかと尋ねると、
「……なんでも、侵入者が現れたそうです。とりあえず捕縛できたらしいので、ここに連れてきてもらうようにお願いしました」
「侵入者? なんでまたこんな時期に……」
訝し気な声をあげながらも、赤水さんは雨水さんに情報を求めた。
「それで、その侵入者はどっち? 人間? それとも人外?」
「詳しくはわかりませんが、身体能力は人間離れしているようです。何せ、二人で園芸部の活動をしていたときに出会った河原先輩、鬼々島さんの両名を、捕獲の際にてこずらせたようですから」
「いくら捕獲っていうやりにくい行為だったとはいえ、あの二人を手こずらせるなんてなかなかね……。どんな人だったの?」
「ええと……、見た目は僕たちと同じ高校生ぐらい。黒くて長い髪の女性だそうです」
……うん? 黒くて長い髪の女?
「……リリア。俺、なんか今とっても嫌な予感がするんだが……」
「奇遇ですね理人さん。私もです」
二人で若干の冷や汗をかきながら、それでも黙って推移を見守ることにする。
「その人は巫女服を纏っていたようで、その奇行とも相まってかなり目立っていたそうです。その点から、どこぞのスパイではないと思われます」
「まあ、スパイならもっと目立たないようにするはずだものね」
……巫女服? 奇行?
「……なあリリア。そう言えば今日ここに来る理由って、あいつにきちんと伝えたっけ?」
「……いえ、急なお話だったので下調べや準備で忙しく、ここ数日はきちんと話せてすらいなかったような気がします」
「……だよな。それで、今日も俺たちはここに来る時間を考えて、家を早めに出た。他のやつを起こすのもかわいそうだからって、静かにひっそりと……。リリアだったらそんな俺たちを見て、どう思う?」
「まず間違いなく、二人でどこかに楽しくお出かけしたとか思うでしょうね。私と彼女の立場が逆だったら、地獄の底まで追いかけて行くと思います」
「なにそれ怖い」
まあ、さすがに家からここまでの距離を追いかけてくることもないだろうと思ってはいたが、それでも体中の冷や汗は引いてくれない。
それどころか、どんどん嫌な予感が増してくる。これはたぶん――
「それと、その侵入者は人狼系の人外かもしれません」
「あら、獣化したりしたの?」
「いえ、河原さんたちがその侵入者を発見した時、その人は地面のにおいをかいでいたという事ですから。そしてなにがしかの臭いを感じ取ると、『お兄ちゃんはこの近くにいる!!』と叫んで服を脱ぎだそうとしたので、あわてて止めたらしいです」
「なるほど、獣人系の種族には、服を着ていることを苦痛に思う種もあるしね。獣化の際にも体のサイズが変わる関係上、服を脱ごうとするだろうし……」
……いえ、そいつはただ単に変態なだけです。
「……リリア、準備は良いか?」
「はい、いつでも動けます」
そう互いに頷きあったのと同時に、雨水さんから決定的な情報が与えられた。
「なんでもその侵入者は『リヒトさん! お兄ちゃん! どこにいるの!?』等と騒いでいるようです。この学校にいる生徒の中で、そのような名前を持つ方は――」
……よし、間違いない。
「行くぞリリア!」
「はい、理人さん!」
俺たちはそう小さく叫ぶと、驚いたようにこちらを見る二人の前で上に跳び上がった。
ソファーに座っていた状態のままだった姿勢を空中で制御し、両ひざを抱きかかえるような形に移行する。
そのまま空中三回ひねりを行いながら、互いに少しだけ離れて着地点をソファーのすぐ横に設定する。
くるくると回る世界においても、様々な任務で鍛えられた三半規管は自分の今ある形をしっかりと認識してくれた。
だから俺は体を少しだけ開き、抜き手を放つかのようにぴんと伸ばした両掌を額の左右に配置。
背中を丸め、足は正座の状態を保ち続ける。
そしてそのまま腹の方をを下にしたまま落下し、着地の瞬間、両手と膝を微妙に曲げることでその衝撃を吸収し、音を最小限に抑えた。
ここまでの動きは完璧だ。後はただ、下を向いたまま叫ぶのみ……!
「「愚妹がご迷惑をおかけしましたーーーー!!!」」
同時にそう叫んだ俺たちは、誰が見てもほれぼれするような土下座の姿勢を取っていた。
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初めましての方は初めまして。お前の事なんか良く知っておるわこの変人めが! という武将な方はお久しぶりです。辺 鋭一と申します。
無駄に長いお話でしたが、読了おつかれさまです。
今回、クロスオーバーのお話を頂き構想を練ってみたところ、失木 各人さまの構想と同じような状況を考えていたということが判明したため、二つの視点で物語を書いてみよう、ということに相成りました。
そのため、この作品では理人さん視点(最初以外)で基本的に進ませて頂きました。
失木 各人さまのキャラクターをしっかりと再現できていたかどうかはわかりませんが、何かおかしい点があった場合は私の方まで遠慮なくお申し付けくださいませ。
そして、失木 各人さまが担当されるお話では、あのお方が主役です。
どの方かは言いませんが、まあ皆様ご想像の通りだと思われます。
今回のお話を下さり、また貴重な資料の一部を作品作りのために提供してくれた失木 各人さまには、感謝の言葉しかございません。
本当に、ありがとうございます。
また、このお話を頂いてからこの作品が完成するまで長い時間をかけてしまった事、本当に申し訳ありません。
そしてこのお話を読んでくださった皆様にも、最大限の感謝をお送りいたします。
本当に、ありがとうございます。
などなど、感謝の言葉を並べていくときりがありませんので、ここまでに押さえておきましょう。
では、私はこのあたりで失礼させていただきます。




