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黒冠宮、会談室。
ダーフィットは、トローファストお国王トールヴァルトと歓談していた。
話題は、一人娘サラの旅立ちについて。
ホーフダル王国からセラファン王国へ向かう道は、大きく東回りと西回りの二つがある。
今回はセラファン王国との協議の結果、東の隣国トローファスト王国を横断し、その先から海路を利用する行程が選ばれていた。
「では、国境までは我が国で責任を持とう」
トールヴァルトが朗らかに笑う。
「ありがとう、助かる。セラファンからも迎えは来るが、君がそう言ってくれると安心だ」
ダーフィットも穏やかに微笑み返した。
「しかし……まさか君自ら来るとは思わなかったよ。使節を遣わしてくれれば十分だったのに」
「何を言うか!」
トールヴァルトは豪快に笑う。
「君の愛娘の嫁入りだぞ。それに、マリアアンシェ様も帯同なさると聞けば、じっとなどしておれん。妻のフレアも張り切っていてな。ぜひ我が城へ滞在していただきたいと申しておる」
ダーフィットは思わず苦笑した。
「相変わらずだな、君たちは」
「もちろんセラファンとも相談しなければならないが、ありがたく検討させてもらうよ」
「宿も用意してある。……君も来るのだろう?」
その問いに、ダーフィットは小さく肩をすくめた。
「行きたいのは山々だが、政務があるからな。弟が協力的な君や、優秀な義兄上たちに囲まれているセラファンが羨ましいよ」
トールヴァルトは表情を曇らせる。
「……ヘイルト殿は、相変わらずかい?」
ダーフィットは答えず、困ったように笑みを浮かべるだけだった。
その時だった。
「お待ち下さい!」
「陛下はご歓談中です!」
「おやめください!」
扉の外が騒がしくなったかと思うと、重厚な扉が勢いよく開かれた。
入室の許可も得ず、無作法に飛び込んできたのは、つい先ほど話題に上がったばかりの男――王弟ヘイルトだった。
「兄上!」
ダーフィットは露骨に眉をひそめる。
トールヴァルトも呆れを隠そうとはしなかった。
「無礼だぞ、ヘイルト」
ダーフィットが静かに告げる。
「トローファスト国王陛下と会談中だ。後にしろ」
「そんなことは後だ!」
ヘイルトは机を叩かんばかりの勢いで叫んだ。
「ティーネより先に娘を嫁がせるとは何事だ!」
会談室に怒声が響く。
ダーフィットは小さく息をついた。
「……何の話だ、ヘイルト」
「婚約だ! サラを辞退させろ!」
ダーフィットは即座に答えた。
「不可能だ」
「ならティーネと替えろ!」
あまりに身勝手な言い分に、トールヴァルトは思わず吹き出しそうになる。
対照的に、ダーフィットは終始真顔のままだった。
「婚約者はサラだ。替えられるものではない」
「何故だ! どちらも王家の娘ではないか!」
トールヴァルトは呆れたように口を開く。
「ヘイルト殿。王女と王姪の区別もついておられぬのか」
会談室が静まり返る。
「細かいことを言うな! 王家の血を引いていることに変わりはない!」
激高して唾を飛ばすヘイルトに、ダーフィットは静かに首を振る。
「違う。その”細かいこと”が、王侯の婚姻では最も重要なのだ。そもそも、この婚約は、私が勝手に決めたものではない」
「父上――ドミニクス前国王陛下と、セラファン前国王陛下との間で正式に結ばれた盟約だ。サラが生まれたその日に結ばれた、両王家の約定でもある」
ヘイルトの表情がわずかに変わる。
「……セラファン、だと?」
初めて聞いた事実に、目を見開く。
だが、その驚きも束の間だった。
「なおさらではないか!」
ヘイルトは身を乗り出した。
「セラファンほどの大国へ嫁ぐなら、ティーネの方が相応しい! 黒髪で、美しく、教養もある! いずれ王妃となるなら、ティーネこそ相応しい! なぜ色なしなどを送る!」
ダーフィットは、深く嘆息した。
その吐息には、呆れと疲労、そして長年積み重ねてきた諦めが滲んでいた。
何度この言葉を聞いただろう。
何度説明し、何度諭し、何度訂正してきただろう。
それでもヘイルトは変わらない。
静かに顔を上げる。
「お前は何も分かっていない。サラだから選ばれたのではない。サラでなければならないのだ」
ダーフィットは淡々と言葉を重ねた。
「サラはホーフダル王女であると同時に、セラファン王女マリアアンシェの娘だ。セラファン王家に連なる王族でもある。だからこそ、この婚約は結ばれた。替えられるものではない」
「兄として、私の娘の嫁ぎ先を世話するのがお前の役目だ!」
ヘイルトが指を突き付ける。
ダーフィットは静かに返した。
「違う。親の責務は親が負うものだ。ヤンティーネの婚約を整えるのは、お前の務めだ」
一拍置いて続ける。
「私は今まで何度も縁談を紹介した。断ったのはヤンティーネ本人だ。先方から辞退された縁談も少なくない。その責任を私へ転嫁するな」
ヘイルトの顔が真っ赤に染まる。
「兄上はティーネを見捨てるのか!」
「違う」
「私は何度も手を貸した。結果を壊したのは、お前たちだ」
その一言で、室内が静まり返る。
横で聞いていたトールヴァルトが、静かに口を開いた。
「婚約とは、両家の約束。娘を取り替えるなど聞いたことがない」
さらにヘイルトを真っ直ぐ見据える。
「それに、マリアアンシェ様は我が国にとっても大切な姫君だ。今の発言は、セラファン王家への侮辱でもあるぞ」
「他国は黙っていろ!」
ヘイルトは怒鳴り返した。
「そもそも国同士の約束ならティーネでもいいはずだ! あんな色なしより、よほどいい!」
トールヴァルトの目がすっと細くなる。
「……それは聞き捨てならんな。マリアアンシェ様は正真正銘、セラファン王家の王女だ。サラ王女もまた、セラファン王家に連なる王族である」
ヘイルトは鼻で笑った。
「はっ! 何が王女だ! ただの養女のくせに!」
トールヴァルトは呆れたようにダーフィットを見る。
「……何を言っているんだ、この男は」
ダーフィットは深く息を吐いた。
「どうやら、そう思い込んでいるらしい。何度訂正しても、聞く耳を持たない」
これ以上話す価値はない。
そう判断したダーフィットは護衛へ視線を向けた。
「ヘイルトを退出させろ」
「はっ!」
護衛たちが一斉に動く。
「待て! 話はまだ終わっておらん! 離せ! 無礼者!」
喚き散らすヘイルトを数人がかりで取り押さえ、そのまま会談室の外へ連れ出していく。
重い扉が閉じられ、ようやく静寂が戻った。ダーフィットは疲れ切ったように息を吐く。
「……すまない。騒がせた」
トールヴァルトは苦笑した。
「いや、気にするな。しかし、本気なのか? マリアアンシェ様を養女だと、本当に信じているとは……。誰が聞いても怒りを買うぞ」
ダーフィットは肩を落とした。
「どうも、セラファンには王子しか生まれないと信じ切っているらしい。何度説明しても変わらない」
「厄介だな……」
トールヴァルトは腕を組み、少し考え込む。
「ダーフィット。よければ予定を早め、お二人を我が城へ迎えてはどうだ? セラファンにも連絡を入れ、我が城で合流していただく。あれは……諦めそうにない」
ダーフィットも少し考え、小さく頷いた。
「いくら何でも、セラファン王家を敵に回すような真似まではせんと思いたいが……。検討しておく」
トールヴァルトは首を横に振る。
「検討ではない。本気で考えろ、ダーフィット。あれは諦めておらん」
ダーフィットは少し困ったように笑った。
「心配性だな、君は」
「心配するに決まっている。あれは良くない」
ダーフィットは深く嘆息した。
友の心配は痛いほど分かる。
だが──
「君がそう言ってくれるのは、本当にありがたい。けれど、いくら君が護衛を付けてくれると言っても、二人だけで国を出すのは不安なんだ」
「君を疑っているわけではない。そこは誤解しないでくれ。ただ……セラファンの迎えを待つ方が、安全な気もしてな」
トールヴァルトは諦めたように息をついた。
「……分かった。せめて迎えだけでも早めてもらえ」
「ああ。すぐに書状を書くよ」
ダーフィットは静かに頷いた。
「だが、いざという時は頼む」
トールヴァルトは力強く頷く。
「ああ、任せろ」




