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黒冠宮にほど近い、王弟ヘイルトの屋敷では、その夜も盛大な夜会が催されていた。
大広間には、金箔を惜しげもなく施した柱が並び、黄金色の彫像が至る所に飾られている。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアは眩いほどの光を放ち、壁には金糸を織り込んだ豪奢なタペストリーが幾重にも掛けられていた。
眩しいはずの黄金は、不思議と温もりを感じさせない。
色も意匠も異なる高価な調度品が、競うように並べられているからだ。
財を誇ることだけを目的に集められた品々は、見る者へ財力を誇示するかのようだった。
豪奢。
華美。
だが、そこには統一感も、落ち着きもない。高価なものを、より多く身に着けるほど美しい。ヘイルトは、それこそが美だと信じて疑わなかった。
広間にはヘイルト派の貴族たちが談笑している。中央では何組もの男女が優雅に踊っていた。その中でもひときわ目を引くのが、ヘイルトの娘ヤンティーネだった。
真紅のドレスには金糸の刺繍が隙間なく施され、華やかな光を放っている。
コルセットで極限まで締め上げられた細い腰からは、幾重ものパニエで膨らませた幅広のスカートが大輪の花のように広がっていた。
首には大粒の宝石を連ねた首飾り。
耳には揺れる耳飾り。
両腕には幾重もの腕輪。
そして、すべての指には存在を誇示するような大ぶりの指輪。
ルビー、サファイア、エメラルド、トパーズ。
高価な宝石が惜しげもなく使われているにもかかわらず、色彩に統一感はなく、それぞれが己の存在を競うように主張していた。
高く結い上げられた黒髪には、真紅のリボン、色鮮やかな羽飾り、大小さまざまな宝石が幾重にも飾られている。
豪奢であること。
華やかであること。
そして、誰よりも目立つこと。
誰よりも豪華であれば、誰よりも愛される。ヤンティーネは、それを疑ったことが一度もなかった。
人々の視線は自然とヤンティーネへ集まっていた。
「まぁ……本日もヤンティーネ様は見事な装いですこと」
「本当にお美しい」
「なんて艶のある黒髪。羨ましいわ」
「見て、あのドレス。なんて豪華な……」
「お腰も細くて羨ましい限りです」
「あの首飾りも見事ですわ。どちらでお求めになったのかしら」
「クサンドラ様も、本日も素敵ですわね」
誰もが口々に称賛する。
それは心からの賛辞だった。
豪華であること。
華やかであること。
そして、黒髪であること。
それこそが、この場に集う者たちの美の基準だった。
やがて、その話題は自然と王妃へ移る。
「それに比べて、あの色なし王妃は……」
一人が鼻で笑った。
「先日も王宮でお見かけしましたけれど、相変わらず地味でしたわ」
「セラファンの王女だという話だが、所詮は養女だろう」
「持参金も大して持たせてもらえなかったのではないか」
「セラファンは王子しか生まれぬことで有名だからな」
「だから王女などいるはずがない」
「箔を付けるためだけに養女へ迎えられたのでしょう」
「だからあんな質素な装いなのですわ」
「王妃ともあろうお方が、あれでは国の恥ですわね」
「まったくです」
誰一人として疑わない。
誰一人として、セラファン王家を知ろうともしない。
彼らにとって、自分たちの価値観だけが正しかった。
その時、一人の男が思い出したように声を上げた。
「そう言えば、先日耳にした話なのだが」
「何ですの?」
「あの色なし王女の婚約が整ったらしい」
「まあ。どちらへ?」
「使節が他国の言葉で話していたのでな。詳しくは分からん」
「茶髪王と親しげに話していたが」
「北部共通言語でしたの?」
「おそらくな」
「南……王太子、とだけ聞こえた」
一瞬、静まり返る。
「まあっ!」
婦人の一人が扇を広げる。
「まったく。ホーフダルへ来たのなら、ホーフダル語で話すべきでしょう」
「礼儀も知らぬ使節だったのだろう」
「共通語だからと、どこでも使ってよいものではありませんわ」
「まったく、教養の足りないこと」
「どうせ南方の小国の王太子ですわ」
「茶髪王が娘可愛さに無理を通したのでしょうな」
「あの色なしが国を出て行くなら、せいせいいたしますわ」
笑いが広がる。
その時だった。
近くで踊っていたヤンティーネが、会話を聞きつけて足を止めた。
「……今、何とおっしゃいましたの?」
場の空気が凍り付く。
何曲もの舞を踊り終え、休憩に入ろうとしていたヤンティーネは、その場で足を止めた。
「あの小娘が、王太子と婚約?」
その声は怒りで震えていた。
「ティーネより先に?」
ぎりっ。
飾り立てた指先で、爪を強く噛む。
「そんなこと、認めませんわ」
カツンッ!
勢いよく床を踏み鳴らす。
誰も口を挟まない。
この癇癪が始まれば、何を言っても無駄だと知っているからだ。
「そうですとも」
「ヤンティーネ様こそ王妃に相応しい」
「ええ、その通りです」
周囲は慌てて同調する。
クサンドラも大きく頷いた。
「あの茶髪の役立たず。ティーネより先に、自分の娘を嫁がせるなんて、何を考えているのかしら。そう思いません、あなた?」
ヘイルトは眉間に皺を寄せる。
「まったくだ。何を考えている、あの茶髪は」
すると兄のカスペルが酒杯を揺らしながら鼻で笑った。
「どうせ物好きなんだろ。あの色なし、見ただろ? あんなひょろひょろの薄っぺらい体で嫁ぐ気かよ。女の魅力なんざ欠片もねぇ。まだガキじゃねぇか」
肩をすくめる。
「相手も相当酔狂なんだろうな。幼女趣味か?」
広間のあちこちで下卑た笑いが起こる。
その瞬間だった。
「嫌ぁっ!!」
ヤンティーネが甲高い悲鳴にも似た声を上げる。手にしていたグラスを床へ叩きつけた。
甲高い破砕音が広間へ響く。
だが、それだけでは終わらない。
激しく腕を振るい、近くの卓を薙ぎ払った。並べられていたグラスが次々と床へ落ちる。
ガシャン!
ガシャァン!!
割れた硝子が四方へ飛び散り、赤い葡萄酒が床を染めた。
それでも足りない。
「嫌っ!」
近くの花瓶を払い落とす。
白磁は無残に砕け散った。
「気に入らない!」
足元の椅子を蹴り飛ばす。
重厚な椅子が横倒しになり、大きな音を立てた。
楽師たちの演奏が止まる。
踊っていた者たちも息を呑み、その場で固まった。
「ティーネより先なんて許さない! 絶対に許さないわ!」
肩で息をしながら叫ぶヤンティーネを、誰一人として咎める者はいなかった。
使用人たちは慣れた様子で、割れた硝子や白磁の破片を拾い、倒された椅子を起こしていく。
誰も驚かない。
誰も止めない。
この屋敷では、それが日常だった。
貴族たちは口々に、
「ヤンティーネ様の仰る通りです」
「そうですとも」
「王太子妃に相応しいのは、ヤンティーネ様だけです」
機嫌を取るように頷く。
ヘイルトもクサンドラも、娘を叱ることはなかった。
それどころか、その怒りを当然のものとして受け入れていた。
誰一人として、ヤンティーネが二十一歳になってなお婚約者が決まらない理由を口にする者はいない。
否。
口にできない、という方が正しい。
この屋敷で現実を口にすることは、主を否定することと同義だった。
だからこそ、誰も現実を直視しようとはしない。
これまでにも、幾度となく縁談は持ち上がっていた。
しかし、ヤンティーネ自身が相手を選り好みして断ったものもあれば、その気性や浪費癖を理由に、相手方から丁重に辞退されたものも少なくない。
それでも、ヘイルト派の者たちはその事実を認めようとはしなかった。
彼らにとって正しいのは、常に自分たち。間違っているのは、いつだって他人だった。




