幕間 墓守
朝焼けの光が、静かに白翼峰を照らしていた。
四柱の大天使は、誰も言葉を交わすことなく佇んでいる。
ラファエルは、そっと掌を開いた。そこには、小さな二粒のペリドットが乗っていた。マリーアンジュの守護天使が身に着けていた、片耳のピアス。かつて、マリーアンジュの額飾りの脇石となっていた宝石である。
天使は両耳に二粒ずつ、合計四粒の宝石を身に着けている。
契約者が生まれ、守護天使となることが決まった時、天使は契約の証として、一つの額飾りを創り上げる。その時、自らの片耳にある二粒の宝石を外し、額飾りの脇石とする。そして、生まれたばかりの契約者の額へ、その額飾りをそっと掲げる。
それが、本契約。
人と天使が永き時を共に歩む、始まりの儀式だった。
契約者が生きている間、その宝石は額飾りの一部として在り続ける。そして、契約者がその生涯を終えた時、脇石は静かに額飾りから離れ、再び守護天使の耳へ戻る。契約の終わりを告げるように──
天使はその宝石と共に、契約者との思い出を胸へ刻む。やがてまた、遠い未来。同じ魂が新たな命として生まれた時、再び片耳の宝石を外し、新しい額飾りを創る。
それまで、静かに待ち続ける。
契約者を持つ天使は、片耳だけの宝石。
契約者を持つ天使は、両耳に宝石を宿す。
ラファエルは、掌に載せた二粒のペリドットを静かに見つめていた。
その時だった。
ミカエルの胸元から、淡い光がゆっくりと零れ落ちる。
光は大地へ降り立つと、小さな粒子となって揺らめいた。契約者を失った状態で無茶をしたため、その力のほとんどを失った守護天使。
最後の使命だけを胸に抱き、三日もの時をかけてようやくセラファンへ辿り着くと、力尽きるようにミカエルの内で眠りについていた。
契約を終えたため、人世でその姿を定めることが難しい。淡い光だけが、静かに漂っている。
ミカエルは一歩前へ出た。
「契約が切れた状態で、よく伝えに来てくれた。ここに特例を設ける」
静かな声が響く。
「異議のある者は」
ウリエルは静かに首を振る。
「異議ありません」
ラファエルも頷いた。
「ありません」
ガブリエルもまた、静かに胸へ手を当てる。
「異議ありません」
四柱全員の意思が一致する。
ミカエルは光の粒子を見つめた。
「マリーアンジュの守護天使に命ずる。ホーフダルが安寧を取り戻すまで、マリーアンジュ王女とダーフィット王の墓守を務めよ」
その瞬間、光がふわりと膨らむ。輪郭を持ち、やがて、一人の天使の姿を形作った。
契約は終わっている。本来なら、もう顕現できるはずのない守護天使。それでも、大天使の命により、ほんの僅かな期間だけ地上へ留まることを許された。
ラファエルは掌のペリドットを差し出す。
「あなたの使命が終わる日まで、このピアスは私がお預かりします」
守護天使は静かに微笑んだ。
「ありがとうございます」
深く一礼すると、その身体は淡い光へ変わる。
「では、行って参ります」
ふわり。
光は風へ溶けるように消えていった。
ホーフダル王国。
ブルームホフ離宮離宮。
室内は荒らされ、人気はない。使用人たちは事前に決められていた隠れ家へ避難し、離宮には誰一人残っていなかった。
離宮の裏庭。
ウリエルが密かに張った結界の内側。そこだけが、静寂に包まれている。
墓碑はない。
人知れず埋葬された二人のために置かれた、小さな目印の石だけ。
光が一筋、舞い降りる。
マリーアンジュの守護天使は、その石の前へ静かに膝をついた。慈しむように。祈るように。そっと石へ手を添える。
「マリーアンジュ」
「ダーフィット」
その声音には悲しみと安堵が入り混じっていた。
「大天使様方より、お許しをいただきました。もうしばらく……。もうしばらくだけ、お二人のお傍におります」
風が静かに木々を揺らす。
「あなた方が安心して眠れる日まで。ホーフダルに再び穏やかな風が吹く、その日まで」
守護天使は穏やかに微笑んだ。
「私が、お守りいたします」
朝風が、金の髪を優しく揺らした。
片耳には、二粒のペリドット。もう片方の耳には、何もない。失われた契約の証は、今なおラファエルが預かっている。
それは、終わった契約ではなく、いつか安らぎの日が訪れるまで、続く使命の証。
守護天使は静かに目を閉じる。
そして今日もまた、名もなき二つの墓を見守り続けるのだった。




