幕間 天使たち
熾天宮。
夜も更けた頃、レオナールの私室では、六人の青年たちが穏やかな寝息を立てていた。
レオナール、シャルル、ジェラルドは寝台の上。ジャンとイヴォンは長椅子へ身を預け。ヴィクトルだけは――いつものように床へ転がって眠っている。
それぞれの傍らでは、守護天使たちが静かに微笑んでいた。
ジャンとイヴォン、ヴィクトルの守護天使は、それぞれの契約者へそっと毛布を掛けた。
「よく眠っていますね」
誰ともなく呟く。
「ええ」
静かな声が返る。
「皆、本日二杯目のセラの実がよく効いているようです」
六人の寝顔は穏やかだった。
この半日は、あまりにも急転直下だった。
人の身には負担の大きい天使融合。安全性を度外視した、無茶な連続転移。天使の加護を受ける彼らでさえ、その身体は悲鳴を上げていた。
だからこそ、救出後すぐに二杯目のセラの実が振る舞われたのである。
セラの実。
初代国王レオンへ、守護天使が天界からもたらした果樹。その果汁は疲労を癒やし、傷を癒やし、魂の消耗すら静かに回復させる。人には本来扱えぬ恵みだが、天使の力を受け継ぐセラファン王家と、本契約者だけは口にすることが許されている。
今日の二杯目は、その癒やしと回復が必要な状態だったからだ。セラの実の効果で、今、六人は何事にも邪魔されることなく、深い眠りの中にいる。
ようやく守れた。
ようやく、安心して眠れる。その安堵が、穏やかな寝息となって部屋を満たしていた。
ミカエルは静かに六人を見渡した。
「では、始める」
その一言で、守護天使たちは一斉に整列する。ウリエルは既に議事録を広げ、羽根ペンを手にしていた。
「まず、救出任務は成功した。よくやった」
その言葉に、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
だが。
「……しかし」
再び全員が姿勢を正した。
「ヴィクトル担当」
「はい」
「命令以上に威圧した」
「……はい」
「処刑人は既に戦闘不能だった。必要以上の殺気は不要だ」
「以後、気を付けます」
「ジェラルド担当」
「はい」
「殺気」
「……」
「少々ではない」
「申し訳ありません」
「愛し子を害した者たちへの怒りは理解する。だが、冷静さも忘れるな」
「御意」
「イヴォン担当」
「はい」
「翼の展開は適切だった」
「ありがとうございます」
「ただし、翼で兵士まで威圧した」
「……無意識でした」
「守る対象以外への影響も意識しなさい」
「御意」
「ジャン担当。問題なし。状況判断も適切だった」
「はい」
「シャルル担当。冷静な状況把握は評価する。冷気も制御できていた。問題なし」
「ありがとうございます」
そして視線はウリエルへ向く。
「ウリエル」
「はい」
「報告」
ウリエルは議事録を一枚めくった。
「結界展開、完了」
「遺体確認、完了」
「埋葬場所確認、完了」
「遺髪回収、完了」
「遺品回収、完了」
「愛し子私物回収、完了」
「天使便中継、完了」
「落下物回収、完了」
一拍。
ミカエルが視線を上げる。
「……落下物とは」
ウリエルは真顔で答えた。
「レオナール及びシャルルの髪紐です」
沈黙。
「必要だったか」
「後ほど探す手間が省けます。なお、二本とも回収済みです。損傷もありません」
再び沈黙。
やがてミカエルは小さく頷いた。
「……そうか」
ウリエルも静かに頷く。
「合理的かと」
一拍置いて、淡々と続けた。
「それに、万が一にもあの女の手へ渡ることは避けたかったので」
誰も異論はなかった。最後に、ミカエルは全員を見渡す。
「皆、よくやった。私も怒っていた。あの場で最も怒っていたのは、おそらく私だ。だが。大天使も、守護天使も、怒るために存在するのではない。愛し子を守るため。そして、人を導くために存在する。怒りに呑まれるな。次も守れ。それがお前たちの使命だ」
守護天使たちは一斉に胸へ手を当てる。
「「「「「御意」」」」」
翌早朝。
ミカエルとウリエルは、二柱の大天使の対応に苦慮していた。
「まだですか」
ガブリエルは落ち着きなく部屋を行き来していた。
「まだでしょうか。額飾りは本来の形を取り戻しました。もう本契約できるでしょう」
ラファエルも何度となく窓の外を見やった。
「夜も明けました。もういいでしょう。これ以上待つ理由がありません」
ミカエルは静かに答える。
「まだ、レオナールが寝ている。昨日はかなり疲労した。起きるまで待て」
「……はい」
返事はする。だが、数歩歩いて、また振り返る。
「まだですか」
「ガブリエル」
「はい」
「落ち着け」
「無理です」
即答だった。
ラファエルも静かに続ける。
「もう、見ているだけは嫌なのです」
部屋が静まり返る。
「愛し子が生まれた、あの日から。私たちは、ずっと天界から見ているだけでした。笑っている日も、泣いている日も。地下牢も、鞭も、処刑台も……。呼ばれても、応えられませんでした。ただ、見ていることしかできませんでした」
その声は震えていた。
「本契約が済んでいないうちは、介入不可能。それが天界の掟です。でも、あの時はもう無理でした。罰ならいくらでも受けます。──愛し子の生涯を見届けてから、ですが……」
「でも、あと一歩遅ければ。それだけは我慢できませんでした」
ガブリエルは拳を強く握る。
「もう嫌なのです」
「もう、待ちたくありません」
「早く」
「早く契約を」
「愛し子を守らせてください」
沈黙。
その言葉を聞いたミカエルは静かに目を閉じる。誰よりも、この二柱がどれほど耐えてきたか知っていた。
けれど。
「本契約前の介入は、本来なら重い掟破りだ」
ガブリエルとラファエルは静かに頭を垂れた。
「……はい」
「ですが」
ミカエルは穏やかな声で続ける。
「あの場で介入しなければ、愛し子は命を落としていた。私も、ウリエルも、その判断を責めるつもりはない」
ガブリエルとラファエルが、ゆっくりと顔を上げる。
「むしろ、よく間に合った」
「……ありがとうございます」
「しかし」
その一言で二柱は再び姿勢を正した。
「掟は掟だ。何らかの罰は受けてもらう」
緊張が走る。ミカエルは小さく息を吐いた。
「本契約は、レオナールの朝食が終わるまで許可しない。罰は、それまで待機することだ」
一瞬、部屋が静まり返る。
「……それだけ、ですか?」
ガブリエルが思わず聞き返した。
「それだけだ。十分だろう」
「……はい」
返事はした。だが二柱の翼は、今にも飛び立ちそうなほど忙しなく震えている。
しばらくして。
「……今、ようやく目覚めた。食事が終わるまで、待ってくれ」
ミカエルもアンジェリーヌを大切に思っている。それでも、自分はレオナールの守護者だ。アンジェリーヌも愛しいが、幼い頃から成長を見守っていたレオナールも、大切なのだ。
ガブリエルとラファエルの翼がうごめく。二柱もまた、ミカエルの気持ちを理解できる。
できるのだが、待つのは辛い。
「まだですか」
「もういいでしょう」
「そろそろお迎えに」
「これ以上は待てません」
やっぱり二柱は落ち着かない。
ミカエルはウリエルに視線を投げる。ウリエルもまた、ミカエルに視線を投げて苦笑する。
「……ウリエル」
「はい」
「レオナールを迎えに行く」
ウリエルは静かに一礼した。
「承知しました」
その瞬間だった。ガブリエルとラファエルの表情が、一気に明るくなる。
「ありがとうございます」
「急ぎましょう」
「一刻も早く」
「愛し子のもとへ」
二柱は今にも飛び出して行きそうな勢いだった。
「早く」
「急いでください」
「レオナールはまだでしょうか」
「早く」
「早く」
「早く!」
「……分かっている」
ミカエルが小さく息をつく。
「急かすな」
「ですが!」
「待てません!」
「待て」
「……はい」
返事だけは素直だった。
だが、その翼は今にも羽ばたきそうに震えている。
ミカエルとウリエルは顔を見合わせ、小さく苦笑した。普段は穏やかな二柱がここまで落ち着きを失う姿を見たのは、ミカエルですら初めてだった。
「……急ぐぞ」
「はい」
そして二柱は、朝食の席にいるレオナールのもとへ向かった。
その後ろから、
「早く」
「急いでください」
「愛し子がお待ちです」
ガブリエルとラファエルの切実な声が絶え間なく続いていた。
その結果――
朝食を終えたばかりのレオナールは、事情を説明される暇もないまま、半ば連行されるようにアンジェリーヌのもとへ向かうことになる。




