↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/34

17

 お茶会から半月ほどが過ぎた頃、アンジェリーヌは侍女たちに身支度を整えられていた。今日のドレスは、灰色に淡い紫を溶かしたような藤鼠色。装飾は控えめで、胸元には白百合の刺繍がひっそりと咲いている。


「今日は、お出掛けでしょうか?」


 鏡越しに尋ねると、侍女は柔らかく微笑むだけだった。


「皆様がお待ちでございます」


 それ以上は教えてもらえないらしい。首を傾げながら部屋を出ると、そこにはレオナールたち六人が待っていた。


「おはようございます」

「おはよう、アンジェ」


 穏やかな笑みを浮かべたレオナールが歩み寄る。その後ろでは、シャルルとジェラルドが抱える大きな花束が目に入った。


「お花……?」

「今日は少し遠出だからね」


 シャルルが笑う。


「楽しみにしてて」


 ジェラルドも嬉しそうに頷いた。行き先は、まだ教えてもらえないらしい。不思議そうに二人を見つめていると、不意に身体がふわりと浮いた。


「きゃっ……!」


 気付けば、レオナールに横抱きにされていた。


「レ、レオナール様?」

「目的の場所までは距離があります」

「歩けます」


 慌てて言うと、レオナールは困ったように微笑んだ。


「途中で疲れたらどうします」

「それは……」


 言葉に詰まる。確かに、最近は以前より歩けるようになったとはいえ、まだ時折ふらつくことがあった。


「でも……」


 こんなふうに抱き上げられるのは、やっぱり恥ずかしい。その心情を察したように、ジャンが静かに口を開く。


「無理は禁物ですよ」

「まだ時々ふらつくだろ」


 ヴィクトルも腕を組んで頷いた。


「護衛騎士としても賛成です」


 イヴォンまで真顔で後押しする。


「レオン従兄様なら安心だよ!」


 ジェラルドは満面の笑みだ。


「兄上のしたいようにさせてあげて」


 シャルルまで涼しい顔で言う。


「……黙れ」


 レオナールが一言だけ返すと、五人はどっと笑った。


「では、参りましょう」


 レオナールに抱かれたまま、アンジェリーヌは王太子宮を後にした。



 転移陣を抜けた先には、巨大な白亜の神殿が静かに佇んでいた。天井は遥か高く、どこまでも続いているように見える。柔らかな光が空間全体を包み込み、季節の花々が咲き誇る庭園のような香りが漂っていた。


 王族の廟堂。


 歴代の王と王妃、王族たちが眠る、聖域。その静謐さは、まるで天上の楽園を思わせた。


「……すごい……」


 思わず息を呑む。地上から見た広さとは、とても思えない。まるで空間そのものが広がっているようだった。

 レオナールは何も言わず、静かに歩みを進める。やがて一つの墓碑の前で足を止めた。ゆっくりとアンジェリーヌを地へ降ろす。墓碑には、二つの名前が並んで刻まれていた。


 マリーアンジュ・ソフィ・ローズ・ブランシュ・イヴォンヌ・アリス・ジャンヌ・シャルロット・アレクサンドラ・ヴィクトリーヌ・ド・ランジュ。


 ダーフィット・フォン・ホーフダル。


「……っ」


 アンジェリーヌの瞳が揺れる。

 シャルルとジェラルドが抱えていた花束を、そっと差し出した。


「アンジェ」


 レオナールが静かに告げる。


「ご両親に、会いに来ました」


 一拍置き、穏やかな声で続ける。


「ご遺体は、ブルームホフ離宮にございます」


 アンジェリーヌが小さく息を呑む。


「離宮の者たちが丁重に弔っていたことを、ウリエルが確認しています。現在も、ウリエルの保護結界によって守られています」


 レオナールは墓碑へ視線を向けた。


「こちらには、ウリエルが回収したお二人のご遺髪と、叔母上の王族装身具を納めています」


 それ以上、言葉は必要なかった。

 アンジェリーヌは震える手で花束を受け取る。六人もそれぞれ献花を終えると、静かに黙祷を捧げた。しばらくの静寂の後、ジャンが一歩下がる。


「私たちは外で待っています」

「兄上」


 シャルルがレオナールを見ると、レオナールは静かに頷いた。


「私はここにいる」


 五人は何も言わず礼拝堂を後にした。


 広い廟堂には、アンジェリーヌとレオナールだけが残る。

 レオナールは少し離れた場所へ静かに下がった。声は掛けない。近付きもしない。ただ、そこにいる。アンジェリーヌが一人にならないように。それだけだった。

 花束を抱えたまま、墓碑の前へ歩み寄る。震える指先で、静かに石碑へ触れた。


「お母様……」


 その一言が漏れた瞬間。堪えていたものが、一気に溢れ出した。


「お母様……っ、お父様……!」


 墓碑へ縋るように膝をつき、アンジェリーヌは声を上げて泣き崩れた。一か月もの間、胸の奥へ押し込めていた悲しみが、止めどなく涙となって零れ落ちる。

 レオナールはただ静かに、その背中を見守り続けていた。


 思い切り泣いて。


 溜め込んでいたものをすべて吐き出して。


 やがて嗚咽が静まる頃、アンジェリーヌは墓碑を見つめたまま、ぽつり、ぽつりと両親へ語りかけ始めた。


「お母様。わたくし、先日のお茶会で、皆様からわたくしの名前の由来を伺いました」


「アンジェリーヌは、愛し子の証。セラファン王家に生まれた王女には、“天使”の意味を持つ名前を授けるのだそうですね」


「ローズとブランシュは、お母様のお名前から。お母様は白薔薇の美しい季節にお生まれになったから、このお名前を授けられたのだと、お祖母様がお話ししてくださいました」


「アリスは、お祖父様のお名前の一つ、アリスティドから」


「エレオノールは、お祖母様」


「ルイーズは、ルイ伯父様」


「マリーは、セラファンとオンラードの曾祖母様」


「アンリエッタは、アンリ伯父様」


「ジョゼフィーヌは、ジョゼフ伯父様」


「ルネは、ルネ伯父様」


「そして、リリアーヌは、ガブリエル様を象徴する百合から」


 アンジェリーヌは、そっと胸へ手を添えた。


「皆様が、わたくしの幸せを願って、一つひとつ考えてくださったお名前なのだと伺いました」


「ホーフダルで『サラ』と名乗っていたのも……」


 小さく微笑む。


「わたくしの本当の名前が、悪意を持って呼ばれることのないようにと」


「ホーフダルのお祖父様と、お父様と、お母様が相談して決めてくださったのだそうですね」


 静かな涙が、頬を伝う。


「……わたくしは、何も知りませんでした」


「こんなにもたくさんの愛情を込めて、この名前を贈っていただいたことも」


「こんなにもたくさんの方々に、誕生を喜んでいただいていたことも」


「わたくしが、生まれたその日から、ずっと愛されていたことも」


 墓碑へそっと手を重ねる。


「お父様」


「お母様」


「……ありがとうございます」



 その日の夕方。

 琥珀色の夕陽が部屋を柔らかく染め上げる中、アンジェリーヌの部屋を訪れたレオナールは、小さく息を吸うと、後ろに隠していたものをそっと差し出した。

 春の野に咲く花だけを集めて編まれた、小さな花冠。


「……綺麗」


 思わず零れた呟きに、レオナールが柔らかく微笑む。


「夢の中で約束したでしょう。貴方が成人して私の所へ来てくれたら、もっと綺麗に作って、貴方に贈ると」


 そう言って、壊れ物に触れるような手つきで、そっとアンジェリーヌの頭へ花冠を載せた。その瞬間、アンジェリーヌの身体が、ぴたりと止まる。


 春風。

 花の香り。

 笑い声。

 優しく笑う六人。


『次はもっと上手に作るよ」

「君が大人になったら、もっと綺麗なものを作って君に贈る』


 ──約束。


「……あ」


 震える声が漏れた。


「あの時の……」


 次々と記憶が繋がっていく。

 十日に一度だけ見る、不思議な夢。


 春の庭。

 笑い合う六人。

 優しい時間。


 夢だと思っていた。

 ずっと、夢だと信じていた。

 ゆっくりと顔を上げる。

 目の前には、あの時と同じ蜂蜜色の髪。

 同じ、優しい瞳。


「……夢では、なかったのですか」


 レオナールは静かに頷いた。


「はい。天使たちが、貴女と私たちを繋いでくれていました」

「夢の中の六人は……」


 アンジェリーヌは小さく息を呑む。


「皆様だったのですね。ずっと……会っていたのですね」


 その言葉に、レオナールは少しだけ寂しそうに笑う。


「そうです。でも──」


 一歩だけ近付く。


「私は、早く本当の貴方に会いたかった」


 アンジェリーヌの瞳が潤む。


「……わたくしも」


 花冠へそっと触れながら微笑む。


「ずっと、お会いしたかったです」


 レオナールは懐から、小さな箱を取り出した。

 ゆっくりと片膝をつく。

 箱を開くと、そこには淡青銀ミスリルの台座に、ローズカットの透明な宝石が静かに輝いていた。


「アンジェリーヌ」


 真っ直ぐに彼女を見つめる。


「夢の中で貴方と過ごすうちに、私は貴方に惹かれていきました。十日に一度だけ訪れる、あの時間が楽しみで。貴方に会える日を、いつも待ち遠しく思っていました。そして、夢から覚めるたびに願っていたのです。早く、本当の貴方に会いたいと」


 一度だけ言葉を切る。


「愛しています。私と結婚していただけますか」


 アンジェリーヌは涙で滲むレオナールの姿を見つめた。

 あの日、処刑台で自分を抱き上げてくれた天使。夢の中で何度も笑い合った人。そして、これから共に未来を歩む人。

 溢れる涙を拭うこともせず、何度も何度も頷く。


「──はい」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。