15
アンジェリーヌは優雅に淑女の礼をした。
「アンジェリーヌ・ローズ・ブランシュ・アリス・エレオノール・ルイーズ・マリー・アンリエッタ・ジョゼフィーヌ・ルネ・リリアーヌ・ド・ランジュです」
初めて自分の名前を口にして、少し気恥ずかしい。少しだけ頬を赤く染めながら、ゆっくりと顔を上げる。
「……皆様、本日はお時間をいただき、ありがとうございます。母から、皆様のお話は何度も聞いておりました。本日こうしてお会いでき、とても嬉しく思います」
一度だけ言葉を切り、小さく息を吸う。
「そして──」
翠の瞳が一人ひとりを見つめる。
「侍女に伺いました。皆様がわたくしを救って下さったと……。処刑場で助けてくださって、本当にありがとうございました」
深く腰を折るアンジェリーヌに、六人は思わず顔を見合わせた。
「アンジェ、顔を上げてください」
レオナールがそっと声を掛ける。
「礼を言うのはこちらです。あなたが生きていてくれた。それだけで十分です」
穏やかな声音に、アンジェリーヌはゆっくりと顔を上げた。レオナールは柔らかく微笑む。
「さあ、改めて紹介します。まずは──」
「僕から!」
レオナールが額へ手を当てる。シャルルはにこにこと笑ったままアンジェへ向き直る。
「僕はシャルル・ルイ・アレクサンドル・ジョエル・アンリ・ヴィクトル・ジャン・オリヴィエ・ジュリアン・シリル・ド・ランジュ」
明るい笑みを浮かべた青年が、軽く一礼する。
「仲良くしようね、未来の義姉上」
「っ……シャルル!」
慌ててレオナールが制止する。シャルルは悪びれもせず肩をすくめ、くすりと笑った。
「あははっ。よろしくね、アンジェ」
その一言に、テラスには再び柔らかな笑いが広がる。一人の青年が穏やかな笑みを浮かべて前へ出た。
「私はジャン・アンリ・マクシミリアン・ド・ランジュです」
静かに一礼し、優しく微笑む。
「この中では長兄扱いされています。あなたの帰国を歓迎します」
落ち着いた声音に、アンジェリーヌの緊張が少しだけ和らいだ。続いて、一歩前へ出たのは赤みを帯びた金髪の青年だった。
「俺はヴィクトル・ジョゼフ・ロドルフ・ド・ランジュ。堅苦しいのは苦手だ」
気さくに片手を上げる。
「困ったことがあったら何でも言え」
ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、その眼差しはどこまでも優しかった。次に前へ出た青年は、騎士らしく背筋を伸ばして一礼した。
「イヴォン・ルネ・アレクサンドル・ド・ランジュ=ガルディアンです」
静かな声が凛と響く。
「護衛騎士として、お守りいたします」
真っ直ぐな眼差しに、揺るぎない誠実さが宿っていた。最後に勢いよく一歩前へ飛び出したのは、少年らしい笑顔を浮かべた青年だった。
「僕はジェラルド・ヴィクトル・エドモン・ド・ランジュ=ガルディアン! よろしくね、アンジェ従姉様!」
「ジェリー、お前同い年だろう」
ヴィクトルが呆れたように突っ込む。
「えへっ。僕のほうが半年遅いし、シャルル従兄様が義姉上って言うから、つい」
照れたように頭をかくジェラルドに、その場の空気がまた一段と和らいだ。レオナールは苦笑を浮かべながらアンジェへ向き直る。
「アンジェ、こちらへ」
すっと差し出された手に、アンジェリーヌは少し戸惑いながらも手を重ねた。温かな手に導かれ、ゆっくりと歩き出す。向かった先には、穏やかな笑みを浮かべる老夫婦が待っていた。
「あっ……」
思わず声が漏れる。
あの時の老婦人。セラファンで目覚めた時、「おかえりなさい」と言ってくれた、優しい人……
その隣には、金茶の髪の女性が優しく微笑んでいた。あの人も、目を覚ましたばかりの自分に、優しく声を掛けてくれた人だった。
「祖父と祖母です」
「祖父のフェリクスだ」
フェリクスは優しく目を細める。
「……マリーアンジュによく似ている。……よく帰ってきてくれた」
「祖母のエレオノールよ」
エレオノールはそっとアンジェの手を包み込んだ。
「元気になって良かったわ。ここでは安心して過ごしてね」
レオナールが隣へ視線を向ける。
「こちらが私の父と母です」
ルイが穏やかに頷く。
「伯父のルイだ。帰ってきてくれて嬉しい」
「フェリシエンヌよ。伯母様と呼んでね」
王妃は嬉しそうに微笑んだ。
「こちらがジャンの両親です」
アンリが静かに一礼する。
「アンリだ。これからよろしく頼む」
「アデライドです。ようやく会えましたね」
穏やかに微笑みながら一礼する。
「ジャンの妻、エリザペトです」
「どうぞよろしくお願いいたします。何かあれば、いつでも頼ってくださいね」
エリザペトの陰からアルフレッドがひょこっと顔を覗かせ、好奇心いっぱいの瞳でアンジェを見つめていた。
「あの子はアルフレッド。ジャンの息子です。もう一人ファビアンという子がいますが、まだ小さいのでまた今度」
レオナールはさらに隣へ視線を移した。
「こちらがヴィクトルの両親です」
「ジョゼフだ」
豪快に笑う。
「堅苦しいのは抜きだ。何かあれば遠慮なく頼れ」
「コンスタンスです。ゆっくり元気になってくださいね」
「最後に、イヴォンとジェラルドの両親です」
「ルネだ」
穏やかな笑みを浮かべる。
「帰ってきてくれて、本当に嬉しい」
「ブリジットよ」
目を潤ませながら微笑む。
「あなたに会える日を……ずっと楽しみにしていたの」
ブリジットは一歩前に出ると、そっとアンジェリーヌを抱きしめた。母とは違うぬくもりに、アンジェリーヌの瞳が潤む。
「さあ、席に着きましょう。アンジェはこちらにいらっしゃい」
「っ、ブリジット叔母上、アンジェは私達の席に……」
「あら、私達が退席したあとは貴方達が独占するのですから、今だけはいいでしょう」
ブリジットはふふっと微笑み、アンジェリーヌの腕を取る。
「そうよ、レオナール。わたくし達が先よ」
「母上……」
いつの間にか移動して来たフェリシエンヌも、ブリジットの反対側に付く。
「私もアンジェと話したかったの」
「さぁ、アンジェ。こちらにいらっしゃい」
「え、あの……」
アデライドとコンスタンスにも阻まれる。
「母上、叔母上方。お待ちください」
レオナールの低い声に、女性たちがぴたりと足を止めた。
「その前に、王族指輪と王族腕輪を」
「あら、ごめんなさい」
ブリジットが口元へ手を当てて笑う。
「つい……」
隣ではフェリシエンヌも照れたように微笑んだ。
「そうでしたわ」
フェリクスは小さく咳払いをすると、侍従から恭しく差し出された小箱を受け取った。蓋を開き、中から一つの指輪を取り出す。
「アンジェ」
穏やかな声が響く。
「これはセラファン王族のみが身につける指輪だ」
フェリクスはアンジェリーヌの右手をそっと取り、ゆっくりと中指へ指輪を通した。
「セラファン王族の証として、この指輪を授ける」
指には少し大きく見えた指輪は、はめられた瞬間、淡い光を放つ。まるで意思を持つように静かに縮まり、ぴたりとアンジェリーヌの指へ収まった。
「……光が」
思わず呟くアンジェリーヌへ、レオナールが穏やかに説明する。
「魔導具でもあります。最初に装着した際に魔力を登録し、それ以降は本人以外には身につけられません」
淡青銀のミスリルで作られた王族指輪。中央には、淡く青く揺らめく王家石。その周囲を、小粒のサファイアが上品に彩っている。
「貴女の指輪には、あえてサファイアも入れました。レオナールのものには、二人が婚約した時にエメラルドを入れて作り直したのよ」
エレオノールが穏やかに微笑む。
「……なぜ、ですか?」
「互いの瞳の色を、身につけられるように。婚約した時、レオナールのものだけ先に作り直したの。いつか貴女がここへ来た時には、貴女のものにも同じように入れようと決めていたのよ」
アンジェリーヌは、もう一度指輪へ目を落とした。自分の指輪には、レオナールの瞳を思わせるサファイア。そして、レオナールの指輪には、自分の瞳を思わせるエメラルド。そう思うと、胸の奥がふわりと温かくなる。
「……嬉しいです」
小さくそう答えた頃には、頬がほんのりと赤く染まっていた。すぐそばにいたレオナールが、それに気づいて柔らかく微笑む。
アンジェリーヌはその視線に気づき、少しだけ恥ずかしくなって、もう一度指輪へ目を落とした。
「そして、こちらを」
今度はレオナールが侍従から別の箱を受け取り、中から腕輪を取り出した。
「これは王族腕輪です」
アンジェリーヌの左手首へ、そっと装着する。
「指輪は王家に籍を置く者の証。そして、この腕輪は個人を証明する身分証です。素材はそれぞれ異なりますが、セラファンではすべての民が身につけています」
レオナールは優しく微笑んだ。
「セラファンの民となった証を、あなたへ」
こちらも指輪と同じ、淡青銀ミスリルで作られた王族腕輪だった。
そこには、大天使ガブリエルを象徴する百合と、大天使ラファエルを象徴する聖笏。そして王女を意味する、一対二枚の翼が繊細に刻まれていた。アンジェリーヌだけの紋章である。
中央には柔らかな輝きを放つパパラチアサファイア。レオナールを始めとする従兄弟たちが、一年以上悩み、厳選したものだ。
その周囲には小粒のピンクサファイアが可憐に並び、腕輪を彩っている。
この腕輪には、マリーアンジュが生前身につけていた腕輪のミスリルとピンクサファイアが受け継がれていた。だが、その事実をアンジェリーヌへ伝えるのは、もう少し先。心が落ち着いてからと、皆で決めていた。
「綺麗……」
思わず零れた呟きに、レオナールは目を細める。
「これは、あなたの身を守る大切な証です。どうか、決して外さないでください」
「はい。ありがとうございます」
もちろん、腕輪に施された数々の防御術式については、誰も口にしなかった。それはマリーアンジュの最期にも関わるもの。もし知れば、アンジェリーヌはきっと自分を責めてしまう。
だからこそ──、今は伝えない。
「アンジェ」
エレオノールが優しく微笑む。
「腕輪の詳しい使い方は、わたくしたちが教えてあげるわ」
「さあ、今度こそこちらへ」
ブリジットが再びアンジェリーヌの腕を取る。
「あ、あの……」
あっという間に女性たちに囲まれたアンジェリーヌは、そのまま席へと案内されていく。
「僕も!」
シャルルが何の迷いもなくその輪へ加わる。
「僕もアンジェの隣!」
ジェラルドも負けじと駆け寄り、嬉しそうに椅子へ腰掛けた。
「ふふっ、二人ともいらっしゃい」
「今日は賑やかになりそうね」
女性陣は当然のように二人も迎え入れ、瞬く間に楽しげな輪が出来上がる。
少し離れた席に残されたのは、レオナール、ジャン、ヴィクトル、イヴォンの四人だけだった。
ヴィクトルが苦笑しながら肩をすくめる。
「見事に置いていかれたな」
「……母上が申し訳ございません」
レオナールが肩を落とす。
「それを言うのであれば、私の母も同じです」
ジャンも苦笑交じりに答えた。イヴォンは女性たちの輪へ視線を向け、小さく頷く。
「……楽しそうで何よりです」
ヴィクトルはレオナールの肩をぽんと叩いた。
「諦めろ、レオン。女同士で盛り上がったら、俺たちの出る幕じゃねぇ」
レオナールは女性たちの輪の中心で、ようやく自然な笑顔を見せ始めたアンジェリーヌを見つめる。
その笑顔を見られただけで、今日のお茶会は十分だった。




