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14

 アンジェリーヌの本契約を終えたその日から、王宮は慌ただしさを増した。

 まず執り行われたのは、マリーアンジュとダーフィットの葬儀だった。

 王家の廟堂には、アンジェリーヌ救出の際にウリエルが回収していた二人の遺髪と、マリーアンジュの王族装身具が納められる。セラファン王族以外がこの廟堂に眠るのは、ダーフィットが初めてである。それは、マリーアンジュとアンジェリーヌを想う王家の、特例だった。

 その傍らでは、マリーアンジュの訃報とアンジェリーヌ王女帰国を知らせる正式な通達が各国へ送られ、ホーフダルへの対応も連日協議が重ねられていた。

 レオナールたちも午前中だけ執務へ赴き、急ぎの案件を片付けると、すぐに熾天宮へ戻る日々が続く。


 一方、アンジェリーヌは数日間、目を覚ましては食事を摂り、また眠ることを繰り返していた。夜になると魘されることも多く、穏やかに眠れる日はまだ少ない。

 その様子を見た王家は協議を重ね、当初予定していた王女宮ではなく、王太子宮にアンジェリーヌの部屋を用意することを決めた。

 熾天宮で療養を続けるべきか。それとも王太子宮へ移るべきか。王妃と大公妃、そしてレオナールたちの間で、幾度となく議論が交わされる。


 ──結果は、レオナールたちの粘り勝ちだった。


 十日後、熾天宮。


 春の庭へ大きく張り出した、屋根付きのテラスでは、王族たちが主役の登場を心待ちにしていた。

 春風が花々を優しく揺らし、穏やかな陽光が白い卓を照らす。香り高い紅茶が用意されているというのに、誰も手を伸ばそうとはしない。


「まだかしら」

「母上、落ち着いてください」

「あなた達が一番落ち着いてないでしょう」


 フェリシエンヌがくすくすと笑う。


「まったく……あなた達は頑固なんですから」

「あれは譲れません」


 レオナールは迷いなく言い切った。


「アンジェが夜に魘されたら、すぐ駆けつけられます」

「僕達もそばで支えたいんです」

「護衛騎士である私が傍にいるのは当然です」

「結果、王太子宮ね」


 エレオノールが肩をすくめる。


「粘り勝ちだったわねぇ」

「母上達も最後まで反対していたじゃないですか」

「だって、まだ婚約者なのよ。熾天宮でもいいではありませんか。それに王女宮も素敵だし、何よりマリーアンジュも過ごした宮なんですもの」


 フェリシエンヌが少しだけ口を尖らせる。


「確かにその通りですが」


 レオナールは穏やかに微笑んだ。


「王女宮でアンジェが一人になるのは、まだ早すぎます。熾天宮では、皆に気を遣ってしまうでしょう。私はただ、アンジェが一番安心できる場所にいてほしいだけです」


 何度も繰り返された言葉に、フェリシエンヌが小さく嘆息する。


「わたくしだって、娘と暮らしたかったのよ」

「母上、本音が……。でも、兄上、あの時すごかったよね」


 シャルルが思い出したように笑う。


「絶対譲らなかったもんな。今もだけど」


 ヴィクトルも苦笑する。


「でも、あそこには僕達の部屋もありますし」

「元は客室だったがな」


 ヴィクトルが肩をすくめる。


「最初に自室にしたのはヴィクトルでしょ」

「俺は荷物を置いただけだ」

「ですが、きっかけがヴィクトルなのは間違いありません」

「イーヴ、お前なぁ……。お間だって同じじゃねぇか」

「私は護衛騎士として泊まり込んだだけです」

「可愛くねぇ」

「可愛くなくて結構」


 どっと笑顔が弾ける。


「私もエリザ達と移ります」


 ジャンが当然のように告げる。


「精神的な支えも必要ですから」


 フェリシエンヌとエレオノールは顔を見合わせ、小さく笑った。


「それなら安心ね」

「ええ。エリザペトがいてくれるなら心強いわ」


 フェリシエンヌが優しく微笑む。


「負担になるかもしれないけれど、この子達をお願いね」

「お任せくださいませ」


 エリザペトは穏やかに一礼した。


「乳母や侍女も増員していただきましたので、大丈夫ですわ。アンジェリーヌ様にも、どうか安心して過ごしていただけるよう努めます。どうぞ安心してお任せくださいませ」

「僕も遊び相手になるし!」

「ふふっ」


 ジェラルドが胸を張ると、一同から笑いが漏れた。

 控えていた侍女が、静かに一礼する。


「アンジェリーヌ様がお見えになります」


 先ほどまで賑やかだったテラスから、笑い声がすっと消えた。会話がぴたりと止まり、全員が一斉に立ち上がる。


 扉の先から現れたアンジェリーヌは、淡いセージグリーンのドレスを身にまとっていた。フェリシエンヌとエレオノールが、彼女のために仕立てた一着である。

 胸元から緩やかに流れる柔らかな生地は、身体を締めつけることなく足元まで優しく広がっている。二の腕をふんわりと包む袖は、肘から先へゆるやかに広がり、歩みに合わせて軽やかに揺れた。


 雪のように白い肌には穏やかな血色が戻り、陽の光を透かしたような淡い金の髪が、ゆるやかな波を描いて春の日差しを受けて煌めいていた。

 春の若葉を思わせる翠の瞳には、金橙の光が小さく花開くように揺れていた。

 幾重にも重なる裾が春風をはらみ、その髪もまた、陽の光を受けて柔らかく煌めく。

 飾り立てることよりも、穏やかに過ごせることを大切にした装い。それでも、その姿は誰の目にも美しかった。

 十日前、血と泥に塗れ、断頭台に立っていた少女とはまるで別人だった。春の陽だまりが、そのまま少女の姿をとったようだった。



 扉の向こうから聞こえていた賑やかな笑い声が、ふっと途切れた。その静けさに、アンジェリーヌの緊張が少しずつ増していく。この先にいるのは、セラファンの王族たち。

 母、マリーアンジュの家族。

 婚約者である王太子と、五人の従兄弟たちも揃っていると聞いている。

 ホーフダルの親族は、皆辛辣だった。だからだろうか。会うのが、ほんの少しだけ怖い。

 処刑場から救い出し、このセラファンで保護してくださった方々。

 この十日も、体調が戻らない自分を気遣い、面会は控えながら、それでも幾度となく花を届けてくださった。そんな優しい方々を怖がるなんて、失礼だ。そう思っているのに、それでも、やはり胸の奥が少しだけ震えてしまう。


「アンジェリーヌ様、どうぞ中へ。皆様がお待ちでございます」


 侍女に促され、アンジェリーヌは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。


 大丈夫。


 そう自分に言い聞かせ、一歩、テラスへ足を踏み入れる。途端に、視線が一斉にこちらへ向いた。

 そのあまりの熱量に、思わず歩みが止まる。緊張で指先がかすかに震えた。

 けれど、その時だった。一番先に目へ飛び込んできたのは、春の陽だまりを閉じ込めたような、蜂蜜色の髪。


 ──天使様。


 処刑台で初めて見た、あの日と同じ色。それだけで、不思議と肩の力が抜けた。

 蜂蜜色の髪の青年が、静かに一歩前へ出る。穏やかに微笑む瞳は、澄み渡るサファイアブルーに、金琥珀の輝きを宿していた。

 二つの色を持つ瞳。

 ホーフダルでは、そんな瞳を持つ自分は”化物”と蔑まれた。けれど、目の前の青年の瞳は、あまりにも優しく、美しかった。


 ──綺麗な瞳。


 自然と、その瞳から目が離せなくなる。

 青年は優しく微笑んだ。


「……会いたかった」


 一度だけ言葉を切る。目の前の少女が夢ではなく現実なのだと、改めて噛み締めるように。

 それから穏やかに微笑んだ。


「……元気そうで安心しました」


 その一言に、アンジェリーヌは思わず目を見開く。胸の奥が、じんわりと温かくなる。


「……ありがとうございます」


 自然と笑みがこぼれた。


「兄上」


 その空気を壊すように、シャルルがにやりと笑う。


「……何だ」

「他に言うことないの?」


 レオナールが首を傾げる。


「綺麗だね、とか」


 ヴィクトルも肩を揺らした。


「可愛い、とか」


 イヴォンは真面目な顔のまま、小さく頷く。


「髪も、とてもお似合いですよ」

「ドレスもよくお似合いです」


 ジャンまで、ごく自然に言葉を添える。


「……」


 レオナールが一瞬固まった。


「なんで言わないの?」


 ジェラルドだけが、本気で不思議そうに首を傾げる。


「……うるさい。黙れ」


 ぴしゃりと言い返したレオナールに、テラスはどっと笑いに包まれた。

 一つ小さく咳払いをすると、レオナールは改めてアンジェリーヌへ向き直る。先ほどまでよりも少しだけ早口で、胸へ手を添え優雅に一礼した。


「レオナール・ミシェル・ルイ・フェリクス・オリヴィエ・アルベール・シルヴァン・ヴィクトル・シリル・アレクサンドル・ド・ランジュ。セラファン王国王太子として、あなたをお迎えします」

「…………」


 レオナール。


 アンジェリーヌは息を呑んだ。

 間違いない。母が幾度となく語ってくれた、婚約者の名前。

 幼い頃、何度も復唱し、忘れないように覚えた名前だった。


「……天使様が、私の婚約者……?」


 その小さな呟きに、テラスへ柔らかな笑いが広がる。レオナールも思わず口元を緩めた。


「はい」


 静かに頷く。


「改めて、皆を紹介します」


 そう言うと、隣に並ぶ五人へ視線を向けた。


「私の大切な弟と従兄弟たちです」


 五人が一歩前へ出る。穏やかな笑みを浮かべ、揃って一礼した。 


「ようこそ、従姉妹姫」

「セラファンへお帰りなさい」

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