↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/36

9

 特別緊急転移陣の間。


 片隅に腰掛けた大公妃エレオノールは、静かに手を組んでいた。侍女が静かに動いて小卓に茶器を置く。


「大公妃陛下、お茶をお持ちしました」

「ありがとう」


 返事はしたが、手に取る気にはなれなかった。この組んだ手を解いてしまうと、何かが壊れそうな気がして……

 どうしても、できなかったのだ。

 小会議室に届いたという天使の知らせを聞いたのは、この部屋に腰を落ち着けてからだった。

 耳を、疑った。そんな馬鹿なことがあるものかと、否定したくなった。

 レオナール達が疾走していたので、アンジェリーヌに危険が迫っているのだと察したが、まさか処刑場へ引き出されたなどと、誰が思うだろうか。

 娘に続いて孫娘まで失うかもしれない恐怖に、エレオノールは震えた。

 組んだ指先が冷えている。もう、自力では解くことができないかもしれない。そんな恐怖に、ただ一人耐えていた。


 キィィィィン!!


 緊急転移を知らせる音が響き渡る。護衛騎士たちがぱっと姿勢をただし、エレオノールがはっと顔を上げる。


 パァァ──


 目を開けていられないほどの眩い光に思わず目を閉じる。


「医師を呼べ!」

「早く!!」

「急げ!!」


 光が収束するのを待たずに飛び交う怒号に、エレオノールが音を立てて立ち上がる。

 収束しかけた光の中に、待ちかねた者たちがいる。

 最初に見えたのはレオナールと、その腕に抱かれたアンジェリーヌ。

 血の気の失せた顔。

 毛布に包まれた小さな身体。

 ほんの一瞬、最悪の事態が心に過る。けれども、耳に戻って来た音が、そうではないと事実を告げる。

 エレオノールは一瞬だけ息を呑む。だが、次の瞬間には表情を引き締めた。


「熾天宮へ。医師を待機させています」


 短く、それだけを告げると、レオナールが頷く。


「はい」


 レオナールの姿がふっと掻き消えた。残る孫達もすぐに続いた。その、ほんの一瞬。レオナール達の背に広がる翼が、初めて目に入った。


「あれは……」

「天使が融合しているようだ。ここから直接転移したのも、天使の力だろう」


 一瞬呆けたエレオノールに、ゆっくりと近づいて来たフェリクスが応える。その声には、険しさとほんの少しの安堵が滲んでいた。


「そんなことが……?」

「特例だそうですよ」


 ルネが小さく肩を落としながら言う。


「……また置いて行かれたか。お前たちは内門詰所で待機だ」

「はっ!」


 ルネ達に同行した護衛騎士と、転移陣の間に控えていたレオナールの護衛騎士が飛び出していく。フェリクスとルネがそれに続こうとする。


「お二人は小会議室へ」


 短く告げると、二人がピタリと止まる。


「国王陛下にご報告を。殿方のお仕事です」


 二人は視線を交わした。気持ちはわかる。痛いほど。


 だが──


「ここからは、わたくしたちの仕事です」


 静かな声に、二人は短く息をつく。


「……わかった」

「承知しました。母上、あとを頼みます」


 二人も意識を変えたのだろう。そのまま、何も言わずに小会議室の方へ歩いていく。その背を見送りながら、エレオノールも短く息をつく。


「わたくし達も熾天宮に参りましょう」

「はい」


 エレオノールは侍女を引き連れて、王宮内専用転移の間へと足を向けた。



 熾天宮。


 正面入口では、王妃フェリシエンヌを中心に、侍女長、侍女、王宮医師団が待機していた。

 誰もが、固唾を呑んで待つ。

 レオナール達が到着すれば、特別区内壁の門から知らせが届く手筈になっている。

 いつその知らせが来るかと、逸る気持ちを抑えて待つ。

 最初に届いたのは、マリーアンジュの訃報だった。あまりのことに声を失うフェリシエンヌに、続いて届けられたのは大公妃からの知らせ。


「アンジェリーヌ王女殿下が戻られます。至急、医師団の手配を」


 熾天宮は、にわかに慌ただしくなった。そうして、さらに届けられた知らせに、熾天宮は騒然となる。アンジェリーヌが処刑場へ引き出され、レオナール達が救助へ向かったというのだ。


 慌てるな。落ち着け。冷静になれ。どうか、ご無事のご帰還を──


 皆は王妃の指揮のもと、一丸になって行動した。そうして、待つ。ただひたすらに。


 キィィィィン──


 突然聞こえた緊急転移の音と、眩い光。


 来た──


 ここへ直接転移できるはずがない。だが、そんなことを気にする者はいなかった。

 光の中に現れたのは、翼を広げた六つの人影。背に広がった翼が光の粒子となって霧散する。レオナールの腕には、毛布に包まれた淡い金の髪──

 誰かが息をのむ。

 声が上がる、その寸前。


「レオナール、アンジェを客室へ。医師団が待機しています」


 フェリシエンヌの声が、その場にいた全員を現実へ引き戻した。


「担架をっ!」

「急いで!」

「いや、私が運ぶ」


 慌てる者たちを制したのはレオナールの抑えた声。


「ですが……」

「動かすと傷に触る。案内しろ」

「っ──、はい! こちらです!」


 時を止めたかのように息を潜めていた熾天宮が、一気に動き出した。



 レオナールは、案内の者に続き、静かに歩を進めた。イヴォンやヴィクトル、ジャン、シャルル、ジェラルドも当然のようについてくる。


「レオン、早くしろ」


 ゆっくり歩くレオナールに、ヴィクトルが苛つく。


「うるさい。傷に触ったらどうする」


 レオナールは、思わず声を荒げた。気は急いている。当然だ。早く医師に診断させたいに決まっている。だが、この一歩がアンジェリーヌの傷に触るのではと思うと、どうしても慎重になってしまう。


「医師の診断など必要か」

「我々がすぐ治せばいい」


 レオナールのすぐ側で、ミカエルとウリエルが今にも神気を放とうとする。


「ミカエル様、ウリエル様。お気持ちはわかります。ですが、医師の診断は必要です」

「時間がかかる……」

「その間、愛し子が苦しむ」


 いつもより低い声でジャンが言う。それでも納得できないと、天使達の翼がうごめく。


「そうだよ。あいつらに諸々を突きつけるために診断書は必要なんだから」


 にこやかに、冷え冷えとした瞳のシャルルに、ジェラルドはぎゅうっと眉根を寄せた。


「僕は、早く治してほしい……」

「ジェラルド、皆同じだ。俺もそう思っている」


 ジェラルドの背を叩くイヴォンの言葉が崩れている。ジェラルドは、それだけで兄の怒りの深度を理解した。


「でも、必要?」

「そうだ」


 周囲では、それぞれの守護天使達の翼が音を立てている。心配も、早く治したい気持ちも、皆同じなのだ。


 人も、天使も。


 むしろ、瞬時に治癒できる天使の方が、もどかしい思いを抱えているのかもしれない。


「こちらです!」


 開け放たれた扉をくぐる。

 寝台には厚手のシーツがかけられている。レオナールは、極力衝撃を与えぬように、そっと静かにアンジェリーヌを下ろした。

 腕の中が軽くなる。腕に残る温もりだけが、その喪失を訴えていた。


 ──離したくなかった。


 下ろさなければ医師の診断ができない。医師の診断がすまなければ、天使の治癒が行えない。

 わかっていても、一度腕に刻まれた重みと温もりを、離したくない。


 そっと手を伸ばす──


「貴方達は退室なさい」


 頬に触れる寸前に、その手がピタリと止まる。


「母上……ですが」

「アンジェの肌を晒すことはできません」


 一瞬言葉を切り、フェリシエンヌは静かに続けた。


「天使様方もです」


 天使達がいっせいに固まる。翼が激しく揺れる。拒否か、動揺か。

 まだ本契約を終えていないガブリエルとラファエルの神気が、焦燥を滲ませる。


「しかし、治癒が……」


 ミカエルが静かに口を開いた。


「まずは診断です。終わりましたらお呼びします。退室を」


 フェリシエンヌは断固と告げるが、天使達はまだ動かない。


「……本当にすぐだな?」

「はい。すぐにお知らせします。ですから退室を」

「……従おう」


 ミカエルが、ようやくそれを口にした。


「レオナール、貴方達も退室なさい」

「……アンジェを、頼みます」


 レオナールも天使達も、引き下がるしかなかった。


「天使様方。姿を消して残ることはなさいませんように」

「…………わかった」


 レオナール達は名残惜しさを胸に、静かに部屋をあとにした。

 閉ざされた扉の向こうには、ただアンジェだけが残された。

 静まり返った廊下では、誰一人、その場を離れようとはしなかった。誰もが、ただ閉ざされた扉を見つめていた。

 そこへ、エレオノールが静かに歩み寄ってきた。


「レオナール」


 返事はない。


「皆もです」


 拒否を許さぬ声音に、ようやく六人が振り向く。


「客室の用意ができています。湯浴みをして、身支度を整えていらっしゃい。レオナールとシャルルは、以前使っていた部屋へ」


 ヴィクトルが反射的に首を振る。


「嫌だ。離れたくねぇ」


 イヴォンも静かに首を横に振る。


「……俺もです」


 ジャンも、シャルルも、ジェラルドも、それを拒否した。レオナールも扉から目を離さない。


「アンジェが……」


 そんな孫達に、エレオノールは少しだけ表情を和らげる。


「アンジェが目を覚ました時。その姿で会うつもりですか。雪で濡れて、泥が付いて、埃まみれ。髪まで乱れたままで。アンジェとの最初の対面が、その姿でよいとでも?」


 六人が黙る。ちらりと隣に目をやり、自分の服に視線を落とす。


「医師の診断には時間がかかります。天使様方の治癒はすぐに終わるでしょう。ですが、アンジェにも食事と湯浴みが必要です。その間に身支度を整え、貴方達も食事を済ませていらっしゃい。ここは、わたくしたちが見ています」


 その一言で、ようやくレオナールが目を伏せる。  


「……はい」


 ここでも、従うしかなかった。六人は後ろ髪を引かれながら、それぞれ用意された客室へと足を向ける。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。