7
ホーフダル王国。
王都、モルヘンダルは重苦しい空気に包まれていた。
国民の敬愛するダーフィット国王陛下とマリアアンシェ王妃殿下が、魔獣に襲われて崩御されたと告知されたのが三日前の夜。
同時にダーフィットの異母弟であるヘイルトが新王として即位したという告知もされた。
二人の葬儀もまだ終わらぬうちに、新たな王が即位する。
あまりにも性急な王位継承に、人々は言葉にならない不安を抱いていた。
「御即位が早すぎないか」
「御葬儀もまだなのに……」
「ダーフィット陛下がお亡くなりになったら、我々はどうなるんだ……」
「新しい王様はあの方なんだろう?」
「ああ。あの黒髪黒目のお方だ」
「儂らを蔑んでばかりの」
「……女は隠せ」
「男の格好をさせろ」
「顔に煤を塗るんだ。汚く見えるように」
「体の線を誤魔化せ」
「布を使え。太って見せるか寸胴に見えるようにするんだ」
「あたしゃ、マリアアンシェ様にお声をかけてもらったことがあるんだよ」
「冬の炊き出しで温かいスープをいただいた」
「俺も、不作の年に助けられた」
「ダーフィット陛下もご一緒だったな」
「小さな姫様も……」
「姫様がお可哀想だ……いっぺんにご両親を亡くされて……」
「姫様、今どうされているんだろう……」
「新王様に酷いことをされてなきゃいいんだが……」
「縁起でもないことを言わんとくれ!」
「いや、でもな……姫様の御髪と瞳は……」
誰も、その先を口にはできなかった。
黒髪黒目ではない。
ただ、その事実だけが重く胸にのしかかる。誰かが、ぶるりと身を震わせた。
声を抑えた会話があちらこちらで交わされる。警邏の兵士に見つからないように、密かに、細やかに。
そうして、三日後。
昼の一の鐘が鳴ると同時に、その告知がされた。
三の鐘で罪人の公開処刑を行う。
王都の全ての民は処刑場に集うこと。
何人たりとも漏れは認めない。
来ぬ者は厳罰に処す。
告知兵の声が去ったあとも、誰一人として口を開けなかった。
無茶だ……
誰かが言った。
鐘二つの間に全ての王都民が、どうやって行けるのだ。距離のある者、老人や子供の足では辿り着けるわけがない。
そもそも、公開処刑など数十年ぶりではないか。
ダーフィット王は処刑そのものをせず、その先代のドミニクス王の時代もよほどの重い罪を犯さない限り処刑は行わなかった。あったとしても、それは密やかに行われて、後に罪状とともに告知されるだけだったというのに……
やはり、あの方が王になるのは……
恐ろしい。
ああ、恐ろしい、恐ろしい……
そうして人々は、ある者は徒歩で。
ある者は荷馬車で。
ある者は兵士に追い立てられ。
中には引きずられ、荷馬車へ押し込まれる者もいた。
重い足取りと、重い空気をまといながら、長らく使われていなかった処刑場に、家畜のように集められるのだった。
長らく使われていなかった処刑台は、風雪に晒されていたからだろう。黒くくすんだ色をしていた。
──いや。
もしかしたら。あの黒は過去に処刑された者たちの血なのかもしれない。
奥の観覧席には派手に着飾った王侯貴族が談笑している。
中には下を向き、会話の輪に加わらない貴族もいるが、それは少数。
その中で、人々の目は観覧席の中央に鎮座する新しい王家に注がれていた。
嫌でも目に入る。
無駄に幅の広がったドレスと、黒髪を異常なほど高々と結い上げた髪の女性は、新しい王妃と王女だろうか。
いくつもの装身具がギラギラと輝いているのが遠目でもわかる。
新しい国王と王子もとにかく派手な装いだ。
マリアアンシェ様やサラ姫様と大違いだ。
誰かがぽつりと呟いた。
ダーフィット陛下とも大違いだ。
誰かが小さく呼応する。
気づかれないように、小さく、さざなみのようにそれは広がっていった。
一体誰が処刑されるのか。
盗賊か、それとも罪人か。
それとも反逆者か。
はたまた、ダーフィット王と共に改革を進めていた者か。
詳細を何も知らされていない民達は、ただただ不安に駆られるばかりだった。
人々は恐怖で震えた。
ある者は既に目を瞑り、母は幼い子の目を塞ぐ。下を向いたままの者もいた。
そして──
「罪人を引き出せ!」
高らかに告げられた声とともに、処刑場に立たされたのは、粗末な服を着せられた、淡い金の髪の──
「……姫様?」
「サラ姫様?」
困惑した声があちらこちらで上がる。
「違う……見間違いだ」
「姫様が罪人のはずがない!」
「あれは姫様じゃない、そうだろう……?」
誰もがそう願った。
だが、淡い金の髪も、小柄な身体も。何より、その気高さは、紛れもなくサラ姫だった。
「嘘だろう……」
「そんな、まさか……」
「姫様!!」
「やめろっ!」
囁きは瞬く間に広がり、絶叫がこだまする。
「黙れ!」
「静まれ!!」
兵士が怒鳴るが、人々の声は止まらない。
「気に食わないのよ! この色無しが!」
パァンッ!
華奢な身体が大きく揺れ、そのまま膝から崩れ落ちた。鋭い鞭の音に、叫んでいた者たちが一瞬で静まりかえる。いつの間にか前に出ていた派手な女が鞭を振るう。
「色無しのくせに婚約なんて!」
「生意気なのよ!」
「さっさと首飾りを渡せばいいものを!」
「そうしたら楽に殺してやったのに!」
口汚く罵る女の、なんと醜いことか。
パァンッ!
「サラ姫様!」
誰かの悲鳴が響く。
それでも少女は泣き叫ばない。
鞭が振るわれるたび、小さな身体が震える。
もう何度打たれているのか。小さな身体はとうに限界を超えているはずだった。それでも、少女は命乞い一つしない。
民へ微笑みかけていた、あの優しい姫君と同じ気高さが、そこにはあった。
女はなおも鞭を振るう。醜く歪んだ顔に愉悦が広がっていた。
「ああ……!」
「やめてっ!」
「やめろっ!」
「姫様!」
「サラ様!」
「姫様──!!」
悲鳴と、絶叫と、泣き叫ぶ声が大地を震わせた。
気が済んだとばかりに鞭を放り投げた女が観覧席に戻っていく。
兵士二人が力任せに少女を引き起こす。
足は震え、自分では立てないのだろう。引きずるように断頭台まで連れていかれ、小さな身体が木枠へ押し付けられる。
長い淡金の髪が乱暴に掴み上げられ、白い首筋が晒された。
処刑人が、処刑剣を高々と掲げる。
そのどれもこれもが、民の目にはゆっくりと見えた。
「やめてっ」
母親が子どもを抱き締めながら泣き崩れる。
「神よ……!」
老人がその場に膝をつく。
男たちが兵士を押しのけようとして槍を向けられる。
「やめろ!」という叫びが処刑場中から上がる。
人々の絶叫と、懇願と、絶望が最高潮に達した時──
ぶわり、と。
世界そのものが息を呑んだ。
次の瞬間。
凄まじい轟音とともに、眩い白銀の閃光が処刑場を呑み込んだ。人々は思わず目を閉じ、吹き荒れる風に身を伏せる。
光が晴れた時──
爆風で雲が吹き飛び、青空が姿を現した。太陽を背に、白き翼を広げた者達が浮かんでいる。その足元には黄金の魔法陣が幾重にも重なり、神々しい輝きを放っていた。
一柱。
二柱。
三柱。
……
六柱。
誰一人、地に足をつけてはいない。白き翼が風を孕み、静かに空を打つ。神話でしか語られぬ存在が、今、確かにそこにいた。
「……天使?」
誰かが震える声で呟く。
「え、まさか……」
中でも中央にいる天使は、他を圧する輝きを秘めていた。
その背の翼は──
「……四枚?」
「なっ……!?」
「なんだ……!?」
閃光の中を、一条の影が駆け抜けた。
──ギィィン!!
凄まじい音とともに、処刑人が吹き飛んでいく。
数瞬も置かずに残りの二人も吹き飛んだ。
一柱の天使が白い翼をふわりと広げ、姫を覆う。
もう一柱の天使は姫の傍らへ膝をつき、その前へ立ちはだかるように周囲を睨み据えた。
「俺の妹に何してやがる!!」
赤みを帯びた髪を逆立て、白い翼をぶわりと膨らませた、一際大きな天使の怒号が処刑場を揺るがした。




