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6

 北の空を貫くヴァルミール大山脈。


 セラファン北方に連なる、人跡未踏の大山脈。地図上では隣国に見えるホーフダル王国や北方小国群との往来を拒み、古来よりセラファンを守り続けてきた天然の国境。


 その最高峰――白翼峰《モン・ブランシュエール》。


 人も魔獣も寄せ付けないその場所に、神々しい光が弾けた。次の瞬間、巨大な転移陣から三つの影が飛び出す。一拍おいて再び光が瞬き、さらに三つの影が姿を現した。

 雪を蹴り上げ、誰一人立ち止まることなく白翼峰へと駆け出す。先頭を走るのはレオナール。その後をヴィクトル、イヴォン、ジェラルド、ジャン、シャルルが続く。

 白翼峰を渡る風が、砕けた氷雪を高く巻き上げる。その白い吹雪に溶け込むように、ミスリル製の扉がひっそりと淡く輝いていた。


 特別緊急転移陣。


 マリーアンジュがホーフダルへ嫁ぐ際、兄であるルイ、アンリ、ジョゼフ、ルネが密かに設置したものだった。

 黒髪黒目至上主義が根付くホーフダルを危惧した四人は、自らの守護天使に、人馬が通り抜けられる国境の抜け道を探させた。

 数年もの歳月をかけ、ようやく見つけた唯一の道。

 だが、その出口は、まさかの白翼峰山頂だった。人馬はおろか、熟練の登山家でさえ辿り着けるか分からない神域。それでも彼らは、その地に転移陣を築いた。


 ──いつか、妹を迎えに行く日が来るかもしれない。


 そんな最悪の事態だけは訪れないことを、心から願いながら。


「あそこか! 急げ!」


 あたりは凍えるような寒気に支配されていた。

 息を吸うたび肺が焼けるように痛み、吐き出した白い息は瞬く間に風へ攫われる。深い雪は容赦なく足を奪い、一歩ごとに速度を削っていく。


 ──それでも。


 六人はただ前だけを見据え、白翼峰を駆け上がった。

 一瞬の遅れが、アンジェリーヌの命を奪うかもしれない。


 絶対に助け出す。

 必ず、助けてみせる。

 その一心だけが、彼らを突き動かしていた。


 青白く輝くミスリルの扉。

 一度北側へ跳び、さらにアンジェの王家石の首飾りに刻まれた転移陣へ。

 だが安全を優先したその転移陣は、アンジェリーヌの傍へ直接繋がるものではない。

 その二度の転移がもどかしい。

 だけど、あと少しだ。もうすぐアンジェリーヌのそばに行ける。

 先頭を走っていたレオナールが、転移陣に手を伸ばす。王族の腕輪に反応して、扉が虹色に揺らめいた、


 その時──


「特例許可。融合する」


 ミカエルの声が脳裏へ響く。


「このままでは間に合わぬ」


 可否も問わずに、それは起こった。


 レオナールの背後に顕現したミカエルとウリエルの身体が黄金の粒子となってほどけていく。吹き荒れる白銀の吹雪さえ、その神々しい光を隠すことはできない。光は二つの流星となり、まっすぐレオナールの胸へ吸い込まれた。


 ドクン──


 心臓が大きく脈打つ。

 神気が一気に身体中を駆け巡り、世界が鮮やかに色を変えた。


 白銀の世界。

 風の流れ。

 雪の結晶。

 遠く離れた魔力の揺らぎ。

 すべてが、手に取るようにわかる。


 眩い黄金の光がレオナールの背から噴き上がる。


 一対。

 さらにもう一対。

 四枚の純白の翼が、大きく天へと広がった。

 神気が長衣の表面を白銀に染め上げる。


 ゴォォ……


 爆炎のような神気がヴィクトルを包み込み、純白の双翼が背から大きく広がる。


 キィィン……


 湖面のように静かな光がイヴォンを満たし、その背へ二枚の翼を顕現させた。


 パァァ……


 淡い光がジャンを包み、揺るぎない双翼が静かに羽ばたく。


 フワリ……


 春の日差しのような柔らかな輝きがシャルルの背に双翼を咲かせる。


 バァァ……


 若木のような生命力あふれる光がジェラルドを貫き、力強い双翼が広がった。


 そうして、更に──


 腕輪に収納されていた額飾りが、呼応するように宙へ浮かぶ。

 六つの王家石が淡く輝き、それぞれの額へ吸い寄せられる。契約の証が、本来あるべき場所へと還った。


「レオナール!」


 後方で響いた声に、レオナールは振り向きもしない。

 ただ一言。


「行ってきます」


 その言葉を残し、六人は眩い光に包まれながらその姿を消した──



 レオナール達から少し遅れて転移陣に辿りついたルネは、あまりにも神々しい光景に目を見開いた。

 レオナールの背には、二対四枚の翼が白金の光を放っている。

 他の五人の背にも純白の双翼が広がっている。


「なんだ、あれは……」


 一体何がどうなっているのだろう。あの翼は彼らの守護天使のものなのか。


 まさか──


「融合……してるのか?」


 見たことがない。聞いたことがない。信じられない。こんな事があるなんて──

 だが、確固とした現実が目の前にある。


 フェリクスもまた、その翼から目を離せなかった。

 王家の禁書庫に残る建国神話。初代国王と天使が共に戦ったという伝承。でもそれは、あくまでも共に戦ったというだけで、今のように融合したというわけではない。

 王家に残されている歴史書のなかにも、そんな事実は一切ない。


「……これが、大天使の力か……」


 フェリクスは確信した。これは、レオナールに加護を与える二柱の大天使が起こした奇跡だと。


 初代から千年以上。


 何代もの王族が守護天使の加護を得てきたが、大天使の加護を受けたのはレオナールが初めてだ。

 レオナールの加護が大天使だと判明したときの驚愕と、混乱は今でも記憶に鮮明だ。


 しかも、それが二柱。


 教会の狂乱振りが蘇る。

 奇跡だ、吉兆だ、凶兆だ。喧々囂々の会議が幾日続いたことだろう。


 でも、今は。


 異例尽くしの大天使の加護は、このときのためにあったのだろうかと、そう思えてしまう。


「レオナール!」


 乱れた息の中、神々しい姿の孫に向かってフェリクスが叫ぶ。


「行ってきます」


 そう、聞こえた気がした。

 彼らのところまであと少し。


 パァァァ──


 六人の姿が、神々しい光の中へ消える。

 残されたのは、青白い光を纏ったミスリルの扉と、光を受けて虹色に輝く雪と氷の粒──

 フェリクスは、その場に呆然と佇み一歩も動かなかった。眩い光が消えたあとも、転移陣だけを見つめ続けている。


「父上」


 返事はない。

 ただ一言。


「帰ってくる」


 それだけを呟く。その声に迷いはなかった。


 ルネは小さく息をつく。

 父は動かない。ならば、自分が動くしかない。腕輪の中に常備している毛皮の外套を、父の肩にかける。


「いらん」


 外套を振り落とそうとする父の肩を抑える。


「……風邪を召します」

「いらん」

「アンジェが悲しみます」


 返事はない。

 代わりにフェリクスは僅かに肩を揺らした。受け入れたのだと分かる。

 背後では護衛騎士達が転移扉を見渡せる位置へ、防寒天幕を張り始めていた。転移扉から少し離れた位置に、風を防ぐための待機用天幕が設置された。


「温かい飲み物も用意しろ」

「承知しました」


 近衛が駆け出す。


「父上、こちらに」


 ルネはフェリクスを後方へ誘う。


「ここで待つ」

「駄目です。先程も言いましたが、ここで父上の体調が崩れたら、アンジェが悲しみます」

「ここでいい」


 ルネは短く嘆息した。

 父は待っている。ここから動かないのではない。動けないのだ

 娘を嫁がせて十六年。待ちに待った娘の里帰りをどれほど待っていたのか。


 自分もそうなのだ。


 それなのに、目前でそれを奪われた絶望。だからこそ、今度こそ、孫娘を自らの手で迎えるために。

 その痛みと決意を知っているからこそ、ルネは無理に止められなかった。


「風避けをここに。魔導火鉢はあるか? ありったけ出すんだ」


 諸々の指示を出し、もう一枚外套を取り出して父の肩にかける。なんとか風除けの中に父を座らせたルネは、もう一度だけ転移陣へ目を向けた。


(頼んだぞ)


 その願いは、もう届かない。

 白銀の峰に残された転移陣は、静かに青白い光を灯している。


 あの扉が再び開く時。

 願わくば、レオナール達が。

 アンジェリーヌを抱いて帰ってきますように。


 天使達よ……どうか、彼らを。姪を、甥達を、息子達を……


 ──お守り下さい。


 それまで、この場所だけは何があっても守り抜く。

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