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セラファン王宮都市最奥部。
堅牢な内壁に囲まれた王族特別区。
そのさらに奥、結界を宿した優美なミスリルの柵の内側には、王家中枢が広がっている。
その中心に建つ熾天宮の一室には、和やかな空気が流れている。
王妃フェリシエンヌ、第二王子シャルル、騎士見習いのジェラルドが、近く迎えるアンジェリーヌ王女のための細々とした打ち合わせをしながらお茶を楽しんでいた。
「母上、王女宮の準備はどうですか?」
「もういつでも入寓できますよ。侍女の選抜もすんでいます。お部屋は春らしく淡い緑と温かみのある白で設えました」
「あ、いいですね。アンジェらしい。ね、ジェラルドもそう思うでしょ」
焼き菓子に手を伸ばしていたジェラルドが、何かを思い出すように視線をあげる。
「うん、そうだね。夢で会うアンジェは春の陽だまりみたいな子だもん」
「だよね! 笑顔がとっても可愛いの! 早く会いたいなぁ……」
「僕も早く会いたい。シャルル従兄様はアンジェに会ったら何したい? 僕は北を案内したいな」
「そうだなぁ……。まずお茶会でしょ? それから特別区の薔薇園見せたいな。あとはねぇ……」
「でも、レオン従兄様がアンジェを離さない気がする」
「ああ……、確かに」
その光景を想像したのだろう。堪えきれなくなったシャルルが吹き出す。
「あははっ! うん、そうだよ!兄上なら絶対そうなる! 間違いない!」
ジェラルドも釣られて笑い出す。
二人の脳裏には、アンジェの隣から一歩も離れようとしないレオナールの姿がありありと浮かんでいた。
笑い転げる二人に、フェリシエンヌがクスクスと笑う。
「貴方達のおかげで衣装部も助かってるわ。素材倉庫を解禁したものの、どんな衣装が似合うか喧々囂々でしたもの。でも、レオナールや貴方達から、アンジェの印象や雰囲気を聞いたから方向性は決まったみたい。今は猛進しているわ」
「あの素材倉庫を解禁したなら衣装部も張り切リますよ。十五年間指を咥えて見てるしかなかったんですから」
破損、退色、防腐、防かび、品質保持。ありとあらゆる保全保護をかけた、アンジェリーヌのための素材倉庫。
祖父母、両親、叔父叔母達が、毎年アンジェリーヌの誕生日に、彼女に似合いそうだと集めた品々がぎっしり詰まっている。
各種反物、レース、フリル、リボン、刺繍布、刺繍糸、革素材、宝石のルースに最高級魔物素材が、複数の倉庫に積み上げられているのだ。
老齢に差し掛かった衣装部の責任者は、この倉庫を空にするまで死ねないと言ったとかなんとか……
「あれ、みんな父上達の私費なんでしょ?」
膨大な素材の山を思い出しながら母に問う。
「ええ。ルイ様と大公陛下は、お若い頃に魔獣討伐などで得た資金を投資して増やされたものをお使いですし、アンリ様は宰相として得た給与からお出しになっています。ジョゼフ様とルネ様はご自身で狩られた魔獣素材ですわ。わたくし達は自分の持参金から出しています」
ほほっと笑うフェリシエンヌに、聞いていたシャルルとジェラルドの頬が引きつる。
あの倉庫の全てが王族の私費で用意されたもの……
改めて聞くと軽い目眩に襲われる。ジェラルドがはぁぁっと大きな息をつく。
「父上とジョゼフ伯父上が、どちらが最高級魔物素材を狩るかで、やたらと張り合ってるのは知ってたけど、改めて聞くと凄いとしか言えないね」
ジェラルドの言葉に、シャルルもうんうんと頷いた。
二人揃って倉庫に眠っている魔物素材の山を思い出す。
「ルネ叔父上が雪狼王の純白毛皮、氷蜘蛛の絹糸、月鹿の革、白銀狐の尾毛、氷晶鳥の羽だっけ? 他にもたくさん持ち込んでたよね」
シャルルが指折り数えて口にすると今度はジョゼフがうんうんと頷く。
「うん。父上は北の魔物素材だね」
「ジョゼフ叔父上が炎竜の紅鱗、氷竜の翼膜、白獅子王の鬣、雷鳳の尾羽だっけ。他にもあるけど、これ滅茶苦茶危険な魔獣ばっかりだよね」
危険度最高ランクの素材ばかりだ。それを平気な顔をして狩ってくるジョゼフの力量は憧れるより空恐ろしい。
「あー、うん。ジョゼフ伯父上は強くて危険な最高級品で、父上は実用重視かな。北で暮らすのに最適な素材が多い」
ポリポリと頬をかくジェラルドはもちろん、シャルルもほぼ同時に、これは二人の性格故だなと結論づけた。
「あの方達にとっては、可愛い姪のためですもの」
「母上達もでしょう」
「ええ、もちろん。でも、貴方達も大切ですよ。貴方達の誕生日にもちゃんと贈り物はしてるでしょう」
「ええ。毎年ありがたく思っております」
「僕もです。毎年楽しみにしてます」
でしょう、と笑みを深くするフェリシエンヌに、熱量が違いすぎるとは言えない。言わない。
だが──
「でもね。わたくしもですが、皆様、女の子のための物は選ぶのがとっても楽しいのよ。貴方達はみんな男の子ですもの。華やかで可愛らしいものとは無縁でしょう? だから楽しくて、楽しくて。ああ、本当に早くアンジェに会いたいわ。マリーにも久しぶりに会えるし、楽しみで仕方ないの」
シャルルとジェラルドは思わず苦笑した。こうなると止まらない。祖母や母をはじめとした王家の女性達は皆同じだからだ。だから素材倉庫が山となり、数を成す。
シャルルはカップに残った紅茶を飲み干して席を立つ。
「父上に報告しないといけないので、そろそろ戻ります」
ジェラルドも焼き菓子に手を伸ばし、口に放り込む。
「フェリシエンヌ伯母上、ごちそうさまでした」
「ええ。行ってらっしゃい」
二人はフェリシエンヌに見送られて、熾天宮をあとにした。
特別区の門を抜け、転移陣で執務区域へ戻る。
広大な王宮の移動は馬車か騎馬を利用するが、王族と特別な許可を受けたものだけは転移陣を利用できる。
「早くアンジェに会いたいね」
「うん。兄様はアンジェの護衛騎士になるんだよ。羨ましいなぁ」
「イヴォンは強いもん。兄上だって信頼してるから任せるんだよ」
ゆっくりと移動する彼らの脇を伝令官が足早に通り過ぎていく。
「随分急いでるね」
「うん、珍しい」
首を傾げながらも思うのはもうすぐ会えるアンジェリーヌのことばかり。
「前に夢で会ったのは五日前だよね。次は五日後かー。待ち遠しいな」
「そうだね。でも、アンジェ、絶対に僕達だって気づいてないよね」
「そうだね。会ったら絶対びっくりするよ」
十日に一度、夢の中での逢瀬。
自分と従兄弟達と、アンジェの七人の、物心ついたときからの交流。
自分達の守護天使が繋いでくれる一時の夢。
自分達は守護天使から、夢の意味も理由も、夢の中の可愛らしい少女がアンジェリーヌ本人であることも知らされている。
自身の守護天使と本契約が済んでいないアンジェリーヌだけが、夢を真実と認識していない。
それが、もどかしい。でも──
「もうすぐだよ」
「そうだね。すっごく楽しみ」
やがて到着した小会議室の手前で、シャルルは小首をかしげた。
「あれ? 扉が開いてる」
思わず顔を見合わせ、珍しいことがあるものだとそのまま入室する。
「父上、母上が王女宮はいつでも入宮できると──」
シャルルの言葉が止まる。アンジェリーヌのための報告なのに、室内の誰もこちらを見ない。
父王ルイも、アンリ叔父も、豪快なジョゼフ叔父も、ルネ叔父も。
兄のレオナールも、ジャンも、イヴォンも、ヴィクトルさえも。
誰も笑わない。
笑顔のまま入室した会議室は、重苦しい空気が漂っていた。
シャルルは室内を見回した。
入り口近くに見覚えのない者達がいる。一人は制服姿。記章と色から見て東海港入国監理局の者だろう。
あとの五人は薄汚れた旅装のまま。この王宮で、しかも王族の前に出るにはふさわしい姿ではない。けれども彼らはここにいる。
涙を隠しもせずに──
東で何かあったのだろうか。それにしては空気が重すぎる。
「東で、何かあったのですか?」
誰も応えない。
隣にいるジェラルドが、不安気な目で室内をキョロキョロ見回している。
やがて──
「三日前、マリーアンジュ叔母上が、暗殺された」
レオナールが静かに告げる。
「……え?」
「嘘だ……」
レオナールの言葉が脳内で形を成すのに数瞬かかった。
「先程、叔母上の守護天使が伝えに来た。言葉を紡げない状態だったが、ミカエルが確認した。間違いない」
シャルルの顔からザッと血の気が引いた。
「天使がついててなんで……」
「マリーアンジュは嫁ぐときに契約の証である王族額飾りを置いていった。守護天使との契約は継続されているが、契約自体は細くなっている。あれは補佐天使ほどの力しか発揮できずにいた」
シャルルの問いに応えたのは、ウリエル。淡々としながらも怒りと後悔が見え隠れしている。
「腕輪は!? あれがあれば──」
「シャルル」
シャルルの言葉をレオナールが遮る。
言うな。
その視線一つで、シャルルははっと口を閉ざした。
「え、でも……」
「ジェラルド」
口ごもるジェラルドは、イヴォンの一言で項垂れる。
「そなた達、ご苦労だった。部屋を用意させよう。ゆっくり休むといい」
ルイ国王が静かに告げると、入口付近にいた者たちは一斉に礼をして退室していく。
「……それと、ここから先は王族のみで話す。一同、下がれ」
命を受けた者たちも静かに一礼し、部屋を後にした。扉が静かに閉ざされる。室内に残されたのは、王族だけ。
重い沈黙が、ゆっくりとその場を支配した。




