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建国より千二百二十四年。
千年の歴史を誇るセラファン王国。
アルヴェリア大陸最大の国家であり、その広大な領土は大陸の半分以上を占める。
王都から東西それぞれの国境までは、水路か魔導列車を利用して数日。騎馬で向かえば一か月以上を要する。
南北それぞれの領都もまた遠い。北には踏破不可能のヴァルミール大山脈、東には大海原、南には人跡未踏の大森林。
大山脈を源流とするローヴ川、南の聖なる大滝を源とするヴィ大河が、国の実りと経済を潤している。
その広大な王国の中心――王都。 その奥に広がる王宮都市。執務区域の一角にある小会議室には、穏やかな空気が流れていた。
集っているのは国王ルイ、宰相アンリ、将軍ジョゼフ、北国境伯ルネ。セラファンの中枢を支える重鎮達。
さらに王太子レオナール、宰相補佐ジャン、将軍補佐ヴィクトル、護衛騎士イヴォン。こちらはセラファンの次代を担う者達だ。
彼らの背後には、それぞれの守護天使達が静かに控えている。レオナールの背後にだけは二柱。その存在感は、他の守護天使達とは一線を画していた。
ルイ国王は書類を読み、アンリ宰相がペンを走らせる。奥の方ではジョゼフ将軍とルネ北国境伯が論議を交わしている。どの顔も抑えきれない喜びに溢れている。
間もなく迎えるのは、最愛の妹の娘であり、レオナール王太子の婚約者となるアンジェリーヌ王女。
婚姻はまだ先。それでも、王家にとってはようやく家族が帰ってくるも同然だった。
娘に付き添う妹の帰国も、嫁いで以来初めてとなる。十数年ぶりの再会を思えば、歓迎の準備に自然と力が入る。
人ならざる美貌の守護天使達もまた、加護者と同じくどこか浮き足立っていた。普段は隠している翼が、時折ふわりと顕現してしまうのが何よりの証拠だ。
別の長机では、レオナールとジャン、ヴィクトル、イヴォンが書類を広げて細部の確認中だ。
「迎えの随身の人数は? 軍からは何編成の予定だ?」
「侍女の人数は?」
「医務官と薬剤の準備は?」
「食料と飲料水の準備はどうなっている」
「セラファン国内は転移陣を使うんだろう? だったら宿の手配は必要ないな。経由する国々の宿の手配は済んでいるか?」
「トローファスト王国の入国許可は取れているか?」
「ああ、これか。こんなに早く許可が出てたのか。あちらの国王陛下は仕事が早くて助かる」
「トローファスト国王陛下はマリーアンジュ様を敬愛されていらっしゃるからな。親交も深い」
「王妃陛下もだぞ。王城を宿泊先としてぜひ利用してほしいとのことだが……」
「要検討だな」
「ホーフダルの方は?」
「入国許可も宿泊先も、全てダーフィット陛下が手配済みだ。書状はこちらに」
「海路だろ? 船の整備はどうなんだ? 護衛船の手配は……ああ、こちらは東国境伯が手配済みか。あの方なら安心だな」
「東で一泊するのか?」
「まだ未定だ」
「昼食だけになるかもしれねぇな」
「……魚食いたい」
「おい」
「いや、だって美味いだろ。あそこの魚。アンジェにも食わせてやりたい」
「仕事しろ」
「落ち着いたら視察に行けばいいだろう」
「王女宮の整備は?」
「シャルルが母上のところに確認に向かっている。ジェラルドも一緒だ」
「だったら今頃お茶の真っ最中ですね」
乱れ飛ぶ声も明るく、時折笑い声も混じる。
「なぁ、父上。北の転移陣使えば最短だろ? なんで使わないんだ? 一番安心だろうに……」
声を張り上げたヴィクトルに、ジョゼフ将軍が手元の地図から視線をあげた。
「確かにそれが最短で一番安全なんだがな…。俺もそう思うんだが……」
「ジョゼフ兄上。あの転移陣はあくまでも緊急用。あちらの国にも極秘案件なのですよ。私だって使いたいのは山々ですが……」
ジョゼフ将軍のぼやきに応えたのは、ともに地図の確認をしていたルネ北国境伯である。その顔はとても複雑そうだ。ジョゼフ将軍とルネ北国境伯の視線がペンを走らせているアンリ宰相に向く。
「私も使いたいですが、外交問題に発展しかねません。それに、これは言わばアンジェの輿入れです。婚姻するのはまだ先ですが、堂々とセラファンへ入国する姿を示すべきです」
至極真っ当な意見である。ただし、言ってる本人も不本意そうな表情を隠さない。
「アンリ兄上はいつも難しく考える」
「外交とはそういうものです。それよりも確認はできたのですか」
「あと少しだ」
アンリ宰相の言葉にジョゼフ将軍はすっと視線を戻した。ルネ北国境伯も同時である。
「やっぱりだめか……」
ことの発端となったヴィクトルはまだ不満顔だ。
「使えるものなら使いたいに決まってる。その方が早く会えるからな」
ぽつりと漏れた言葉に、その場の視線が一斉に集まった。同時に、天使達の翼が一斉に顕現する。
「陛下」
「兄上」
「父上」
ルイ国王は何事もなかったように書類に目を落とした。
暫しの沈黙。
思うことは皆一緒である。
人も、天使も。
ふっと天使達の翼が消える。
ヴィクトルはイヴォンへちらりと視線を送り、軽く咳払いをした。
「イーヴも護衛につくだろ。どう思う?」
「あちらから持参する荷物もありますし、父上の言うとおり、あの転移陣は北でも極秘のものです。北で育った私でさえ白翼峰の何処にあるか知らないんですから」
「白翼峰……寒い?」
「一年中雪を頂いてる最高峰ですよ。当たり前です」
北の寒さを甘く見ているヴィクトルに、イヴォンはピシャリと返す。今はレオナールの護衛騎士だが、アンジェリーヌが戻って来たら彼女の護衛騎士となることが決まっている。
「イーヴ、お前、年下なのに辛辣すぎねぇ?」
「普通かと」
「普通だな。それよりヴィクトル。お前は少し言葉を改めろ。国王陛下もいらっしゃる場で砕けすぎるにも程がある」
今度はジャンだ。スッと上げられた瞳が冷えている。これはまずい。
「気をつける」
「持続するように」
「……了解」
従弟に冷たくあしらわれ、さらに従兄にたしなめられる。踏んだり蹴ったりである。
「ヴィクトル」
「なんだ?」
お前も説教かとレオナールに視線をやる。
「アンジェと叔母上を頼む。迎えの部隊にお前が参加するなら安心だ」
自分の大切な婚約者を任せる。それは王太子の信頼の証だ。ヴィクトルは胸をドンっと叩いた。
「おうっ! 任せろ!」
「ヴィクトル、言葉!」
「イヴォン、お前も頼む」
「はい、お任せ下さい。レオナール従兄上」
賑やかな一時は、慌ただしい足音と扉を乱暴に叩く音で阻まれた。
許可を待つ間も惜しいとばかりに、青ざめた顔をした男が、数人を伴って飛び込んで来た。
「東海港入国監理室長でございます! 至急のご報告申し上げます!」
王宮儀礼を無視した振る舞いと、彼の尋常ならざる気配に室内が一変する。
「通信で概要はお知らせしています。しかし、王族腕輪と暗号文につきましては、直接陛下へお渡しするのが規定でございます」
王族腕輪と暗号文。その二点が示すものはただ一つだけ。緊張に包まれる空気の中、室長は姿勢を正すと、さらに言葉を続けた。
「特別暗号文と王族腕輪を確認した時点で、最上級緊急案件と判断いたしました。ご指示を待つ時間すら惜しいと考え、規定に基づき責任者権限で転移しております。同行しているのはこれらを持参した者達です」
室長が脇へ下がる。
その後ろにいた五名の男が、一歩前へ進み出た。
長旅の疲労を隠せない衣服。
潮風に晒された外套。
だが、その誰もが大切な使命を果たすための張り詰めた覚悟を瞳に宿していた。
年若い青年が、胸元から白い布に包まれた品を取り出した。
「ホーフダル王国、ブルームホフ離宮家令代理のイザークと申します」
掠れた声だった。
それでも、一言一言をはっきりと告げる。
「こちらは、我々の身分を証するものとして、マリーアンジュ様より託された王族腕輪でございます」
イザークは両手で包みを差し出した。
「併せて、マリーアンジュ様とダーフィット国王陛下より、それぞれ書状をお預かりしております」
一度、言葉を切る。
「さらに道中、我が国から帰国途中であったトローファスト国王陛下御一行に追いつき、その際、トールヴァルト国王陛下より直々に書状を託されました」
室内の緊張が、さらに深まった。
ホーフダル国王夫妻から二通。
そして、トローファストの国王から一通。
三通もの書状が、ほぼ同時にセラファン王家へ届けられた。
それだけで、尋常ではない事態が起きていることは明らかだった。
東海港入国監理室長が包みを受け取り、ルイ国王の前へと運ぶ。
広げられた白布の上には、ピンクサファイアが品よく配された王族腕輪が置かれていた。
王族のみが使用を許される、淡青銀ミスリル製。刻印されているのは、薔薇と一対二枚の翼。セラファン王家マリーアンジュ王女の個人紋章だ。
その傍らには、三通の封書が並べられる。
一通は、マリーアンジュの個人封蝋が施された魔紙の封筒。彼女がホーフダルへ輿入れする際、緊急時の連絡用として特別に用意されたものだった。使われている封蝋も、記された秘匿暗号も、王家の者にしか扱えない。
残る二通には、それぞれホーフダル王家とトローファスト王家の封蝋が押されている。
どの封も破られてはいない。
規定どおり、一度も開封されることなく届けられた証だった。
誰も息をしない。
ルイ国王は、白布の上から静かに腕輪を取り上げた。
その瞬間――
淡青銀ミスリルが、ほのかに青白い光を帯びた。王族腕輪が装着者の腕を離れている間だけ示す、血縁者の魔力への反応。光は弱々しくも確かにルイの手元で瞬いていた。
「……間違いない」
低く漏れた声に、部屋の空気がさらに張り詰めた。
レオナールとヴィクトルの表情が強張る。
ジャンだけが、小さく息を呑んだ。幼い日に見送った白金の姫君の面影が、脳裏をよぎる。
イヴォンは静かに目を見開いていた。
四人とも、その腕輪を見間違えるはずがなかった。
ホーフダルへ嫁いでもなお、マリーアンジュが決して手放さなかった王族腕輪。
その姿は肖像画や王家の記録にも残され、王家の者であれば誰もが知る品だった。
それを娘へ託すのではなく、自ら選んだ使者たちへ預けた。
──この者たちならば、必ずセラファンまで届けてくれる。
そう信じたからこそ、王族であることの証そのものを手放したのだ。
その事実だけで、彼らがどれほど深くマリーアンジュの信頼を得ていたかが分かった。
室内を、重苦しい沈黙が覆う。
やがてルイ国王は視線を上げ、イザークたちを見据えた。
数瞬の静寂。
「……話せ」




