序章 四つのきびだんご
鬼ヶ島から戻る道は、行きよりもどこか間延びして感じられた。
桃太郎は宝を抱えて先頭を歩き、その背中を慕うように三匹が続く隊列は、出立のときと外見だけは変わらない。
しかし変わらないように見えるからこそ、内側で起きている変化は誰の目にも触れないまま進行する。
村が近づくにつれて旗と太鼓の音が出迎えに加わっていき、子供たちが走り出てきて桃太郎の名を呼んだ。
英雄の凱旋というものは、こうも華やかで騒がしいものなのだと、三匹は隣を歩きながら初めて知った。
鬼を倒したという実感は、三匹の中でまだ生々しく残っていた。
犬は鬼の腕に噛みついた牙の感触を口の中に持て余し、猿は鬼の首筋に爪を立てた瞬間の手応えを掌の奥に保ち、雉は鬼の眼を狙って急降下したときの風切り音を耳の奥で繰り返し再生していた。
鬼ヶ島ではそれが生死を分ける動作だった。
村ではそれが、もう何の意味も持たない過去になっていた。
桃太郎の屋敷では大広間が開け放たれ、近隣の名士たちが集まって酒を酌み交わしていた。
三匹は縁側に近い場所に並んで座らされた。
そして、目の前に魚や肉が大皿で運ばれてきた。
匂いは確かに豪奢で、量も普段では考えられないほどだったが、不思議と腹は満ちなかった。
猿は何度か箸代わりの指を動かしかけて、その都度引っ込めた。
犬は与えられた骨付き肉を脚の間に挟んだまま、なかなか噛みつくきっかけを掴めずにいた。
雉は首を傾けて、人々の足元を眺めていた。
誰も三匹の名を呼ばないことに気づいたのは、祝いの席が中盤に差し掛かった頃である。
桃太郎が「よくやった」と頭を撫でてくれたのも、褒美を与えてくれたのも、確かに本当のことだった。
ただ、その先がなかった。
盃を回す人間たちの会話の中に、犬や猿や雉という言葉は一度も出てこない。
鬼退治の話題は何度も繰り返されたが、語られるのは桃太郎の勇気と知恵であって、お供たちが何をしたかは添え物のように一括りに流された。
「お供の動物たちも、よく働いてくれましてな」という名士の言葉に、桃太郎が頷き返す。
それで三匹に関する話題は終わった。
それ以上のものを欲しがる権利が自分たちにあるのかどうか、犬も猿も雉も判断がつかなかった。
きびだんごひとつで従ったのだから、きびだんごの分だけ働いた。そう辻褄が合ってしまうことの居心地の悪さを、三匹はそれぞれ別の角度から味わっていた。
犬はその不足を不足とは認識せず、ただ早くこの席を抜けて飼い主の老夫婦のもとへ帰りたいと思っていた。
猿はその不足を強く感じ、自分の働きがもっと正確に語られるべきだという熱を腹に溜め始めていた。
雉はその不足を、雉自身が満たす対象ではないと考えていた。役割を果たした以上、雉のすべきことは終わっている、というのが雉の中の整理だった。
夜が更け、酒の回った客たちが次々と引き上げていく。料理の残骸が片付けられ、灯りが一つずつ落とされ、屋敷の中の人の気配が薄くなっていった。
桃太郎は最後の挨拶を済ませると、奥の間へ入っていった。
襖の向こうから、長旅の疲れを癒す湯の音が聞こえてきた。
三匹はそのまま縁側に取り残された。
誰も「待っていろ」とは言わなかったし、「もう下がってよい」とも言わなかった。
ただ、宴の片付けをする使用人たちが三匹の周りを行き来し、その動きが少しずつ三匹を屋敷の外側へと押し出していった。
月が高く昇った頃、三匹は屋敷の門の外に出ていた。
誰かが「どこへ行くつもりだ」と問いかけたが、答えを求めていたわけでもなかったらしく、その声はそのまま夜風に紛れた。
犬は一度だけ屋敷の方角を振り返り、それから山裾の方へ歩き出した。
猿は逆の方角、川下の里がある方へ向かった。
雉はしばらく地面に立ち尽くしていたが、やがて翼を半分ほど広げ、痛めた方を庇いながら山道の方へ歩き始めた。
三匹は互いに別れの言葉を交わさなかった。
鬼ヶ島で命を預け合った仲間というには、もともと言葉の通じる相手ではなかったし、別れの作法というものも知らなかった。
ただ、それぞれの方角へ歩き出すとき、誰もが一度だけ、きびだんごの味を口の中で思い返した。あの甘さが、確かに自分たちをここまで連れてきたのだった。
月明かりの道が三方向に分かれ、それぞれの輪郭をやがて夜の中へ溶かしていった。
屋敷の方角からは、まだ僅かに灯りが漏れていたが、その光は三匹のいずれにも届かなかった。
風がひとつ吹いて、桃の花の香りがどこからか流れてきた。季節外れの香りだったが、誰も不思議には思わなかった。
鬼を倒した夜とは、そういう普通でない香りが紛れ込むものなのかもしれないと、犬も猿も雉も、それぞれの歩幅で受け流した。
月明かりは三匹の影を地面に長く引き伸ばし、その影の長さだけが、三匹の歩んできた距離を控えめに記録していた。
記録は誰にも読まれることなく、夜が明ければ消える程度のものだった。




