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チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
11章 勇気の残り火

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(93)勇気の神器

翌朝、あたしたちは、いつもより早く目を覚ました。囲炉裏を囲んで座ると、アーガスは、既に、その古い杖を、自分の膝の上に横たえて、あたしたちを待っていた。


「昨夜、話した通りだ。今日は、全てを、話す」


アーガスの声には、これまでにない、静かな緊張が滲んでいた。あたしたちは、それぞれ、居住まいを正した。


「まず、これを見てくれ」


アーガスは、杖を、ゆっくりと、囲炉裏の火明かりの中へと、掲げた。柄に刻まれた、あの幾何学的な紋様が、炎の光を受けて、微かに、赤く浮かび上がった。


「これは、ただの稽古道具じゃない。『勇気の神器』と呼ばれる、この世界に、七つだけ存在する、特別な力の依代だ」


その言葉に、小屋の中の空気が、一瞬にして、張り詰めた。


「神器……」


セシルが、震える声で、その言葉を繰り返した。


「聞いたことが、あります。おとぎ話や、古い伝承の中でだけ。実在するなんて、思ってもみませんでした」


「実在する。俺自身が、その一つを、五十年近く前から、受け継いでいる。俺が、まだ二十歳になる前のことだ」


アーガスの告白に、あたしは、言葉を失った。師匠が、そんな、途方もない存在だったなんて、想像したこともなかった。


「七つの神器は、それぞれ、異なる力を宿している。俺が受け継いだのは、『勇気』の神器。恐怖に、決して屈しない意志を、その持ち主に与える力だ」


「他の、六つは」


トトが、興味津々に尋ねると、アーガスは、少しだけ、表情を曇らせた。


「詳しくは、俺も、全てを知っているわけじゃない。神器の継承者たちは、互いに、あまり接触を持たない。それぞれが、それぞれの土地で、密かに、役目を果たしている」


「役目、って」


「この世界のどこかで、いずれ、大きな災いが起きる。神器の継承者たちは、その日に備えて、密かに、力を研鑽し、見守り続ける。それが、俺たちに課せられた、唯一の役目だ」


その言葉の重さに、あたしたちは、しばらくの間、誰も、言葉を発することができなかった。窓の外から差し込む朝の光が、小屋の中を、静かに照らしていた。


「アーガスさんは、その神器の力を、実際に使ったこと、あるんですか」


あたしが、恐る恐る尋ねると、アーガスは、静かに頷いた。


「ある。滅多に、使う機会はないが。この杖は、普段は、ただの木の杖に過ぎない。だが、いざという時、真の姿を現す」


「真の姿……」


「見せてやろう」


アーガスは、そう言うと、杖を、両手で、しっかりと握り直した。目を閉じ、静かに、深く、息を吸い込む。次の瞬間、杖に刻まれた紋様が、まばゆい金色の光を放ち始めた。


あたしたちは、思わず、息を呑んだ。杖は、みるみるうちに、その形を変えていった。木製だったはずの杖が、まるで、鋼のような輝きを帯びた、一振りの長杖へと姿を変えていく。柄の先端には、獅子を模した、精緻な意匠が浮かび上がっていた。


「これが、勇気の神器の、真の姿だ」


アーガスの声には、これまでにない、厳かな響きがあった。あたしたちは、その神々しい輝きに、しばらくの間、見とれていた。


「触れてみるか、リク」


「いいんですか」


「ああ。お前になら、構わない」


あたしは、おそるおそる、その杖に手を伸ばした。指先が触れた瞬間、体の奥から、温かい何かが、じんわりと湧き上がってくるのを感じた。まるで、これまで抱えてきた、あらゆる不安が、少しずつ、溶けていくような、そんな感覚だった。


「不思議な感じ……力が、湧いてくるみたいです」


「それが、勇気の神器の力だ。恐れを、なくすわけじゃない。恐れを抱えたまま、それでも、前に進む力を、与えてくれる」


アーガスの言葉に、あたしは、深く頷いた。師匠が、これまで、どれほどの重みを抱えながら、この力と共に、生きてきたのか。その一端が、ようやく、あたしの中にも、確かに、伝わってきていた。


杖は、再び、静かに光を放ち、元の、見慣れた木の杖の姿へと戻っていった。アーガスは、それを、大切そうに、傍らに置いた。


「一つ、聞いてもいいですか」


ヴァレナが、緊張した面持ちで、口を開いた。


「なんだ」


「その神器の力を持つ人は、リクの積術とは、また違うものなんですよね」


「ああ、まったく別のものだ。神器の力は、外から与えられる、いわば『貸された』力の一種だ。一方、積術は、誰の力も借りず、自らの内から紡ぎ出す力。この二つは、対極にあると言ってもいい」


その説明に、あたしの中で、いくつかの疑問が、更に浮かび上がった。


「アーガスさんは、その両方を、扱えるんですか。神器の力も、積術の口伝も」


「俺自身は、積術の力を、実際に発動させたことはない。俺が受け継いだのは、あくまで、口伝としての原則だけだ。だが、神器の力は、確かに、俺の中にある」


「一人の人が、両方に関わっているなんて、なんだか、不思議です」


「そうだな。だが、それこそが、俺が、お前に、積術を教えようと思った理由の一つでもある。借りた力と、借りない力。その両方を知る者として、お前には、伝えておくべきだと感じた。だからこそ、俺には分かる。借りた力と、借りない力は、似ているようで、まるで違うものなんだ」


アーガスの言葉に、あたしは、深く、頷いた。師匠が、あたしに授けてくれたものの意味が、これまでとは、また違った重みを持って、あたしの胸に響いてきた。


セシルが、手帳に、これまでの話を、丁寧に書き留めながら、静かに口を開いた。


「神器の存在は、他に、どれくらいの人が知っているんですか」


「ごく限られた者だけだ。各国の王族の一部や、聖環教団の上層部の、そのまた一部。一般には、完全に、伝承の域を出ない話として扱われている」


「それだけ、秘匿されてるんですね」


「そうだ。神器の力が、悪意ある者の手に渡れば、大変な事態を招く。だからこそ、継承者は、その存在を、慎重に隠し続けてきた」


その説明に、あたしたちは、皆、神妙な面持ちで頷いた。囲炉裏の炎が、静かに、ぱちりと爆ぜた。


「今日、これを、お前たちに話したのは、俺なりの、覚悟の表れだ。お前たちを、信頼している、その証でもある」


アーガスの言葉に、あたしの胸が、じんわりと温かくなった。


「ありがとうございます、アーガスさん。ちゃんと、話してくれて」


「礼を言うのは、俺の方だ。お前たちのような、信頼できる仲間に、ようやく出会えたお前を見て、俺自身、随分と、救われた気持ちになった」


その言葉に、小屋の中の空気が、穏やかな温かさに、満ちていった。

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