(94)半年間の理由
「アーガスさん、それじゃあ、この半年、どこに行っていたんですか。神器のことと、関係あるんですよね」
あたしが、改めて尋ねると、アーガスは、静かに頷いた。
「ああ、大いに関係がある。半年前、俺は、ある異変を感じ取った」
「異変、って」
「神器の継承者同士は、普段、直接の交流を持たない。だが、それぞれの神器は、微かに、互いの気配を、感じ取ることができる。半年前、その気配の一つが、突然、乱れ始めた」
アーガスの声に、緊張が滲んだ。
「乱れる、というのは」
「本来、七つの神器の気配は、それぞれ、穏やかに、静かに、その土地に根付いている。だが、半年前から、そのうちの一つの気配が、不安定に、揺れ動き始めた。まるで、何かに、脅かされているかのように」
その説明に、小屋の中の空気が、一段と、張り詰めた。
「俺は、その異変の原因を突き止めるために、旅に出た。他の継承者たちとも、密かに連絡を取り合いながら、情報を集めていた」
「原因は、分かったんですか」
セシルが、鋭く尋ねた。アーガスは、しばらくの間、沈黙してから、静かに答えた。
「はっきりとは、まだ分からない。だが、一つ、確かなことがある。何か、大きな存在が、この世界の均衡を、少しずつ、崩し始めているという予感だ」
「大きな存在、というのは」
「今の俺には、それ以上のことは、言えない。ただの、漠然とした違和感でしかないからだ。だが、無視できない兆候だと、感じている」
アーガスの言葉には、これまでにない、深い危機感が滲んでいた。あたしたちは、その重い空気の中で、しばらくの間、言葉を失っていた。
「その、気配が乱れている神器って、どこにあるんですか」
トトが、恐る恐る尋ねた。
「詳しい場所は、まだ、明かせない。継承者本人の安全に、関わることだからだ。ただ、一つ言えるのは、その場所が、ここからそう遠くない場所にある、ということだけだ」
「近く、なんですか」
あたしが思わず声を上げると、アーガスは、静かに頷いた。
「ああ。だからこそ、俺は、この半年、頻繁に、居場所を変えながら、調査を続けていた。バロン殿の屋敷にも、その関係で、何度か、滞在させてもらっていた」
その言葉に、あたしは、バロンとの会話を、思い出した。この半年、アーガスと連絡を取り合っていたという、バロンの言葉。それが、こういう事情だったのかと、ようやく、腑に落ちた。
「バロン様は、神器のこと、知ってるんですか」
「いや、詳細は話していない。ただ、俺が、何か重要な調査をしていることだけは、察してくれている。あの人は、賢明な男だ。深くは、詮索してこなかった」
セシルが、手帳に、何かを書き加えながら、静かに口を開いた。
「この調査、私たちも、手伝えることは、ないんですか」
その申し出に、アーガスは、少し驚いたように、セシルを見た。
「危険が伴う。簡単に、頼めることじゃない」
「でも、リクの旅は、いずれ、この問題と、無関係ではいられなくなる気がします。だったら、早いうちから、関わっておいた方がいいと思うんです」
セシルの言葉に、あたしも、深く頷いた。
「あたしも、同じ気持ちです。師匠一人に、背負わせたくない」
その真剣な眼差しに、アーガスは、しばらくの間、考え込んでいた。それから、静かに、頷いた。
「分かった。少しずつ、お前たちにも、力を借りることにしよう。ただし、無茶はさせない。それだけは、約束してくれ」
「はい、約束します」
あたしたちの声が、揃った。小屋の中に、新たな決意が、静かに満ちていった。
「それで、具体的に、あたしたちは、何をすればいいんですか」
あたしが尋ねると、アーガスは、少し考える様子を見せた。
「まずは、情報を集めることだ。この地域で、最近、何か、不穏な噂や、異変を耳にしたことはないか。些細なことでも構わない」
ヴァレナが、記憶を辿るように、目を細めた。
「そういえば、村長さんが、少し気になることを言ってました。最近、この辺りの森で、見慣れない獣の遠吠えが、頻繁に聞こえるようになったって」
「獣の遠吠え……」
アーガスの表情が、わずかに強張った。
「それは、いつ頃からだ」
「詳しくは分からないですけど、確か、二、三ヶ月前くらいからだったと思います」
「その時期だけを聞くと、俺が半年前に感じた異変とは、少しずれがある。だが、正直に言えば、俺自身も、最初の三か月ほどは、神器そのものに起きている異変だとばかり思っていた。それが、この土地の異常とも結びついているらしいと気づいたのは、つい最近のことだ」
アーガスの言葉に、あたしたちは、顔を見合わせた。
「その森、案内してもらえますか」
セシルが、真剣な表情で、提案した。
「ああ、そうしよう。だが、油断はするな。何が起きているのか、まだ、正確には掴めていない」
アーガスの警告に、あたしたちは、それぞれ、気を引き締めた。窓の外では、朝の光が、いよいよ、力強さを増していた。今日という日が、新たな調査の、始まりの日になろうとしていた。
出発の準備をしながら、あたしは、腰の剣を、改めて確かめた。旅の中で、何度も、あたしたちを守ってくれた、大切な相棒だ。ヴァレナも、セシルも、トトも、それぞれの得物を手に取り、静かに、身支度を整えていった。
「無理は、しないでくれよ」
アーガスが、あたしたちの顔を、順番に見渡しながら、静かに言った。
「アーガスさんこそ、無理しないでくださいね。まだ、本調子じゃないんですから」
あたしがそう言い返すと、アーガスは、苦笑した。
「言うようになったな、本当に」
「台詞帳に、書いておきますね。師匠に、言うようになったな、って言われた日、って」
「そんなことまで、書き留めてるのか」
アーガスが、呆れたように笑った。
小屋を出ると、山の朝の空気が、肺の奥まで、清々しく満ちていった。師匠と共に、新たな謎へと踏み出す一歩。その先に、何が待っているのか、まだ、誰にも分からなかった。それでも、確かな覚悟だけが、あたしたちの胸の中に、静かに宿っていた。オズワルドの村を経由して、森へと向かう道すがら、あたしたちは、それぞれの得物の具合を、最後にもう一度、確かめ合った。トトが、緊張した面持ちで、あたしの隣に並んだ。
「なんだか、久しぶりに、こういう緊張感、味わってる気がします」
「うん。でも、皆で一緒だから、大丈夫」
あたしの言葉に、トトは、小さく頷いた。それぞれの胸に、確かな覚悟を秘めながら、あたしたちは、森への道を、一歩一歩、確実に、静かに、進んでいった。木々の梢のざわめきだけが、静かな行進の伴奏のように、耳に響いていた。誰の足取りにも、迷いはなかった。
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