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チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
10章 敗走の名前

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(90)二人だけの時間

その日の夕方、あたしは、ヴァレナと二人きりで、村の外れにある小川まで、水を汲みに出かけた。他の皆は、小屋で、夕食の準備をしている最中だった。


「なんか、久しぶりだね。二人きりで、こうして出かけるの」


ヴァレナが、桶を片手に、歩きながら言った。


「そうだね。旅の間は、いつも四人一緒だもんね」


小川のせせらぎが、次第に近づいてくる。夕日を浴びた水面が、橙色に、きらきらと輝いていた。


「五年前の話、聞けて、良かった?」


あたしが尋ねると、ヴァレナは、少しの間、考えるように、空を見上げた。


「うん、良かった。ずっと、心のどこかに、引っかかってたから。ちゃんと、意味のある死だったんだって、知れて。それだけで、随分、気持ちが軽くなった。ただ、悲しみまで、綺麗に消えたわけじゃ、ないけどね」


「良かった」


「それに」


ヴァレナは、桶を、小川の水辺に置きながら、続けた。


「あんたのことも、もっと、よく分かった気がする。あの日、あんたが、どんな気持ちで叫んだのか。どんな重荷を、ずっと一人で抱えてきたのか」


その言葉に、あたしの胸が、じんわりと熱くなった。


「重荷、って言うほどでも……」


「ううん、あんたは、いつも、そうやって、軽く言おうとするけど。あたし、ちゃんと分かってるよ。あんたが、あの日の記憶と、ずっと戦ってきたこと」


ヴァレナの真剣な眼差しに、あたしは、思わず言葉を失った。


「あたしね、五年前、あんたを恨む気持ちも、確かにあった。でも、今は違う。あんたのおかげで、生きてる。それだけは、はっきり言える」


「ヴァレナ……」


「これからも、隣にいさせて。あんたの旅の、ずっと先まで」


その言葉に、あたしの目に、じわりと、涙が滲んだ。あたしは、堪えきれず、ヴァレナを、そっと抱きしめた。


「うん。ずっと、一緒にいよう」


小川のせせらぎと、夕暮れの静けさの中で、あたしたちは、しばらくの間、無言のまま、寄り添っていた。それは、これまでの旅の中で、最も、穏やかで、確かな時間だった。


桶いっぱいに水を汲み終えると、二人で、笑いながら、小屋への道を歩き始めた。夕暮れの空は、茜色から、次第に、深い藍色へと変わっていく。


「あんたと出会って、あたしの人生、大きく変わったよ」


「あたしも、同じこと思ってる」


「これから先も、色んなことがあると思うけど」


「うん、乗り越えていこう。一緒に」


二人で交わした約束は、これまでのどんな言葉よりも、あたしの胸に、深く、静かに、刻み込まれていった。


小屋に戻ると、囲炉裏では、既に、夕食の支度が整っていた。セシルが、鍋をかき混ぜながら、あたしたちを振り返った。


「二人とも、随分、遅かったね。何かあった?」


「別に。ちょっと、色々話してただけ」


あたしが、少し照れくさそうに答えると、セシルは、意味ありげに、口の端を上げた。


「ふうん。まあ、いいけど」


トトが、鼻をひくつかせながら、鍋を覗き込んだ。


「良い匂いです。今日は、何を作ったんですか」


「アーガスさんが、山で採ってきた野草と、干し肉のスープ。あと、村長さんからもらった、干した果物も添えてみた」


「豪華ですね」


夕食の席に着くと、あたしたちは、一日の出来事を、賑やかに語り合った。アーガスは、いつものように、口数少なく相槌を打ちながら、しかし、その表情には、確かな穏やかさが浮かんでいた。


「アーガスさん、明日は、何をする予定ですか」


「特に決めていない。だが、そろそろ、俺自身の事情についても、話す時が近づいている気がする」


その言葉に、あたしたちは、思わず、顔を見合わせた。


「本当ですか」


「ああ。もう少しだけ、心の準備をさせてくれ。だが、そう遠くない未来に、必ず話す」


アーガスの声には、これまでにない、覚悟のようなものが滲んでいた。あたしは、その言葉を、静かに、しかし、しっかりと胸に刻んだ。


夕食を終え、皆が寝支度を始める頃、ヴァレナが、あたしの隣に座り、小さく囁いた。


「今日は、良い一日だったね」


「うん。本当に」


窓の外では、山の夜が、静かに、深まっていった。あたしたちの旅は、まだ、途中だった。それでも、確かに、大切なものを、一つずつ、積み重ねている実感が、あたしの中にあった。


眠りにつく前、あたしは、台詞帳を取り出し、今日という日の出来事を、そっと書き留めることにした。旅を始めた頃から、ずっと続けてきた習慣だった。かっこいい台詞を書き留めるための帳面だったはずが、いつの間にか、大切な思い出の記録にもなっていた。


「今日も、書いてるの、それ」


隣で横になっていたヴァレナが、目を細めながら、あたしの手元を覗き込んだ。


「うん。今日のこと、忘れたくないから」


「見せてよ」


「え、やだよ、恥ずかしい」


あたしが慌てて帳面を隠すと、ヴァレナは、くすくすと笑った。


「相変わらず、頑固だね」


「これだけは、譲れない主義なの」


そんな他愛のないやり取りをしながら、あたしたちは、少しずつ、眠りの世界へと誘われていった。囲炉裏の残り火が、小屋の中を、ほのかに照らしている。窓の外からは、時折、夜風が木々を揺らす音が、静かに聞こえてきた。


明日、また、新しい一日が始まる。アーガスの秘密。積術の出自。まだ、明らかになっていないことは、たくさんある。それでも、今日という一日を通して、あたしたちは、確かに、前へと進んでいた。


目を閉じる直前、あたしの頭に浮かんだのは、今日、ヴァレナが交わしてくれた約束の言葉だった。ずっと、隣にいさせて。その一言が、あたしの胸の奥で、優しく、温かく、灯り続けていた。


隣からは、既に、ヴァレナの穏やかな寝息が、聞こえ始めていた。その規則正しい呼吸の音を聞きながら、あたしも、ゆっくりと、意識を手放していった。故郷の山の夜は、旅先のどんな夜よりも、深く、優しく、あたしを包み込んでくれるようだった。台詞帳の最後のページに、あたしは、小さく書き添えた。今日という日を、忘れないように、と。囲炉裏の炎が、最後の一片となって、静かに燃え尽きていく。その微かな灯りを見つめながら、あたしは、ゆっくりと、瞼を閉じた。窓の外の星々だけが、変わらず、静かに、あたしたちの眠りを見守っていた。明日への希望と、確かな絆を胸に抱きながら、あたしは、深い眠りへと落ちていった。


最後までありがとうございました!


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それでは次回の更新をお楽しみに!

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