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チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
10章 敗走の名前

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(89)古い書物

翌日、あたしたちは、村長オズワルドのもとを訪ね、アーガスとの再会を、無事に報告した。オズワルドは、心から安堵した様子で、あたしたちを、温かく迎えてくれた。


「良かった、本当に。アーガス殿が無事で、何よりだ」


「ご心配、おかけしました」


「いや、お前さんたちが、無事に再会できたなら、それでいい。少し、休んでいくといい。茶を、用意させよう」


オズワルドの好意に甘えて、あたしたちは、しばらくの間、村長の家で、休憩をとることにした。その間、セシルは、村の古い記録が保管されているという、小さな書庫に、興味を示していた。


「村長さん、この書庫、見せてもらってもいいですか」


「構わんよ。もっとも、大したものは残っておらん。古い日誌や、行商人の記録くらいのものだ」


セシルは、目を輝かせながら、書庫の中へと入っていった。あたしも、なんとなく気になって、後をついていった。


「セシル、そんなに古い本、好きなの」


「好きというか、性分だね。記録には、必ず、何か手がかりが眠ってる。特に、この辺境の村には、王都では失われた記録が、残っていることも多いから」


セシルは、そう言いながら、棚に並んだ古い書物を、一冊ずつ、丁寧に確認していった。あたしは、その様子を、興味深く眺めていた。


「あ」


不意に、セシルの手が止まった。


「どうしたの」


「これ、見て」


セシルが手にしていたのは、随分と古びた、革表紙の書物だった。表紙には、かすれた文字で、何かが記されている。


「『借りざる力についての考察』……著者、アイレス」


その名前に、あたしは、聞き覚えがなかった。だが、セシルの表情は、明らかに、緊張していた。


「アイレスって、誰?」


「分からない。でも、この筆致、それに、この主題……偶然とは思えない」


セシルは、震える手で、ページをめくり始めた。古い紙の匂いが、書庫の中に、静かに広がった。


「読める?そんなに古い文字、読めるの」


「うん、多少は。図書室で、独学したから。ただ、かなり摩耗してる。判読できるところだけでも、確認してみる」


セシルは、慎重にページをめくりながら、内容を、小さな声で読み上げ始めた。


「『何も持たずに来た者は、この地に、借りるという概念そのものを、持ち込んだ。故に、借りぬということもまた、この地に、本来在り得た道の一つである』……」


その一文に、あたしの背筋が、ぞくりとした。「何も持たずに来た者」という表現に、聞き覚えはなかったが、その響きには、何か、根源的なものが、確かに宿っていた。


「借りるという概念そのものを、持ち込んだって、どういうこと」


「分からない。でも、この書き方、まるで、魔導や聖導そのものが、誰かによって、外から持ち込まれたものだって、言っているみたいに読める」


セシルの声は、興奮と、緊張が、入り混じっていた。


「アイレスっていう人が、これを書いたんだよね。何者なんだろう」


「記録には、名前しか残ってない。でも、この筆致の古さから見て、少なくとも、何百年も前に書かれたものだと思う」


トトが、書庫の入り口から、顔を覗かせた。


「セシルさん、リクさん、何か、面白いもの見つけたんですか」


「うん、多分、すごく重要なもの」


セシルは、その古い書物を、大切そうに、両手で抱えた。


「村長さんに、この本、しばらく借りられないか、聞いてみる。ちゃんと調べる価値がある」


あたしたちは、書庫を出て、オズワルドに、事情を説明した。村長は、快く、その古い書物を、貸し出してくれた。


「その本が、何かの役に立つのなら、いくらでも持っていくといい。儂には、猫に小判だったからな」


オズワルドの言葉に、あたしたちは、深く頭を下げた。書庫を出る頃には、外はすっかり、夕暮れに染まっていた。あたしの胸の中には、積術の出自に関わる、初めての、確かな手がかりを得た実感が、静かに広がっていた。


小屋への帰り道、あたしは、セシルの隣を歩きながら、話しかけた。


「アイレスって人、今も生きてるのかな」


「分からない。でも、もし生きてるなら、会って、色々聞いてみたい。積術のこと、それに、この世界の成り立ちについても」


「セシルらしいね、そういうところ」


「知りたいことは、知りたいから」


「セシルの探究心、マジビの特集番組でも組めそうだね」


「茶化さないでよ」


セシルが、頬を膨らませた。


セシルは、迷いのない口調で、そう言い切った。あたしは、そんな彼女の姿勢に、いつも、密かに感心していた。


「アーガスさんにも、この本のこと、見せた方がいいよね」


「うん。もしかしたら、何か、知ってるかもしれない」


小屋に戻ると、あたしたちは、早速、アーガスに、書物を見せた。彼は、ページをめくりながら、しばらくの間、無言で、文字を追っていた。


「この名前……アイレス、か」


アーガスの声には、何か、含みのある響きがあった。


「知ってるんですか」


「いや、直接は知らん。だが、俺の師も、似たような名前を、一度だけ、口にしたことがある。詳しいことは、覚えていないが……確か、積術の原則を、最初に記した者の名だと」


その言葉に、あたしたちは、顔を見合わせた。ようやく、歴史の奥に眠っていた、積術の出自の輪郭が、ほんの少しだけ、見え始めていた。


「もっと、詳しく調べる方法、ないんですか」


トトが、身を乗り出すように尋ねた。アーガスは、少し考えるように、腕を組んだ。


「王都の大図書館になら、もっと古い記録が、残っているかもしれん。だが、それを調べるには、それなりの伝手と、時間が要る」


「今すぐには、難しいってことですね」


「ああ。だが、いずれ、機会は来るだろう。その本は、大事に持っていろ、リク」


アーガスから差し出された古い書物を、あたしは、両手で、丁寧に受け取った。革表紙の感触は、思っていたより、ずっしりと重かった。まるで、そこに刻まれた歴史の重みそのものを、そのまま手渡されたようだった。


「アイレスさん、か、いつか、会えるかもしれないんですね」


「可能性としては、ゼロじゃない。だが、期待しすぎるな。何百年も前の人物かもしれん」


「分かってます。でも、少しだけ、楽しみです」


あたしの言葉に、セシルが、隣で、静かに微笑んだ。


「私も、気になる。積術の始まりが分かれば、リクの力の意味も、もっとはっきりするはずだから」


囲炉裏の炎を囲みながら、あたしたちは、古い書物を、順番に眺め、それぞれの想像を巡らせていた。積術の出自という、大きな謎の入り口に、ようやく、足を踏み入れた実感があった。その先に、何が待っているのか。今は、まだ、分からない。それでも、確かな手応えが、あたしの胸の中に、静かに残っていた。


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