↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
10章 敗走の名前

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
86/94

(86)敗走の夜、その前

「五年前、ハルナは、王都と、東方の辺境領との、境界線上にあった。表向きは平穏な村だったが、実際には、両陣営の思惑が、複雑に絡み合う土地だった」


アーガスは、囲炉裏の炎を見つめたまま、淡々と語り始めた。


「東方の辺境領が、独自の交易路を広げようとしていた。王都は、それを、自分たちの権益への挑戦と見なした。両者の緊張は、水面下で、じわじわと高まっていった。そして、あの年、ついに、小競り合いが起きた」


「小競り合い……それが、ハルナ街道の敗走に、繋がるんですか」


「ああ。王都は、東方の動きを牽制するために、ハルナ街道沿いに、部隊を進軍させることを決めた。表向きは、治安維持のための巡回。だが、実際の狙いは、東方への示威行動だった」


セシルが、静かに手帳を開き、アーガスの言葉を、丁寧に書き留め始めた。


「その進軍の指揮を執っていたのが、当時の軍務長官の甥、レオン・カステルという男だった。若く、功を焦っていた。彼は、東方との緊張が高まる中、より積極的な進軍を、上層部に進言した」


「積極的な進軍、って」


「街道沿いの村々を、実質的な軍事拠点として、再編する計画だ。住民の意向など、まるで考慮されていなかった。ハルナも、その対象の一つだった」


アーガスの声に、抑えた怒りが滲んだ。


「村の者たちは、当然、反発した。だが、レオンは、それを、東方に通じる不穏分子の動きと決めつけた。そして、進軍中の部隊に、ハルナ周辺の掃討を命じた」


「掃討……」


あたしの声が、思わず震えた。それは、あたしが記憶している、あの日の混乱と、確かに繋がっていた。


「命令を受けた部隊は、決して大きくはなかった。だが、統率は取れていた。まっすぐに、村へと向かってきた。その時、村にいたのは、非戦闘員がほとんどだった。武器を持つ者など、片手で数えるほどしかいなかった」


トトが、青ざめた顔で、拳を握りしめていた。ヴァレナも、唇を固く結び、じっとアーガスの言葉に耳を傾けている。あたしは、五年前のあの日の記憶を、必死に手繰り寄せようとしていた。土煙、怒声、逃げ惑う人々の足音――断片的な映像が、脳裏に、次々と浮かんでは消えていった。


「俺は、当時、たまたま、村に滞在していた。お前に、積術の口伝を授けている、その最中だった」


その一言に、あたしの心臓が、大きく跳ねた。


「稽古の、真っ最中だった、ってことですか」


「そうだ。お前は、まだ、何も知らなかった。ただ、俺の話を、真剣に聞いていた。そんな時に、村の外から、悲鳴が聞こえてきた」


アーガスは、そこで、一度、言葉を切った。長い沈黙の後、彼は、静かに続けた。


「あれが、全ての始まりだった」


その言葉の重みに、小屋の中の空気が、一段と張り詰めた。あたしは、拳を握りしめ、続きを待った。あの日、何が起きたのか。師匠の口から語られる真実に、あたしは、まだ、覚悟を決めきれずにいた。


「悲鳴を聞いた瞬間、俺は、稽古を中断して、村の外れへと駆け出した。お前も、俺の後を、必死に追いかけてきた。止めても、聞かなかった」


「覚えてます。あの時、アーガスさんの背中を、見失わないようにするので、精一杯でした」


「村の外れに着くと、既に、部隊の先鋒が、村の入り口まで迫っていた。武装した兵士たちが、整然と隊列を組んで、こちらへ向かってくる光景は、今でも、鮮明に覚えている」


アーガスの声が、わずかに低くなった。


「村長――当時のハルナの長は、必死に、部隊の指揮官と交渉しようとした。だが、レオンは、聞く耳を持たなかった。彼にとって、村人の命よりも、上層部への戦果報告の方が、はるかに重要だったのだろう」


「そんな理由で……」


ヴァレナが、震える声で呟いた。彼女の家族も、あの日、街道にいた。その事実が、あたしの胸に、重くのしかかった。


「交渉が決裂した瞬間、部隊は、村への進軍を開始した。逃げ遅れた者たちが、次々と、街道へと押し出されていった。俺は、その時、選択を迫られた。目の前で起きている理不尽に、力ずくで介入するか。それとも、一人でも多く、逃がすことに徹するか」


「アーガスさんは、どっちを選んだんですか」


あたしの問いに、アーガスは、静かに、しかし、はっきりと答えた。


「後者だ。俺一人の力で、部隊全体を止めることはできない。それなら、一人でも多く、生きて街道を渡らせる方が、正しいと判断した」


その判断の重さに、あたしは、言葉を失った。師匠が、あの日、どれほどの葛藤を抱えながら、決断を下したのか。今になって、ようやく、その一端が、少しずつ見えてきていた。


「だが、その判断だけでは、間に合わなかった。村人たちは、パニックに陥り、統率もなく、街道へとなだれ込んだ。そこに、更なる悲劇が待っていた」


アーガスは、そこで、深く息を吐いた。


「街道の先――お前たちが、後に『敗走』と呼ぶことになる、あの場所で、何が起きたのか。それを話す前に、少し、休ませてくれ」


その言葉に、あたしは、はっと我に返った。アーガスの顔には、隠しきれない疲労の色が、濃く滲んでいた。半年間の不在の理由も、まだ、明らかになっていない。それでも、この続きを聞くには、もう少し、時間が必要なのかもしれなかった。


「はい……今日は、もう、休みましょう」


あたしがそう言うと、アーガスは、小さく頷いた。窓の外では、山の夜が、いつの間にか、すっかり深まっていた。


セシルが、静かに手帳を閉じ、囲炉裏の炎を見つめた。


「今日聞いた話だけでも、これまでの記録とは、随分違う。少なくとも、あの日の混乱は、村人たちの落ち度じゃなかった」


「うん。むしろ、被害者側だったんだよね、あたしたちは」


「そう。それを、はっきりさせられただけでも、大きな収穫だと思う」


セシルの言葉に、あたしは、静かに頷いた。ヴァレナは、囲炉裏の炎を見つめたまま、何も言わなかった。その横顔には、複雑な感情が、幾重にも重なっているように見えた。あたしは、そっと、ヴァレナの肩に、手を置いた。


「大丈夫?」


「うん……大丈夫。ただ、家族のこと、色々考えちゃって」


「無理しないで。続きは、また明日、一緒に聞こう」


「うん、そうする」


アーガスが、囲炉裏の火を、そっと落としながら、静かに立ち上がった。


「今夜は、狭いが、ここに雑魚寝してくれ。布団は、そう多くないが、なんとかなるだろう」


「ありがとうございます」


小屋の隅に、めいめい寝床を整えながら、あたしは、今日聞いた話を、頭の中で、何度も反芻していた。まだ、全てが明らかになったわけではない。それでも、確かに、真実へと近づいている実感が、あたしの中にあった。

最後までありがとうございました!


楽しんでいただけたら、評価やブックマークを入れてもらえるととても嬉しいです。


反応があると更新速度が上がります(重要)


それでは次回の更新をお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。