(83)賞金首の裏側
「五年前、ハルナ街道の敗走の直後――お前は、賞金首に指名された」
バロンは、静かに語り始めた。窓の外の夕暮れが、彼の横顔を、深い橙色に染めている。
「あの日のことは、正直、あたしの記憶も、断片的なんです」
あたしは、正直に答えた。
「それでいい。むしろ、当事者よりも、外側から見ていた者の方が、正確に覚えていることもある」
「どうして、今になって、この話を」
あたしが尋ねると、バロンは、少しの間、目を伏せた。
「アーガス殿が、じきに、お前に、全てを語るだろう。その前に、お前自身の足元だけは、はっきりさせておきたかった。師匠の話を、余計な不安を抱えたまま、聞かせたくはない」
バロンは、そう言うと、静かに続けた。
「その理由は、覚えているか」
「軍の指示に背いて、勝手に撤退を扇動した、という罪状だったと聞いています」
あたしが答えると、バロンは、小さく頷いた。
「表向きは、な」
「表向き、というと」
「実際には、お前を賞金首にしたい勢力と、それに反対する勢力の間で、意見が割れていた。わしは、後者だった」
その言葉に、あたしは、目を見開いた。
「反対、してくれてたんですか」
「当然だ。お前は、あの日、多くの命を救った。罪に問われるべきは、むしろ、無謀な進軍を命じた指揮官たちの方だ」
バロンの声には、静かな怒りが滲んでいた。
「賞金首にしたかった勢力、というのは、どういう人たちなんですか」
セシルが、冷静に尋ねた。バロンは、少し言葉を選ぶように、間を置いてから答えた。
「軍の上層部、特に、あの進軍を命じた指揮官たちに近い立場の者たちだ。自分たちの失策を、お前一人の責任にすり替えることで、体面を守ろうとした」
「そんな……」
トトが、思わず声を漏らした。
「理不尽な話だが、権力を持つ者たちの間では、珍しいことでもない。責任の所在を、都合よく作り変えることは、いつの時代も、繰り返されてきた」
バロンの言葉には、深い諦観と、それでもなお消えない怒りが、同居していた。
「わしは、お前の賞金首指名を、できる限り遅らせようとした。証拠不十分だと訴え、審議を長引かせた。結果として、完全に撤回させることはできなかったが、指名が正式に発効するまでの時間を、半年近く、稼ぐことができた」
「半年、って」
「誤解のないように言っておくが、指名の手続きそのものは、お前が街道を離れた、あの直後から、既に動き出していた。ただ、正式な賞金首として、全土に手配書が回るまでに、それだけの時間がかかった、ということだ」
「その間に、お前はもう、ハルナを出て、旅に出ていただろう。もし指名がすぐに発効していたら、お前は、ハルナを出る前に、拘束されていたかもしれない」
その事実に、あたしは、言葉を失った。あたしが知らないところで、自分の運命が、これほどまでに、誰かの手によって左右されていたなんて。
「あたし、そんなこと、全く知りませんでした」
「知らなくて当然だ。むしろ、知らせるべきではないと、わしが判断した」
「どうしてですか」
「お前が、余計な重荷を背負う必要は、ないと思ったからだ。自分の運命が、誰かの政治的な駆け引きの道具にされていると知れば、旅の間中、心が休まらなかっただろう」
バロンの配慮に、あたしは、胸が締め付けられる思いだった。
「どうして、そこまでしてくれたんですか」
あたしの問いに、バロンは、少し遠くを見るような目をした。
「わしにも、あの街道で、失った者がいる」
「え」
「わしの息子だ。若くして、あの部隊に配属されていた。お前の『逃げろ』という言葉に従って、生き延びた一人だ」
その言葉に、あたしの胸が、大きく揺れた。
「息子さんが……」
「今は元気に、隣の町で家族を持っている。お前がいなければ、今頃、わしは、息子を失っていた」
バロンの目には、確かな感謝の色が浮かんでいた。
「だから、わしは、お前に、恩がある。この五年、アーガス殿と連絡を取り合いながら、お前の動向を、遠くから見守ってきた」
「見守って、くれてたんですね」
「ああ。そして、いずれ、お前がここに戻ってくる日が来ると、信じていた」
その言葉に、あたしは、胸がいっぱいになった。故郷というのは、あたしが思っていたよりも、ずっと、あたしのことを、見守ってくれていたのかもしれない。
「息子さんに、会わせていただくことは」
あたしが尋ねると、バロンは、少し驚いたように、あたしを見た。
「会いたいのか」
「はい。あたしの選択が、確かに、誰かの人生を守れたんだって、この目で、確かめたいんです」
「――良いだろう。近いうちに、機会を作ろう」
バロンは、そう言うと、穏やかに微笑んだ。ヴァレナも、セシルも、トトも、その言葉に、静かに頷いていた。
「アーガス殿が戻ったら、改めて、話をする場を設けよう。彼から、お前に話しておきたいことが、いくつもあるはずだ」
バロンのその言葉に、あたしは、静かに頷いた。
応接間を出る頃には、外はすっかり夜の帳が下りていた。バロンは、あたしたちのために、館の一室を、宿として提供してくれた。
「今日は、ゆっくり休んでくれ。積もる話は、また明日以降、ゆっくりとしよう」
「ありがとうございます、バロン様」
案内された部屋は、旅の宿とは比べ物にならないほど、広く、清潔だった。
「なんか、落ち着かないね、こんな立派な部屋」
ヴァレナが、苦笑しながら、寝台に腰を下ろした。
「贅沢な悩みだね」
セシルが、くすりと笑いながら言った。
「今夜は、台詞帳に、何も書けそうにないや。かっこいい台詞より、色々、重たすぎる」
あたしがそう漏らすと、ヴァレナが、静かに笑った。
「明日から、また忙しくなりそうです」
トトが、窓の外の夜空を見上げながら呟いた。あたしも、その隣に立ち、星々の瞬きを、静かに見つめた。故郷の夜空は、旅先で見るどんな星空よりも、澄んで、近く感じられた。
「明日は、どんな一日になるんだろうね」
トトが、ぽつりと呟いた。
「さあ。でも、きっと、悪い一日にはならないと思う」
あたしがそう答えると、トトは、小さく微笑んだ。
「リクさんが、そう言うなら、そうなんでしょうね」
その日、あたしたちは、久しぶりに、屋根のある贅沢な部屋で、深い眠りに落ちた。窓の外では、ハルナの夜が、静かに更けていった。遠くで、夜鳥の鳴く声が、かすかに響いていた。それさえも、あたしにとっては、懐かしく、心地よい子守唄のように感じられた。明日への期待と、少しの緊張を胸に抱きながら、あたしは、静かに目を閉じた。
数日後に迫った、師匠との再会。その先に、何が待っているのか、まだ、あたしには分からなかった。それでも、確かな予感だけが、胸の中に、静かに広がっていた。
バロンの語った言葉の一つ一つが、眠りに落ちる直前まで、あたしの頭の中で、静かに反芻されていた。知らないところで支えられていた運命と、これから知ることになる師匠の不在の理由。その二つが、どこかで繋がっているような気がして、あたしは、闇の中で、そっと目を開けた。
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