(82)領主館の門前で
領主館は、村から半日ほどの距離にある、小さな町の中心に建っていた。石造りの、決して大きくはないが、風格のある建物だった。周囲には、活気のある市場が広がり、あたしの記憶にある、静かなハルナの町並みとは、少し違う賑わいを見せていた。
「この町、ずいぶん、活気がありますね」
トトが、辺りを見渡しながら言った。
「うん。ここは、ハルナの中でも、一番大きな町だから。バロン様の統治の中心地でもある」
「王都ほどじゃないけど、それなりに栄えてるんだね」
ヴァレナが、周りの露店を眺めながら言った。
石畳の道の両脇には、色とりどりの果物や、織物を並べた露店が、ずらりと軒を連ねていた。呼び込みの声と、値切り交渉の声が、あちこちから聞こえてくる。香ばしい匂いを漂わせる屋台からは、湯気が、絶え間なく立ち上っていた。行き交う人々の活気に、あたしたちの足取りも、自然と軽くなっていく。この賑わいこそが、ハルナという土地の、確かな生命力を物語っているようだった。あたしは、その活気を胸いっぱいに吸い込みながら、久しぶりの故郷の空気を、改めて噛み締めた。
「小さい頃、この市場に、一度だけ来たことがある」
あたしは、懐かしい記憶を辿りながら言った。
「珍しく、村のみんなで、収穫祭に合わせて出てきたんだ。屋台の食べ物が、すごく美味しかったのを覚えてる」
「今も、やってるんですかね、その屋台」
トトが、興味津々に尋ねた。
「どうだろう。時間があったら、あとで見てみようか」
「賛成です」
トトが、目を輝かせた。そんな軽いやり取りをしながら、あたしたちは、市場を抜け、領主館の門へと向かった。
「立派な建物ですね」
トトが、見上げながら呟いた。
「バロン・エッシュ様に、お会いしたいのですが」
あたしが門番に告げると、初老の門番は、あたしの顔を、じっと見つめた。
「もしや、リク殿では」
「はい、そうです」
「これは……少々、お待ちください」
門番は、慌てた様子で、館の中へと駆けていった。しばらくして、彼は戻ってくると、あたしたちを、丁重に館の中へと案内した。
「バロン様が、ぜひお会いしたいと」
「本当に、あたしのこと、知ってるんですね」
あたしが驚いていると、案内の途中、セシルが、小声で耳打ちした。
「賞金首として名前が広まってるだけじゃなくて、故郷の出身者として、注目されてるのかもしれない」
応接間に至るまでの廊下には、ハルナの歴史を描いた、古い絵画がいくつも飾られていた。あたしは、その一枚に、なんとなく目を留めた。
「あれ、何の絵ですか」
トトが、興味深そうに尋ねた。
「ハルナの成り立ちを描いた絵です。この地は、昔から、どの国にも属さない、独立した気風を大切にしてきました」
案内の門番が、簡潔に説明してくれた。
館の応接間に通されると、初老の男性が、あたしたちを待っていた。整った身なりと、穏やかながらも威厳のある表情。それが、バロン・エッシュだった。
「よく来てくれた、リク殿」
「バロン様、お初にお目にかかります」
あたしが頭を下げると、バロンは、柔らかく微笑んだ。
「そう硬くならなくていい。あなたの故郷の領主として、いつか、直接話す機会を持ちたいと思っていた」
「光栄です」
澄まして返事をしたものの、我ながら、柄にもなく畏まりすぎている自覚はあった。
「連れの方々も、ようこそ。旅の疲れは、いかがかな」
バロンが、ヴァレナ、セシル、トトに、順に視線を向けた。
「おかげさまで、快適な旅をさせていただいています」
セシルが、丁寧に答えた。バロンは、満足そうに頷き、あたしたちに、椅子に座るよう促した。柔らかな布張りの椅子は、旅の疲れを、じんわりと溶かしてくれるようだった。長旅の間、硬い地面や、粗末な宿の寝台ばかりだったあたしたちにとって、それは、ちょっとした贅沢だった。
「アーガスさんが、こちらにいらしたと聞いて、お訪ねしました」
あたしが切り出すと、バロンの表情が、少し引き締まった。
「ああ、アーガス殿のことだな。彼なら、数日前まで、ここに滞在していた」
「今は、どちらに」
「所用で、少し遠方へ出かけている。数日のうちには、戻ってくるはずだ」
その言葉に、あたしは、少しほっとした。
「所用、というのは」
セシルが、丁寧に尋ねた。バロンは、少し考えるような素振りを見せてから、静かに答えた。
「詳しくは、彼自身の口から聞くのが良いだろう。わしから、軽々しく話すべきことではないと思っている」
その言い方に、あたしは、何か重要な事情が隠されているのだと悟った。バロンの声には、隠し事をしているというより、むしろ、慎重に言葉を選んでいるような響きがあった。
「分かりました。お待ちします」
「良い判断だ。焦って知ろうとするより、本人の口から、きちんと聞く方が、お互いのためになる」
バロンは、そう言うと、優しい眼差しで、あたしを見つめた。
「アーガスさんと、どういったご関係なんですか」
セシルが、丁寧に尋ねた。バロンは、少し考えるような表情を見せてから、答えた。
「古い付き合いだ。それに、ある事情があって、彼とは、五年前から、定期的に情報を交換する間柄にある」
「五年前、というと」
あたしが尋ねると、バロンの目に、複雑な色が浮かんだ。
「ハルナ街道の敗走の後、だ」
その一言に、あたしの心臓が、大きく跳ねた。ハルナ街道の敗走。それは、あたしの人生を大きく変えた、あの日の出来事だった。バロンの口から、その言葉が出てくるとは、正直、予想していなかった。
「その話、詳しく聞かせていただけますか」
あたしの問いに、バロンは、静かに頷いた。
「もちろんだ。座って、ゆっくり話そう。これは、あなたにこそ、知ってもらうべき話だから」
応接間の空気が、少しだけ、張り詰めたものに変わった。あたしは、ごくりと唾を飲み込み、椅子に深く座り直した。
ヴァレナも、隣で、背筋を伸ばしていた。彼女にとっても、この話は、決して他人事ではない。セシルは、既に手帳とペンを構え、いつでも書き留められる姿勢を取っている。トトだけが、少し緊張した面持ちで、あたしの様子を、そっと窺っていた。
窓の外では、夕暮れの光が、応接間の床に、長い影を落とし始めていた。その静けさの中、バロンの次の言葉を、あたしたちは、固唾を呑んで待った。
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