(78)懐かしい村の景色
関所を抜けて二日、あたしたちは、あたしが生まれ育った村、リエンの集落に到着した。
「わあ……」
トトが、思わず声を漏らした。木造の家々が、緩やかな丘に沿って並び、その向こうには、青々とした牧草地が広がっている。羊の群れが、のんびりと草を食んでいた。
「本当に、のどかなところですね」
「でしょ」
あたしは、少しだけ誇らしい気分になった。故郷を褒められるのは、悪くない気分だった。
「この道、覚えてる」
あたしは、村の入り口に続く、石畳の小道を指さした。
「子どもの頃、毎日、水汲みでこの道を往復してたんだ。桶を抱えて、こぼさないように、必死に歩いた記憶がある」
「今のリクさんからは、想像しにくいですね」
トトが、くすくすと笑った。
「失礼な。あたしだって、子どもの頃は、ちゃんとした村娘だったんだから」
「今は、ちゃんとしてない、みたいな言い方」
セシルが、すかさず突っ込んだ。あたしは、うっと言葉に詰まった。
「賞金首やってる時点で、ちゃんとした村娘の道からは、少し逸れてるかもね」
ヴァレナが、けらけらと笑いながら言った。あたしたちは、そんな軽口を交わしながら、村の中心へと歩みを進めた。井戸の周りでは、数人の女性たちが、洗濯をしながら、世間話に花を咲かせている。その光景は、五年前と、何も変わっていないように見えた。子どもたちが、井戸の周りを、はしゃぎながら駆け回っている。あたしも、かつては、あの中の一人だった。あの頃は、まさか自分が、遠い国々を旅する日が来るなんて、想像もしていなかった。
「リク? リクなのかい」
畑仕事をしていた老婆が、あたしに気づいて、声をかけてきた。
「マーサさん」
「なんてこと、本当にリクじゃないか。ああ、大きくなって」
マーサは、涙ぐみながら、あたしの手を取った。土で汚れた指先が、あたしの手を、しっかりと包み込む。その温もりに、あたしは、思わず、幼い頃の記憶を思い出した。両親を亡くしたばかりの頃、この人が、何度も、あたしを抱きしめてくれたことを。
「あんたが、旅に出てから、もう何年になるかねえ」
「五年、ちょっとです」
「そうかい、そうかい」
マーサは、何度も頷きながら、あたしの手を、優しく撫でた。
「賞金首になったって聞いた時は、心配で夜も眠れなかったよ。でも、こうして、元気な顔を見られて、本当に良かった」
その言葉に、あたしの胸が、じんわりと温かくなった。故郷というのは、良い意味でも、悪い意味でも、あたしのことを、覚えている場所だった。
「連れの人たちは、お仲間かい」
「はい。大事な仲間です」
あたしが紹介すると、ヴァレナ、セシル、トトが、それぞれ丁寧に挨拶をした。マーサは、目を細めて、みんなを見渡した。
「良い顔してるね、みんな」
その一言に、なぜか、あたしまで照れくさくなった。
「アーガスさんの山小屋、まだ同じ場所ですか」
あたしが尋ねると、マーサは、少し表情を曇らせた。
「ああ、同じ場所だよ。ただねえ……」
「何か、あったんですか」
「最近、あの人、時々、遠くまで出かけてるみたいでね。どこに行ってるのか、村の誰も知らないんだ」
ゴードンの話と、同じ内容だった。あたしの中の不安が、少しずつ大きくなっていく。
「今日は、もう遅いから、うちに泊まっていきなさい。山小屋に行くのは、明日でいいだろう」
マーサの申し出に、あたしたちは、素直に甘えることにした。マーサの家は、あたしが幼い頃、両親を亡くしたあと、何度も食事をご馳走になった、思い出深い場所だった。
「懐かしいなあ、この台所」
あたしは、木の匂いが染み付いた台所を見渡しながら、呟いた。
「よくここで、パンをもらって食べてました」
「よく覚えてるねえ。あんた、痩せっぽっちで、いつも腹を空かせてたから、心配だったんだよ」
マーサは、そう言いながら、鍋いっぱいのシチューを、あたしたちに振る舞ってくれた。湯気とともに、懐かしい香りが、部屋いっぱいに広がっていく。トトもセシルもヴァレナも、久しぶりの家庭料理に、目を輝かせている。
「美味しい……」
トトが、思わず呟いた。
「でしょう。マーサさんの料理、村で一番なんだから」
あたしが自慢げに言うと、マーサは、照れくさそうに笑った。
食事を終えたあと、マーサは、あたしたちのために、予備の寝床を整えてくれた。
「布団、少ないけど、我慢しておくれ」
「十分です。ありがとうございます、マーサさん」
あたしがそう言うと、マーサは、目を細めて笑った。
夜、マーサの家の囲炉裏を囲みながら、あたしは、久しぶりに、故郷の空気を味わっていた。
「懐かしい、匂い」
あたしが呟くと、ヴァレナが、静かに、あたしの横に腰を下ろした。
「あの日から、初めて、ここに帰ってきたんだね」
「うん」
「怖い?」
ヴァレナの問いに、あたしは、正直に頷いた。
「怖いよ。でも」
あたしは、窓の外に広がる、星の瞬く夜空を見上げた。
「いつまでも、目を逸らしてるわけにはいかないから」
「うん」
「それに、あんたも、一緒にいてくれるし」
あたしがそう言うと、ヴァレナは、少し照れくさそうに、視線を逸らした。
「柄にもないこと、言わないでよ」
「柄にもないのは、お互い様でしょ」
「向き合わなきゃいけない時が、来たんだと思う」
その言葉に、ヴァレナは、何も言わず、ただ、あたしの肩に、そっと手を置いた。その手の温かさが、じんわりと、あたしの緊張をほぐしていく。
囲炉裏の向こうでは、セシルとトトが、マーサから、村の昔話を聞かせてもらっていた。トトは、時折、感心したように声を上げ、セシルは、興味深そうに、手帳へ何かを書き留めている。
「あの二人、すっかり打ち解けてるね」
あたしが言うと、ヴァレナも、目を細めて頷いた。
「良いことだよ。仲間が増えるたびに、この旅が、少しずつ、賑やかになっていく」
「うん」
「あんたが、一人で背負ってた頃とは、大違い」
その言葉に、あたしは、小さく笑った。
「今も、時々、忘れそうになるけどね。一人で何とかしなきゃって」
「忘れそうになったら、あたしが、いつでも思い出させてあげる」
ヴァレナは、そう言って、あたしの肩を、軽く小突いた。夜が更けるにつれ、囲炉裏の火は、少しずつ、赤く小さくなっていった。それでも、部屋の中を包む温かさは、少しも変わらなかった。
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