(77)関所の顔なじみ
翌々日、あたしたちは、辺境自治領ハルナの入り口となる関所に到着した。他の国々の関所とは違い、木造の簡素な検問所が、街道の脇にぽつんと建っているだけだった。
木造の建物の周りには、旅人や商人が、数人、列を作っていた。旅慣れた足取りで検問所に近づくと、あたしは、なんとなく懐かしい緊張感を覚えた。他の国の関所とは違う、どこかのどかな雰囲気が漂っている。荷馬車の車輪の音や、行商人たちの掛け声が、のんびりとした空気の中に、心地よく溶け込んでいた。
「あれ、リクじゃないか」
検問所から出てきた初老の役人が、あたしの顔を見るなり、目を丸くした。
「久しぶりだね、ゴードンさん」
あたしが声をかけると、ゴードンと呼ばれた役人は、感慨深そうに、あたしを頭のてっぺんから足の先まで眺めた。
「大きくなったなあ。噂には聞いてたが、まさか本人が帰ってくるとはな」
「噂、ですか」
「賞金首になって、あちこちの街道を暴れまわってるっていう噂だよ。ここいらじゃ、ちょっとした有名人だ」
その言葉に、あたしは、なんとも言えない気分になった。故郷での自分の評判というのは、旅先とはまた違う重みを持つ。知らない町でどう見られるかより、育った場所でどう語られているかの方が、ずっと落ち着かない気分にさせられる。
「税は、いつも通りでいいのか」
「あたしは免除だよね」
「ああ、お前さんは、な。連れの三人は、通常通り、距離税をもらうよ」
セシルが、手早く硬貨を数えて、ゴードンに手渡した。
「随分と、しっかりした連れがいるじゃないか」
「みんな、大事な仲間だから」
あたしがそう言うと、ゴードンは、少し目を細めた。
「良かったな。一人で背負い込まなくて」
その一言に、あたしは、思わず言葉に詰まった。ゴードンなりの、あたしへの気遣いなのだと、すぐに分かった。
「昔のあんたは、いつも一人で、肩肘張ってたからな」
「そんなに、分かりやすかったですか」
「そりゃあな。関所を通るたびに、誰とも目を合わせずに、さっさと通り過ぎていく子どもだったよ」
「うっ」
図星を突かれて、あたしは、思わず声を漏らした。
「台詞帳に、書いておこう。ゴードンさんに、黒歴史を握られている、と」
「まだ、そんなの、書いてるのか」
ゴードンが、呆れたように笑った。
「今は、ずいぶんと、賑やかになったじゃないか」
ゴードンが、あたしの後ろに並ぶ三人を、順に見渡しながら言った。ヴァレナ、セシル、トトが、それぞれ会釈をする。
「良い顔をした仲間たちだ」
「みんな、あちこちで拾った、大事な人たちです」
「拾った、って言い方、なんかリクさんらしいですね」
トトが、くすくすと笑った。ゴードンも、つられたように、口元を緩めた。
「アーガスさんは、元気にしてますか」
あたしが尋ねると、ゴードンは、少し考える素振りを見せた。
「相変わらず、あの山小屋に住んでるはずだよ。ただ、最近は、時々、姿を見せなくなる時期があるらしい。どこかに出かけてるんだろうって、村の連中は噂してる」
「出かけてる、って」
「詳しくは知らんよ。あの人は、昔から、そういうところがあるだろう」
その言葉に、あたしは、小さな不安を覚えた。アーガスの気配のない山小屋を想像すると、なぜか、胸がざわついた。あの人が、当たり前のように、いつもの場所にいてくれるという安心感を、あたしは、無意識のうちに、当てにしていたのかもしれない。
「バロン・エッシュ様は、今、どちらに」
セシルが、話題を変えるように尋ねた。
「領主館だよ。最近は、王都との折衝で忙しくしてるって聞くね」
「王都との折衝、ですか」
「詳しいことは、俺たち下っ端には分からんが……まあ、ハルナの立場も、色々複雑なんだろうさ」
「複雑、ですか」
セシルが、興味深そうに尋ねた。
「王都とも、ライネスとも、完全には手を組めない立場だからな。どちらに肩入れしすぎても、もう片方から睨まれる。バロン様も、そのあたりの舵取りには、随分と苦労なさってるようだ」
ゴードンは、そう言うと、少し声を落として続けた。
「まあ、詳しいことは、直接、館で聞いた方が早いだろう。噂話は、所詮、噂話にすぎん」
「そうですね。憶測だけで動くのは、危ないですし」
セシルが、手帳に何かを書き留めながら、頷いた。
「教えてくれて、ありがとうございます」
「なに、旅の無事を祈ってるよ。特に、お前さんには」
ゴードンの目には、あたしの幼い頃を知る者だけが持つ、深い情が滲んでいた。あたしは、その眼差しに、小さく頭を下げてから、街道の先へと、足を踏み出した。振り返ると、ゴードンは、まだこちらを見送っていた。その姿が見えなくなるまで、あたしは、何度も、小さく手を振り続けた。
ゴードンは、そう言うと、検問所の中に戻っていった。あたしたちは、開かれた関所を抜け、ハルナの大地に、改めて足を踏み入れた。
乾いた土の匂い、遠くで鳴く鳥の声、緩やかに続く丘陵。何もかもが、記憶にあるままだった。それなのに、五年という歳月が、あたしとこの土地の間に、ほんの少しだけ、隔たりを作っているようにも感じられた。
「どうかした?」
ヴァレナが、あたしの様子に気づいて、声をかけてきた。
「ううん。なんか、変な感じがして」
「変な感じ、って」
「懐かしいのに、少しだけ、よそよそしい。自分の家なのに、他人の家みたいな」
「五年も経てば、そんなものかもね」
ヴァレナは、そう言うと、あたしの背中を、軽く押した。
「立ち止まってても、始まらないよ。行こう」
「うん」
「アーガスさんのこと、心配ですか」
トトが、あたしの表情を窺いながら尋ねた。
「うん、少し」
あたしは、正直に答えた。
「でも、まずは、山小屋に行ってみよう。会えば、きっと、いつも通りの、あの仏頂面が見られるはずだから」
「仏頂面って、面白い言い方ですね」
トトが、くすりと笑った。
「本当に、いつも眉間に皺寄せてるんだから。稽古の時なんて、笑った顔、一度も見たことないかも」
「そんな人が、リクさんのこと、大事に思ってくれてるんですね」
「多分ね。口には出さないけど」
セシルが、地図を広げながら、山小屋までの道のりを確認した。
「ここから、山小屋までは、半日くらいかな」
「よし、行こう」
ヴァレナの号令に、あたしたちは、それぞれ頷いた。
そう言いながらも、あたしの胸の中には、拭いきれない予感が、小さく渦巻いていた。




