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チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
9章 彼方へ続く道

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(75)次の目的地

王都を出て、最初の宿場町に着いた夜。宿の一室は、隙間風が少し気になるくらいの、こぢんまりとした部屋だった。それでも、旅慣れたあたしたちにとっては、屋根と壁があるだけで十分にありがたい。あたしたちは、囲炉裏を囲みながら、これからのことを話し合っていた。


窓の外では、旅商人たちの荷馬車が、遅くまで行き来する音がしていた。王都に近い宿場町らしい、賑やかな夜だった。


「特別会計局を裏で動かしてる誰か、か」


セシルが、手帳を広げながら呟いた。ページには、王都で集めた情報が、几帳面な文字でびっしりと書き込まれている。


「手がかり、何かあるの」


あたしが尋ねると、セシルは、少し困ったように首を振った。


「正直、ここからは、王都だけの情報網じゃ限界がある。もっと広い範囲で、噂を拾い集める必要がありそう」


「じゃあ、どこに向かえばいいの」


トトが、不安そうに尋ねた。あたしは、なんとなく、答えを予感していた。案の定、口を開いたのはヴァレナだった。


「ハルナに、行こう」


その一言に、あたしの心臓が、小さく跳ねた。


「ハルナ、って」


「あんたの故郷だよ。忘れたとは言わせない」


ヴァレナの声には、いつもの軽さと、その奥に、何か確かな覚悟のようなものが滲んでいた。


「あんたには、まだ会うべき人が、他にもいるはずだから」


王都を発つ朝、ヴァレナが言っていたあの一言。あたしは、それがずっと、胸の奥に引っかかっていた。


「会うべき人、って、誰のこと」


あたしが尋ねると、ヴァレナは、少しだけ視線を逸らした。


「それは、着いてからのお楽しみ」


「ごまかした」


「ごまかしてない。ただ、今言うと、あんたが変に身構えるから」


「もう十分、身構えてるんだけど」


あたしがそう返すと、トトが、くすりと笑った。


「リクさんでも、身構えることってあるんですね」


「失礼な。あたしだって、人並みに緊張くらいするよ」


「台詞帳には、そういう時のための決め台詞、入ってないんですか」


セシルが、からかうように口を挟んだ。あたしは、思わずうっと詰まった。


「……考えとく」


「考えるの遅い」


ヴァレナが、容赦なく突っ込んだ。囲炉裏の周りに、小さな笑いが広がる。それでも、あたしの胸の奥では、その言い方が、逆に、あたしを身構えさせていた。ハルナ。故郷。五年前。思い出したくない記憶が、いくつも、水面下で揺れ動く。


「ハルナは、辺境自治領の中心地だよね。バロン・エッシュって領主連合の代表がいる」


セシルが、手帳のページをめくりながら言った。


「ハルナは、どの国にも完全には属してない緩衝地帯。だからこそ、いろんな噂が、国境を越えて流れ着く場所でもある。特別会計局の後ろにいる誰かの手がかりを探すには、悪くない場所だと思う」


「地理的にも、理にかなってるってことね」


「うん。それに」


セシルは、少し声を落として続けた。


「王都に近すぎず、ライネスにも近すぎない。両方の国の思惑から、少し距離を置いて考えられる土地だとも言える。中立に近い場所だからこそ、見えてくるものがあるかもしれない」


「セシルらしい、冷静な理由だね」


「感情論だけじゃ、旅は続けられないから」


セシルは、そう言って、いたずらっぽく笑った。もっとも、その口ぶりとは裏腹に、彼女の視線は、ちらりと、あたしの表情を窺っていた。きっと、あたしの気持ちも、分かった上での提案なのだろう。


「理屈は分かった。でも」


あたしは、言葉を濁した。故郷に帰る。それだけのことのはずなのに、なぜか、胸の奥がざわつく。


「無理には誘わない」


ヴァレナが、静かに言った。囲炉裏の炎が、彼女の横顔を、赤く照らしていた。その表情は、いつもの飄々とした彼女とは、少し違って見えた。


「でも、あたしは、あんたに、ちゃんと向き合ってほしいと思ってる。いつまでも、あの街道の話から、目を逸らし続けるわけにはいかないでしょ」


その言葉に、あたしは、しばらく何も言えなかった。ハルナ街道の敗走。あたしが、初めて全力放出をした日。多くを失い、多くを救った、あの日のこと。


「――分かった」


あたしは、深く息を吸って、頷いた。


「ハルナに、行こう」


その言葉に、みんなが、それぞれの表情で頷いた。トトだけが、少し不安そうな顔をしている。


「大丈夫ですか、リクさん」


「うん。大丈夫」


即答したものの、自分でも、あまり説得力のある声には聞こえなかった。台詞帳には、こういう時のための、もっと格好いい返し文句を、いくつか書き留めてあったはずなのに。とっさには、一つも出てこなかった。


「格好つけなくていいよ」


ヴァレナが、あたしの内心を見透かしたように、小さく笑った。


「無理に強がる必要は、ないんだから」


「強がってない」


「強がってる」


セシルとトトが、顔を見合わせて、小さく笑った。囲炉裏の火が、ぱちりと爆ぜる。あたしは、その音に紛れて、小さくため息をついた。


「正直に言うとね」


あたしは、みんなの顔を、順番に見渡しながら、続けた。


「ハルナのこと、ずっと避けてきたんだと思う。旅の行き先を決める時も、無意識に、故郷から遠い方角ばかり選んでた気もする」


「気づいてたよ」


セシルが、静かに言った。


「地図を広げる時、あんたの視線が、いつもハルナの方角だけ避けてたこと」


「バレてたんだ」


「そりゃ、毎日一緒にいれば、それくらい分かるよ」


トトも、こくりと頷いた。


「僕も、なんとなく、感じてました。リクさんが、ハルナの話になると、いつもより、少しだけ言葉が少なくなるって」


その指摘に、あたしは、何も言い返せなかった。仲間というのは、案外、あたし自身よりも、あたしのことをよく見ている。


「でも、だからこそ、今、行くべきなんだと思う」


ヴァレナが、静かに言葉を継いだ。


「避け続けてたら、いつまでも、あの日のことに、区切りがつかない。あんたも、あたしも」


その言葉に、あたしは、深く頷いた。


「うん。そうだね」


あたしは、大きく息を吸い込んだ。乾いた草の匂いが、鼻の奥に、じんわりと広がっていく。五年前のあの日も、確か、こんな匂いのする風が吹いていた。あの時は、恐怖と混乱で、匂いを気に留める余裕なんて、どこにもなかったけれど。


囲炉裏の炎が、ゆっくりと、部屋を暖めていく。故郷に帰る。それは、あたしにとって、旅の中でも、一番の難所になるかもしれない。そんな予感を抱えながら、あたしたちは、翌朝、ハルナへの道を歩き始めた。


最後までありがとうございました!


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