(72)絆の力
ザラが、一歩を踏み出した。その足取りには、これまでの彼女らしい、迷いのない鋭さがあった。それでも、あたしには、その奥に、確かな葛藤が潜んでいるように感じられてならなかった。あたしたちは、それぞれの得物を構え、緊張の中、向き合った。周囲を取り囲む兵士たちも、固唾を呑んで、この対峙を見守っていた。
「行くぞ」
ザラの声と共に、彼女の姿が、あたしの目の前から、一瞬、掻き消えた。あたしは、辛うじて、その一撃を受け止めた。腕に走る重い衝撃に、思わず奥歯を噛み締めた。
「くっ」
「まだまだ」
ザラの連撃が、間断なく続いた。結界の影響で、力を出し切れないあたしは、防戦一方になりながらも、なんとか持ちこたえていた。一撃一撃が、これまで対峙してきたどの敵よりも重く、鋭かった。それでも、これまでの旅で培ってきた機転と経験が、あたしを、辛うじて支えていた。
「リク、援護する」
ヴァレナが、ザラの側面に回り込み、攻撃を仕掛けた。ザラは、それを難なく躱しながら、あたしとヴァレナ、両方に対応してみせた。
「セシル、道具を」
あたしの指示に、セシルが、目眩ましの道具を投げた。ザラは、それを察知し、素早く後方に跳んで躱した。
「小賢しい真似を」
ザラの言葉には、苛立ちが滲んでいた。それでも、彼女の動きには、これまでの戦いにはなかった、僅かな迷いが見え隠れしていた。踏み込みの深さ、剣を振るう速さ。どれをとっても、以前対峙した時よりも、僅かに鈍っているように、あたしには感じられた。
「アルドさん、お願い」
あたしの言葉に、アルドが、杖を掲げた。彼の魔力が、結界の負荷を操作し、あたしの中に、確かな力の高まりをもたらした。
「今なら」
あたしは、渾身の一撃を、ザラに向けて放った。全身の力を込めたその一撃は、これまでの戦いの中でも、最も重いものだった。ザラは、それを紙一重で受け止めながらも、僅かに体勢を崩した。
「お前たち、いつからそんなに息が合うようになった」
ザラが、悔しさを滲ませながら呟いた。
「みんなで、ずっと旅をしてきたから」
あたしの答えに、ザラは、僅かに動きを止めた。
「その絆とやらが、そんなに強いものか」
ザラの問いに、トトが、真剣な表情で答えた。
「はい。みんなで支え合ってきたから、僕は、ここまで来られました。最初は、本当に何もできなかった。でも、みんなが、諦めずに待っていてくれたから、少しずつ、強くなれたんです」
トトの言葉に、ザラは、しばらく無言だった。その目には、これまで見せたことのない、複雑な感情が浮かんでいた。
「一人じゃ、無理でした。でも、一人じゃないから、ここまで来られた。それだけです」
トトの言葉が続いた。彼の声には、以前の頼りなさは、もう欠片も残っていなかった。
「羨ましい、とでも言うと思ったか」
ザラは、そう言うと、再び武器を構えた。それでも、その動きには、明らかな迷いが滲んでいた。
「一人で背負い込む必要、ないんです」
あたしの言葉に、ザラは、大きく目を見開いた。
「――お前に、何が分かる」
ザラの声は、これまでになく、震えていた。
「分からないかもしれません。でも、あなたが、独りで何かを守ろうとしてきたことだけは、伝わってきます」
あたしは、真っ直ぐに、ザラを見つめながら続けた。
「フェンさんを助けた時も、本当は、無理をして見逃してくれたんじゃないですか。あなたの中に、何か迷いがあったからこそ」
あたしの言葉に、ザラは、しばらく沈黙した。周囲の兵たちが、その様子を、困惑した表情で見つめていた。誰も、この不自然な静寂を、どう捉えていいか分からずにいるようだった。
「ザラ、いつまで手こずってる。さっさと片をつけろ」
先頭の男が、苛立ちを露わにして叫んだ。ザラは、その声に、一瞬、びくりと肩を震わせた。
「――もういい」
ザラは、小さく、けれど確かに、そう呟いた。
「もう、いい」
ザラは、武器を下ろした。周囲の兵たちが、驚きの声を上げた。
「ザラ、何を」
先頭の男の問いに、ザラは、静かに答えた。
「この戦い、これ以上続ける意味が、俺には見出せない」
ザラの言葉に、あたしたちは、息を呑んだ。
「命令違反だぞ」
男の警告に、ザラは、僅かに笑った。自嘲めいた、けれど、どこか清々しい笑みだった。
「かもな。だが、こいつらを見てると、自分が、何のために戦ってるのか、分からなくなってきた」
ザラは、遠くを見るような目で、あたしたちを、一人ずつ見つめていった。トト、ヴァレナ、セシル、そしてアルド。誰もが、真剣な表情で、彼女の言葉を、静かに受け止めていた。
ザラの言葉に、あたしの胸に、熱いものがこみ上げてきた。
「ザラさん」
あたしが呼びかけると、ザラは、こちらに視線を向けた。その目には、これまでの戦いでは見せたことのない、穏やかな色が浮かんでいた。
「お前たちの絆とやら、少しだけ、信じてみる気になった」
ザラの言葉に、あたしたちは、それぞれ驚きと共に、深い感動を覚えた。これまで、幾度となく対峙してきた彼女の口から、こんな言葉が出てくるとは、誰も予想していなかった。
「あなたの中の問題、いつか、話してくれる日が来ますか」
あたしが尋ねると、ザラは、少し考えてから答えた。
「いつか、な。今は、まだ言えない」
ザラの言葉に、あたしは頷いた。無理に急かすつもりは、あたしにはなかった。人が心を開くには、それぞれの時間が必要なのだと、この旅を通じて、あたしは学んでいた。
「今日のところは、退く。だが、これで全部終わったわけじゃない。俺の中の問題は、まだ、何一つ片付いていない」
ザラは、そう言い残すと、踵を返した。
「待て、ザラ」
先頭の男が、慌てて呼び止めようとした。それでも、ザラの足は、止まらなかった。
「勝手にしろ。ただし、この件は、上に報告する」
男の脅しに、ザラは、振り返ることなく答えた。
「好きにしろ。俺は、俺の意志で決めた」
ザラの声には、これまでにない、確かな強さが宿っていた。命令に従うだけの日々から、自分の意志で選び取る一歩へ。その変化は、傍から見ていたあたしにも、はっきりと伝わってきた。
ザラの背中が、路地の闇へと、静かに消えていった。その後ろ姿には、これまでのような、隙のない鋭さとは違う、どこか肩の力が抜けたような雰囲気があった。あたしたちは、しばらく、その場に立ち尽くしていた。誰も、すぐには言葉を発することができなかった。
「終わった、のかな」
トトが、恐る恐る呟いた。あたしたちを取り囲んでいた兵たちも、統率を失ったように、次第に散り散りになっていった。指揮官であるザラが戦線を離脱したことで、彼らの士気は、明らかに揺らいでいた。指揮官不在のまま消耗戦を続けるのは得策ではないと踏んだのか、先頭の男も、忌々しげに舌打ちをすると、部下たちに撤退の合図を出し、足早にその場を去っていった。あたしたちは、その後ろ姿を、しばらく無言で見送っていた。
「うん、今日のところは」
あたしの言葉に、みんなが、深く安堵の息を吐いた。
「大丈夫、みんな怪我は」
あたしが尋ねると、それぞれ、擦り傷や打ち身はあるものの、大きな怪我はないようだった。
「トト、無茶したね。でも、ありがとう」
あたしの言葉に、トトは、照れくさそうに笑った。
「みんなを守りたかったから。それだけです」
トトの言葉に、あたしたちは、温かい笑みを交わした。アルドも、静かに、その様子を見守っていた。
「今回の件、俺の予想を、遥かに超える展開だったな」
アルドの呟きに、あたしは頷いた。
「うん。まさか、ザラさんが、あんな風に退いてくれるなんて」
あたしの言葉に、セシルも、感慨深そうに頷いた。
「これで、全部が解決したわけじゃないけど、確かな一歩だと思う」
セシルの言葉に、あたしたちは、それぞれ頷いた。それでも、あたしの心には、ザラが最後に見せた、あの穏やかな表情が、強く焼き付いて離れなかった。彼女の中で、何かが確かに変わり始めている。そんな予感が、あたしの胸に、静かに広がっていた。
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