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チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
8章 借りぬ力、通じぬ壁

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(72)絆の力

ザラが、一歩を踏み出した。その足取りには、これまでの彼女らしい、迷いのない鋭さがあった。それでも、あたしには、その奥に、確かな葛藤が潜んでいるように感じられてならなかった。あたしたちは、それぞれの得物を構え、緊張の中、向き合った。周囲を取り囲む兵士たちも、固唾を呑んで、この対峙を見守っていた。


「行くぞ」


ザラの声と共に、彼女の姿が、あたしの目の前から、一瞬、掻き消えた。あたしは、辛うじて、その一撃を受け止めた。腕に走る重い衝撃に、思わず奥歯を噛み締めた。


「くっ」


「まだまだ」


ザラの連撃が、間断なく続いた。結界の影響で、力を出し切れないあたしは、防戦一方になりながらも、なんとか持ちこたえていた。一撃一撃が、これまで対峙してきたどの敵よりも重く、鋭かった。それでも、これまでの旅で培ってきた機転と経験が、あたしを、辛うじて支えていた。


「リク、援護する」


ヴァレナが、ザラの側面に回り込み、攻撃を仕掛けた。ザラは、それを難なく躱しながら、あたしとヴァレナ、両方に対応してみせた。


「セシル、道具を」


あたしの指示に、セシルが、目眩ましの道具を投げた。ザラは、それを察知し、素早く後方に跳んで躱した。


「小賢しい真似を」


ザラの言葉には、苛立ちが滲んでいた。それでも、彼女の動きには、これまでの戦いにはなかった、僅かな迷いが見え隠れしていた。踏み込みの深さ、剣を振るう速さ。どれをとっても、以前対峙した時よりも、僅かに鈍っているように、あたしには感じられた。


「アルドさん、お願い」


あたしの言葉に、アルドが、杖を掲げた。彼の魔力が、結界の負荷を操作し、あたしの中に、確かな力の高まりをもたらした。


「今なら」


あたしは、渾身の一撃を、ザラに向けて放った。全身の力を込めたその一撃は、これまでの戦いの中でも、最も重いものだった。ザラは、それを紙一重で受け止めながらも、僅かに体勢を崩した。


「お前たち、いつからそんなに息が合うようになった」


ザラが、悔しさを滲ませながら呟いた。


「みんなで、ずっと旅をしてきたから」


あたしの答えに、ザラは、僅かに動きを止めた。


「その絆とやらが、そんなに強いものか」


ザラの問いに、トトが、真剣な表情で答えた。


「はい。みんなで支え合ってきたから、僕は、ここまで来られました。最初は、本当に何もできなかった。でも、みんなが、諦めずに待っていてくれたから、少しずつ、強くなれたんです」


トトの言葉に、ザラは、しばらく無言だった。その目には、これまで見せたことのない、複雑な感情が浮かんでいた。


「一人じゃ、無理でした。でも、一人じゃないから、ここまで来られた。それだけです」


トトの言葉が続いた。彼の声には、以前の頼りなさは、もう欠片も残っていなかった。


「羨ましい、とでも言うと思ったか」


ザラは、そう言うと、再び武器を構えた。それでも、その動きには、明らかな迷いが滲んでいた。


「一人で背負い込む必要、ないんです」


あたしの言葉に、ザラは、大きく目を見開いた。


「――お前に、何が分かる」


ザラの声は、これまでになく、震えていた。


「分からないかもしれません。でも、あなたが、独りで何かを守ろうとしてきたことだけは、伝わってきます」


あたしは、真っ直ぐに、ザラを見つめながら続けた。


「フェンさんを助けた時も、本当は、無理をして見逃してくれたんじゃないですか。あなたの中に、何か迷いがあったからこそ」


あたしの言葉に、ザラは、しばらく沈黙した。周囲の兵たちが、その様子を、困惑した表情で見つめていた。誰も、この不自然な静寂を、どう捉えていいか分からずにいるようだった。


「ザラ、いつまで手こずってる。さっさと片をつけろ」


先頭の男が、苛立ちを露わにして叫んだ。ザラは、その声に、一瞬、びくりと肩を震わせた。


「――もういい」


ザラは、小さく、けれど確かに、そう呟いた。


「もう、いい」


ザラは、武器を下ろした。周囲の兵たちが、驚きの声を上げた。


「ザラ、何を」


先頭の男の問いに、ザラは、静かに答えた。


「この戦い、これ以上続ける意味が、俺には見出せない」


ザラの言葉に、あたしたちは、息を呑んだ。


「命令違反だぞ」


男の警告に、ザラは、僅かに笑った。自嘲めいた、けれど、どこか清々しい笑みだった。


「かもな。だが、こいつらを見てると、自分が、何のために戦ってるのか、分からなくなってきた」


ザラは、遠くを見るような目で、あたしたちを、一人ずつ見つめていった。トト、ヴァレナ、セシル、そしてアルド。誰もが、真剣な表情で、彼女の言葉を、静かに受け止めていた。


ザラの言葉に、あたしの胸に、熱いものがこみ上げてきた。


「ザラさん」


あたしが呼びかけると、ザラは、こちらに視線を向けた。その目には、これまでの戦いでは見せたことのない、穏やかな色が浮かんでいた。


「お前たちの絆とやら、少しだけ、信じてみる気になった」


ザラの言葉に、あたしたちは、それぞれ驚きと共に、深い感動を覚えた。これまで、幾度となく対峙してきた彼女の口から、こんな言葉が出てくるとは、誰も予想していなかった。


「あなたの中の問題、いつか、話してくれる日が来ますか」


あたしが尋ねると、ザラは、少し考えてから答えた。


「いつか、な。今は、まだ言えない」


ザラの言葉に、あたしは頷いた。無理に急かすつもりは、あたしにはなかった。人が心を開くには、それぞれの時間が必要なのだと、この旅を通じて、あたしは学んでいた。


「今日のところは、退く。だが、これで全部終わったわけじゃない。俺の中の問題は、まだ、何一つ片付いていない」


ザラは、そう言い残すと、踵を返した。


「待て、ザラ」


先頭の男が、慌てて呼び止めようとした。それでも、ザラの足は、止まらなかった。


「勝手にしろ。ただし、この件は、上に報告する」


男の脅しに、ザラは、振り返ることなく答えた。


「好きにしろ。俺は、俺の意志で決めた」


ザラの声には、これまでにない、確かな強さが宿っていた。命令に従うだけの日々から、自分の意志で選び取る一歩へ。その変化は、傍から見ていたあたしにも、はっきりと伝わってきた。


ザラの背中が、路地の闇へと、静かに消えていった。その後ろ姿には、これまでのような、隙のない鋭さとは違う、どこか肩の力が抜けたような雰囲気があった。あたしたちは、しばらく、その場に立ち尽くしていた。誰も、すぐには言葉を発することができなかった。


「終わった、のかな」


トトが、恐る恐る呟いた。あたしたちを取り囲んでいた兵たちも、統率を失ったように、次第に散り散りになっていった。指揮官であるザラが戦線を離脱したことで、彼らの士気は、明らかに揺らいでいた。指揮官不在のまま消耗戦を続けるのは得策ではないと踏んだのか、先頭の男も、忌々しげに舌打ちをすると、部下たちに撤退の合図を出し、足早にその場を去っていった。あたしたちは、その後ろ姿を、しばらく無言で見送っていた。


「うん、今日のところは」


あたしの言葉に、みんなが、深く安堵の息を吐いた。


「大丈夫、みんな怪我は」


あたしが尋ねると、それぞれ、擦り傷や打ち身はあるものの、大きな怪我はないようだった。


「トト、無茶したね。でも、ありがとう」


あたしの言葉に、トトは、照れくさそうに笑った。


「みんなを守りたかったから。それだけです」


トトの言葉に、あたしたちは、温かい笑みを交わした。アルドも、静かに、その様子を見守っていた。


「今回の件、俺の予想を、遥かに超える展開だったな」


アルドの呟きに、あたしは頷いた。


「うん。まさか、ザラさんが、あんな風に退いてくれるなんて」


あたしの言葉に、セシルも、感慨深そうに頷いた。


「これで、全部が解決したわけじゃないけど、確かな一歩だと思う」


セシルの言葉に、あたしたちは、それぞれ頷いた。それでも、あたしの心には、ザラが最後に見せた、あの穏やかな表情が、強く焼き付いて離れなかった。彼女の中で、何かが確かに変わり始めている。そんな予感が、あたしの胸に、静かに広がっていた。

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