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チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
8章 借りぬ力、通じぬ壁

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(70)包囲網の中で

一団の一人が、最初に踏み込んできた。鋭い斬撃が、空気を切り裂く音と共に、あたしへと迫った。あたしは、その一撃を、辛うじて躱した。結界の影響で、いつもの力が発揮できないもどかしさが、あたしの動きを、僅かに鈍らせていた。焦りを押し殺しながら、あたしは、次の攻撃に備え、姿勢を低くした。呼吸を乱さないよう、意識だけは、研ぎ澄ませておく。


「リク、後ろ」


セシルの警告に、あたしは咄嗟に身をかわした。別の一人が、背後から斬りかかってきていた。刃が、あたしの服の袖を、僅かに掠めていった。


「危ない」


トトの声と共に、彼が、あたしの盾になるように、前に出た。以前の彼なら、決してできなかったであろう、咄嗟の判断だった。


「トト、無理しないで」


あたしが叫ぶと、トトは、短剣で敵の一撃を受け止めながら、歯を食いしばった。その両腕は、僅かに震えていたけれど、彼の目からは、逃げようとする気配は、微塵も感じられなかった。


「そこを退け、役立たずが」


斬りかかってきた男が、忌々しげにそう吐き捨てた。その言葉が耳に触れた瞬間、トトの腰の短刀――鳥を象った意匠の柄が、微かに、青白い光を帯びた。


「な……」


男の一撃が、見えない壁に阻まれたかのように、不自然に逸れた。


「今の、何」


ヴァレナが、目を見開いて呟いた。トト自身も、自分の身に何が起きたのか分からない様子で、震える手のひらを見つめていた。


「分からない。でも、体が、勝手に」


トトの声は、戸惑いに満ちていた。(今の……あの人の言葉が、引き金だったのかな)心の中で呟いたその疑問に、トト自身、まだ答えを見つけられずにいた。それでも、その一瞬の力が生んだ隙は、確かに、あたしたちに、僅かな猶予を与えてくれていた。


「大丈夫、まだいけます」


トトの声には、以前にはなかった、確かな強さが宿っていた。震えていた頃の彼の姿は、もうそこにはなかった。それでも、多勢に無勢の状況は、あたしたちにとって、圧倒的に不利だった。敵は、あたしたちの動きを見切ったように、少しずつ、確実に間合いを詰めてきていた。


「囲まれてる」


ヴァレナが、鋭く周囲を見渡しながら告げた。四方から迫る敵の数は、あたしたちよりも遥かに多かった。


「セシル、援護を」


あたしの言葉に、セシルは、手元の道具を駆使して、敵の足元に、目眩ましの粉を撒いた。彼女がこれまでの旅で集めてきた、様々な道具の一つだった。こうした細やかな備えが、何度もあたしたちの窮地を救ってきた。


「今のうちに」


セシルの機転で、視界を奪われた敵の数人が、僅かに動きを乱した。あたしたちは、その隙を突いて、態勢を立て直そうとした。それでも、敵は、すぐに体勢を戻し、再び包囲を狭めてきた。組織立った動きは、これまで対峙してきたどの敵よりも、隙が少なかった。一人一人の実力もさることながら、連携の巧みさが、あたしたちを、着実に追い詰めていった。


「思ったより、しぶといな」


先頭の男が、苛立たしげに呟いた。その声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。予想以上に手こずっているという事実が、あたしたちにとって、僅かな希望の材料になった。


「これでも、色々な修羅場をくぐってきましたから」


あたしが強がって答えると、男は、僅かに眉をひそめた。実際には、内心、余裕など少しもなかった。それでも、弱気な素振りを見せれば、その隙を、相手に突かれかねなかった。


「減らず口を」


男の言葉と共に、追撃が再開された。あたしたちは、体力を削られながらも、必死に持ちこたえていた。汗が額を伝い、息は、次第に荒くなっていった。剣を受け止めるたびに、腕に走る痺れが、少しずつ、あたしの体力を蝕んでいくのが分かった。それでも、ここで倒れるわけにはいかない。仲間たちの姿を横目に、あたしは、必死に自分を奮い立たせていた。


「このままじゃ、まずい」


ヴァレナが、小声で呟いた。あたしも、同じ危機感を抱いていた。数の差は、時間が経つほどに、あたしたちに不利に働いていく。長期戦になればなるほど、体力を消耗するのは、あたしたちの方だった。


限界が、少しずつ近づいているのを、あたしは感じていた。腕は重く、視界は、汗で滲んでいた。それでも、諦めるという選択肢は、あたしの中には存在しなかった。その時、路地の入り口から、新たな足音が近づいてきた。あたしたちの間に、更なる緊張が走った。


「まだ、増えるのか」


トトが、絶望的な声を漏らした。


けれど、現れたのは、追っ手の仲間ではなかった。


「悪いな、遅くなった」


聞き覚えのある声に、あたしは、思わず顔を上げた。そこに立っていたのは、息を切らしたアルドだった。


「アルドさん、どうして」


あたしが驚いて尋ねると、アルドは、杖を構えながら答えた。


「王都に着いたら、すぐに連絡すると言っていただろう。それがないから、嫌な予感がして、後を追ってきた」


「検問所の方は、大丈夫なんですか」


あたしが尋ねると、アルドは、少し気まずそうに笑った。


「臨時で、代理を立ててきた。今回ばかりは、それだけの理由があると思ってな」


アルドの説明に、あたしは、思わず苦笑した。彼の勘の鋭さには、いつも助けられてばかりだった。


「お前たちが、心配で追いかけてきた。案の定、こんなことになってるとはな、まったく」


アルドの言葉に、あたしは、安堵と共に、深い感謝の念を覚えた。この危機的な状況の中、彼の姿を見た瞬間、張り詰めていた緊張が、僅かにほぐれていくのを感じた。


「加勢する」


アルドが、杖を掲げると、周囲の空気が、僅かに変化していくのを感じた。彼の魔力が、あたしたちの周りに、僅かな守りの気配を作り出していく。敵の一人が、その気配に反応し、僅かに動きを止めた。


「これで、多少は楽になるはずだ」


アルドの言葉に、あたしは頷いた。それでも、敵の数は、依然として、あたしたちを大きく上回っていた。一人が加わったところで、劇的に形勢が変わるわけではない。それでも、たった一人の合流が、あたしたちの士気を、大きく押し上げてくれていた。


「油断はできない。まだ、これからだ」


セシルの言葉に、あたしたちは、気を引き締め直した。アルドの合流によって、僅かながらも希望の光が差し込んだ。それでも、この窮地を完全に脱するには、まだ多くの困難が、あたしたちの前に立ちはだかっていた。


先頭の男が、アルドの姿を見て、僅かに表情を変えた。


「結界管理者が、なぜここに」


男の問いに、アルドは、皮肉めいた笑みを浮かべた。


「俺の管轄内で、面倒事が起きてるようだったのでな。見過ごせなかった」


アルドの言葉に、男は、舌打ちした。


「余計な邪魔をしてくれる」


男の苛立ちに、あたしは、微かな希望を感じた。アルドの存在が、相手にとって、確かな脅威になっているという証だった。


「まだまだ、これから」


あたしは、改めて得物を構え直した。仲間たちの表情にも、僅かながら、力強さが戻ってきているのが分かった。


「みんな、行くよ」


あたしの号令に、ヴァレナとトトが、それぞれ頷いた。セシルも、次の一手を探るように、鋭い視線を、敵の隊列に向けていた。この窮地を、必ず乗り越える。その決意を胸に、あたしたちは、目の前の敵と、改めて向き合った。


入り乱れた白兵戦の中、一人の男が、体勢を崩して倒れ込んだ。懐から、書類の束が、地面に散らばる。


「これは」


アルドが、素早くそれを拾い上げた。中身を検める余裕はなかったけれど、彼は、それを丁寧に懐へとしまい込んだ。


「あとで、ゆっくり検めよう」


アルドの言葉に、あたしは頷いた。少しずつ、敵の勢いが鈍り始めているのが感じられた。


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