(69)追跡者
日が暮れてから、あたしたちは、態勢を立て直し、先ほどとは別の、荷物の搬入に使われる通用口を目指した。
「本当に、これでいけると思う」
ヴァレナの、緊張した問いに、トトは、深呼吸を一つしてから、しっかりと頷いた。
「やってみる」
通用口には、一人の見張りが立っていた。トトが、意を決したように、一歩前へ進み出る。
「――ご苦労様です」
トトが、日中に聞いた通りの抑揚で、声をかけた。見張りは、一瞬、トトの顔を訝しげに見たものの、すぐに、いつも通りの合言葉を口にした。
「……で、応えは」
トトが、寸分違わぬ調子で、続きの文句を返す。あたしは、傍らで、息を止めて見守っていた。
見張りは、僅かに眉をひそめたものの、興味を失ったように、視線を逸らした。
「新入りか。まあいい、手早く済ませろ」
その一言で、あたしたちは、通用口を通り抜けることを許された。倉庫の裏手に回り込むと、先ほどとは違う角度から、木箱の並びを、間近に見ることができた。積まれた木箱の一つに、大きく紋章が刻まれているのが、はっきりと見えた。
「あれ」
セシルが、手帳の記述と見比べながら、小さく声を上げた。
「間違いない。特別会計局の帳簿にあった紋章と、一致してる」
セシルの言葉に、あたしたちは、確かな手応えを覚えた。今度こそ、疑いようのない証拠を、この目で確かめることができた。トトの機転がなければ、この証拠には、決して辿り着けなかった。
ふと、セシルの視線が、倉庫の壁の片隅に留まった。目立たないよう刻まれた小さな紋章が、一瞬、赤い光を帯びたように見えた。
「……まずい。誰かに、侵入を気づかれたかもしれない」
セシルの声が、僅かに強張った。仕組みまでは分からないが、こういう警戒の印には見覚えがあるのだと、セシルは、早口で説明した。
「十分だ、戻ろう」
あたしの合図で、あたしたちは、来た道を、慎重に引き返した。
倉庫街を離れ、しばらく歩いたところで、あたしたちは、路地裏の物陰で一息ついた。全速力で駆けてきたわけではなかったが、緊張の連続で、それぞれの息は、僅かに乱れていた。人通りのある通りに出たことで、ようやく、張り詰めていた気持ちが、少しだけほぐれていくのを感じた。
汗を拭いながら、あたしは、木箱に刻まれていた紋章を、改めて思い返していた。あの数の武器が、一体何に使われようとしているのか。想像するだけで、背筋に冷たいものが走った。
「これで、確かな証拠が手に入った」
セシルの言葉に、あたしは頷いた。
「うん。この情報、早くアルドさんに伝えないと。近くにいてくれるといいけど」
あたしの提案に、みんなが頷いた。それぞれの表情に、確かな達成感が浮かんでいた。
「あとは、これをどこに、どう伝えるかだね」
セシルの言葉に、あたしは考え込んだ。
「王都の役人に訴えても、信じてもらえるとは限らない。相手は、国家の一部かもしれない組織だから」
あたしの懸念に、みんなは、重い表情で頷いた。真実を摑んだとしても、それをどう活かすかという、新たな課題が、あたしたちの前に立ちはだかっていた。想像を超えた何かを前に、一介の旅人でしかないあたしたちが、一体どこまで対抗できるのか。その不安は、証拠を手にした喜びと同じくらい、あたしの胸に重くのしかかっていた。
その時、背後の路地から、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。あたしたちは、思わず身構えた。先ほどまでの安堵の空気が、一瞬にして凍りついた。
「誰?」
ヴァレナが、鋭く問いかけた。あたしたちは、素早く身構え、背後を振り返った。物陰から現れたのは、見覚えのない、統率の取れた動きをする一団だった。彼らは皆、統一された装備を身につけ、隙のない構えを取っていた。その動きの一つ一つには、これまで対峙してきたどの相手とも違う、明らかな組織立った規律が感じられた。
「例の倉庫に、不審な人影があったと報告を受けている。お前たちだな」
一団の先頭に立つ男が、冷ややかな声で告げた。その口調には、有無を言わせない、確かな威圧感があった。あたしたちが窓を覗いてから、それほど時間は経っていない。それにもかかわらず、既にこうして追っ手が組織されているという事実に、あたしは、相手の情報網の速さを、改めて思い知らされた。トトが言っていた、あの倉庫の異様な空気を思い出す。もし、あの結界のような仕掛けが、侵入そのものを感知する仕組みも兼ねていたのだとしたら――この異様な速さにも、説明がつく。
「あたしたちは、ただの旅人です」
あたしが、努めて平静を装って答えると、男は、鼻で笑った。その目には、あたしたちの言葉を、微塵も信じていない色がはっきりと浮かんでいた。
「その言い訳が通用すると、本気で思っているのか」
男の言葉に、あたしたちは、緊張を隠せなかった。相手の数は、あたしたちより多く、その動きからは、相当な訓練を積んでいることが窺えた。これまで対峙してきたザラのような、単独の実力者とは違う、組織的な連携を前提とした戦い方をしてくるであろうことが、その立ち姿だけで、はっきりと伝わってきた。
「逃げよう」
セシルの小声の指示に、あたしたちは頷いた。
「待て」
男の号令と共に、一団が、一斉に動き出した。あたしたちは、路地の奥へと、全力で走り出した。
「こっち」
ヴァレナが先導し、あたしたちは、入り組んだ路地を、必死に駆け抜けた。背後から、追っ手の足音が、絶え間なく迫ってくる。息が上がり、視界の端が、僅かに霞んでいくのを感じながらも、あたしは、足を止めるわけにはいかなかった。
「王都の地理、あんまり詳しくない」
トトが、息を切らしながら呟いた。
「あたしも、正直、心許ない」
セシルの言葉に、あたしは焦りを感じた。慣れない土地での追跡劇は、これまでの旅とは、違う種類の危険を伴っていた。ライネスの町であれば、既に把握している裏道や隠れ場所がいくつもあった。けれど、この王都では、そうした土地勘が、まるで通用しなかった。
「あっちに、路地が続いてる」
ヴァレナが、走りながら叫んだ。あたしたちは、彼女の判断を信じて、示された方向へと足を向けた。石畳を蹴る足音と、荒くなる息遣いが、狭い路地に反響していた。
路地を曲がった先、行き止まりに突き当たった。
「まずい」
あたしが振り返ると、追っ手が、迫ってきていた。
「あたしが、時間を稼ぐ」
ヴァレナが、得物を構えた。
「駄目、一緒に戦おう」
あたしの言葉に、ヴァレナは、僅かに躊躇ったものの、頷いた。これまでの旅で、何度も、仲間だけに危険を背負わせることの辛さを、あたしたちは、共に学んできた。だからこそ、今度は、誰か一人だけを犠牲にするような選択は、絶対にしたくなかった。
「分かった。でも、無理はしないで」
ヴァレナの言葉に、あたしは頷いた。追っ手たちが、じりじりと、包囲を狭めてくる。緊迫した空気の中、あたしたちは、それぞれの得物を構え、迎え撃つ姿勢を取った。
「投降しろ。抵抗するなら、力ずくで捕らえる」
先頭の男が、そう告げた。
「あたしたちは、何も悪いことはしていません」
あたしの反論に、男は、冷たい笑みを浮かべた。
「それを判断するのは、俺たちじゃない」
男の言葉と共に、一団が、じりじりと距離を詰めてきた。緊張が、あたしたちの間に、張り詰めていった。
「セシル、逃げ道は」
あたしが小声で尋ねると、セシルは、素早く周囲を見渡した。
「ない。完全に囲まれてる」
セシルの答えに、あたしの背筋を、冷たいものが走った。四方を高い壁に囲まれた行き止まり。逃げ場は、どこにもなかった。
「トト、あたしの後ろに」
あたしの指示に、トトは、緊張した面持ちで頷いた。ヴァレナが、あたしの隣に並び、得物を構えた。
「やるしかない、みたいだね」
ヴァレナの言葉に、あたしは頷いた。相手の数は、あたしたちの倍近い。それでも、ここで捕まるわけにはいかなかった。この場所で摑んだ証拠を、必ず、アルドたちのもとへ持ち帰らなければならない。その一心で、あたしは、震えそうになる手に、力を込めた。
「来るなら、相手になる」
あたしが構えを取ると、先頭の男が、僅かに眉を上げた。
「威勢がいいな。だが、勝ち目はない」
男の言葉と共に、一団が、一斉に武器を構えた。この行き止まりの路地で、初めての本格的な戦闘が、今まさに始まろうとしていた。
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