(61)帳簿の秘密
「あった」
セシルが、棚の奥から、分厚い帳簿を引き出した。表紙には、判読しづらい紋章と共に、貸し手という文字が、小さく刻まれている。
探偵小説の主人公にでもなった気分だったのも束の間、埃っぽい匂いに、盛大なくしゃみが出た。台詞帳に書くには、いささか格好のつかない登場の仕方だった。
「開けてみよう」
あたしたちは、薄暗い明かりを頼りに、ページをめくり始めた。細かい数字と、暗号めいた記号が、びっしりと書き込まれている。紙の擦れる音だけが、静まり返った資料庫に、微かに響いていた。
「これ、何の記録だろう」
あたしが尋ねると、セシルは、真剣な表情でページを追いながら答えた。
「多分、資金の流れの記録。金融組合を隠れ蓑にして、何か大きな取引をしてるみたい」
セシルの分析に、あたしは息を呑んだ。
「貸し手の正体、書いてない?」
「探してみる」
セシルは、慎重にページをめくり続けた。しばらくして、ある一ページで、彼女の手が止まった。
「これ……」
セシルの声が、僅かに震えていた。あたしは、そのページを覗き込んだ。そこには、貸し手という名の下に、いくつかの取引記録と共に、一つの組織名が記されていた。
「魔導評議国の、特別会計局……」
あたしが、その文字を読み上げると、セシルは、険しい表情で頷いた。手帳を持つ手が、僅かに震えていた。
「貸し手は、個人じゃなく、魔導評議国の組織の一部かもしれない」
セシルの推測に、あたしは背筋が冷たくなるのを感じた。想像していたよりも、遥かに大きな相手を、あたしたちは敵に回そうとしているのかもしれなかった。一つの町の裏事情どころではない、もっと大きな何かが、その裏に潜んでいるように思えた。
「これ、持ち出せる?」
あたしが小声で尋ねると、セシルは、慎重に考え込んだ。
あたしが尋ねると、セシルは、慎重に頷いた。この帳簿全体の重要性を、彼女は瞬時に理解しているようだった。
「一部だけ、書き写す。全部持ち出すのは、目立ちすぎる」
セシルは、手早く、重要そうな箇所を、手帳に書き写し始めた。その手つきは、緊張しながらも、驚くほど正確だった。時間との勝負であることを、彼女自身が誰よりも理解していた。
その時、廊下の方から、足音が近づいてくるのが聞こえた。
「誰か来る」
あたしが小声で告げると、セシルは、素早く帳簿を棚に戻した。
「隠れよう」
あたしたちは、棚の陰に身を潜めた。足音は、資料庫の扉の前で止まった。
「妙だな、鍵が」
低い声が、そう呟いた。あたしは、息を殺しながら、その声の主を見つめた。暗がりの中に浮かび上がったのは、見覚えのある鋭い眼光――ザラ・ヴィントだった。
「またお前たちか」
ザラの声に、あたしたちは、思わず身構えた。まさか、こんなに早く見つかるとは、想定していなかった。
「隠れても無駄だ。もう、気配で分かってる」
ザラの言葉に、あたしたちは、覚悟を決めて、物陰から出た。隠れ続けても、状況が好転するとは思えなかった。
「どうやって、あたしたちがここにいるって」
あたしが尋ねると、ザラは、口の端を歪めて笑った。
「勘だ。お前たちの考えそうなことくらい、大体予想がつく」
ザラの言葉に、あたしは唇を噛んだ。慎重に行動していたつもりでも、相手はさらに一枚上手だった。
「今日は、見逃してやらない」
ザラが、武器を構えた。あたしたちは、緊張しながらも、脱出の機会を、慎重に見極めようとしていた。焦って動けば、命取りになりかねなかった。まだ見ぬ貸し手の正体に、確かに一歩近づいた代償として、いよいよ、避けられない戦いが、再び始まろうとしていた。
「セシル、逃げ道は」
小声で尋ねると、セシルは、周囲を素早く見渡した。
「搬入口。距離はあるけど、他に道はない」
セシルの答えに、あたしは頷いた。距離のある逃走経路だったが、それ以外に選択肢はなかった。
「あたしが、時間を稼ぐ。セシルは、先に逃げて」
「駄目。一人にはさせない」
セシルの声には、これまでにない、強い意志があった。
「でも」
「一緒に行く方法を考えよう。あんただけを危険な目に遭わせるわけにはいかない」
セシルの言葉に、あたしは頷いた。仲間を置いて、自分だけ無事でいるという選択肢は、あたしにもなかった。ここまで、共に歩んできた仲間だからこそ、簡単には手放せなかった。
「棚を倒して、道を塞ぐ」
セシルの提案に、あたしは頷いた。二人で近くの棚に手をかけ、力を込めて押し倒す。大きな音とともに、棚が、ザラと自分たちの間に、大きな障害物を作った。
「今のうちに」
あたしたちは、搬入口へと向かって、全力で走り出した。背後から、ザラの舌打ちと、棚をかき分ける音が聞こえてくる。
「待て」
ザラの声が、追ってきた。あたしたちは、息を切らしながら、薄暗い廊下を駆け抜けた。搬入口の扉が見えてきた瞬間、あたしは、僅かな希望を感じた。
扉を押し開けると、外の冷たい夜気が、あたしたちを迎えた。振り返ると、ザラが、既に棚の障害物を突破し、追いついてきていた。
「セシル、先に行って」
「駄目だって言ったでしょ」
「今度は違う。あたしが食い止めるから、外の見張りに助けを呼んで」
あたしの言葉に、セシルは、一瞬躊躇ったけれど、やがて頷いた。時間がないことは、彼女にも分かっていた。
「分かった。絶対に、無茶しないで」
「うん、約束する」
セシルが、外へと駆け出していく。あたしは、ザラと正面から向き合った。
「今度は、逃がさないぞ」
ザラが、武器を構え直した。あたしも、得物を構え、迎え撃つ姿勢を取った。手のひらに、じんわりと汗が滲んだ。この結界の中で、あたしの力がどこまで通用するのか、まだ分からない。それでも、仲間を逃がすまでは、決して退くわけにはいかなかった。
ザラの一撃が、鋭く振り下ろされた。あたしは、それを紙一重で躱しながら、反撃の機会を、慎重に窺った。
「前より、少しは動けるようになったな」
ザラの言葉に、あたしは奥歯を噛み締めた。それでも、恐怖に支配されるわけにはいかなかった。
「まだまだ、これから」
あたしは、姿勢を低くし、次の攻防に備えた。息を整え、意識を集中させる。遠くから、セシルの呼ぶ声と、駆けつける足音が、微かに聞こえてくる。あと少し、持ちこたえれば、仲間たちが助けに来てくれる。その確信だけを頼りに、あたしは、ザラとの攻防を、必死に続けていた。
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