↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
1章 チキンナイフ、誕生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/96

(6)置いていく

それから三日、旅は平和だった。トトはついてくる、とも、ついてこない、とも言わなかった。ただ黙って、三人の少し後ろを歩き続けている。それでいいと思う。急かす理由はない。


途中の宿場で、気になる噂を耳にした。「置いていく」しか言わない賞金稼ぎが、ここ最近この街道筋を流していると、酒場の親父が声を落として教えてくれた。逃げ切った者がいない、という尾ひれまでついている。あたしは、話半分に聞き流した。噂話というのは、大抵の場合、実物より恐ろしく育つものだ。今までも、似たような話は何度も聞いてきたし、そのたびに、たいしたことはなかった。


「気にならない?」


セシルが手帳に何か書きつけながら聞いてくる。


「気にならないと言ったら嘘になる。でも、今は気にしないことにする」


「その使い分け、便利だね」


「便利なだけが取り柄だから」


街道は、代わり映えのない景色が続いた。左右に広がる乾いた草原、時々すれ違う荷馬車、遠くに見える山の稜線。退屈といえば退屈だけど、退屈な旅ほどありがたいものはない。追われていない三日間が、こんなに贅沢に感じるとは思わなかった。


「今日はよく歩いたね」


ヴァレナが伸びをしながら言う。トトは黙って頷いた。口数は少ないけど、表情は最初の頃よりずっと柔らかくなっている。


「あっち、誰か来る」


トトが、街道の先を指差して、ぽつりと呟いた。目を凝らしても、あたしにはまだ何も見えない。気のせいじゃないかと思いかけた、その数秒後。


四日目の夕方、街道の途中に、女が一人、道を塞ぐように立っていた。


その日は朝から、妙に胸騒ぎがしていた。理由のない予感というやつは、たいてい当たらない。そう自分に言い聞かせながら歩いていたのに、結局今日も当たってしまった。予感の的中率だけは、誰にも負けたくないと思ったことは一度もないのに。


夕暮れの光が長く伸びて、道の先に立つ人影を、実際よりも大きく見せていた。年齢を感じさせない若い女だった。旅装ではない。動きやすさだけを考えたような、飾り気のない外套。手には、何か仕込んでありそうな手袋。得物は背中に一振り、それだけ。冷たい印象の目は、遠目にも分かるくらい、表情をほとんど動かさない。ただ事じゃない空気をまとっていた。


「チキンナイフ」


名前を呼ばれて、足が止まった。呼ばれ方に、嫌な予感がした。あたしの嫌な予感は、だいたい当たる。今まで外れたことがない。統計を取ったら、たぶん九割を超える。


「知り合い?」


セシルが小声で聞いてくる。知り合いじゃない。今日、初めて顔を合わせる相手だ。それでも、誰なのかは分かっていた。手配書にも、宿場の噂にも、何度も出てきた名前。


「ザラ・ヴィント」


名乗るまでもなく、口をついて出た。逃がさない、で有名な賞金稼ぎ。噂の主が、まさか本当に追いついてくるとは思っていなかった。噂って、たいてい大げさに膨らむものだと思っていたのに。これが、あたしとザラの、最初の顔合わせだった。


「話は早い」ザラは表情を変えずに言った。「ついてきてもらう。おとなしく」


「おとなしく、って言葉、あたしの周りだと信用ならないって評判なんすけど」


つい、っす調が出た。相手が初対面の年上だと、体が勝手に敬語混じりになる。ザラは眉一つ動かさなかった。


軽口で流そうとしたのに、ザラは笑わなかった。真顔のまま、じっとこちらを見ている。他の賞金稼ぎなら、ここで軽く舌打ちするなり、面倒くさそうにため息をつくなりする。ザラは何もしない。ただ、見ている。


「冗談で来てるわけじゃない」


低い声だった。今までの追手とは、明らかに温度が違う。今までの相手は、あたしを捕まえたら手柄になる、くらいの温度だった。ザラには、そういう浮ついたところが一切ない。だからこそ、質が悪い。


ヴァレナが得物に手をかける。セシルが、トトを庇うように半歩前に出た。


「置いていく」


ザラの口癖らしい一言。誰を、何を置いていくのか、最後まで言わない。それが逆に不気味だった。荷物を置いていくのか、仲間を置いていくのか、それとも別の何かなのか。聞き返す勇気は、正直なかった。


「悪いけど」あたしは刃の柄に指をかけながら言った。「今日のところは、逃げさせてもらう」


言いながら、内心では思いきり冷や汗をかいていた。強がりというのは、口に出した瞬間だけ効果がある。中身が伴っているかどうかは、また別の話だ。


台詞としては悪くない。台詞帳の候補にはまだ入れないけど、殿堂入り一歩手前くらいの出来だとは思う。


「今の、何点?」


小声でセシルに聞くと、冷めた声が返ってきた。


「状況を考えると、六十点」


「辛口」


「命の危機に点数をつけてる余裕、あたしにはないんだけど」


もっともな指摘だった。今は反論しないでおく。


三人と一人、街道の真ん中で睨み合う。日が沈みかけていた。橙色の光が、ザラの輪郭をやけにくっきりと縁取っている。誰も動かない、動けない、そんな時間が数秒続いた。


風が一つ、街道を吹き抜けた。土埃が舞い上がり、ザラの装束の裾を揺らす。それでも、彼女の視線はぶれなかった。獲物を前にした狩人の目、とはこういう目のことを言うんだろう。あたしはあいにく、狩られる側の経験しかない。


「トト、先に行って」


小さな声で言うと、トトは首を振った。


「嫌だ」


「聞き分けのいい子だと思ってたのに」


「思っただけでしょ、勝手に」


減らず口だけは、ずいぶん達者になってきた。最初に会った頃は、こんなふうに言い返してこなかったのに。成長というものは、こういうところにも表れるらしい。


「あんたも一緒に逃げるよ、トト」


「聞き分けがいいって、さっき言ったばかりじゃん」


「あれは撤回する」


トトが、意外そうな顔でこちらを見た。前言撤回の早さには自信がある。生き延びるためなら、前言くらいいくらでも翻す。


ザラが一歩、こちらに踏み出す。得物の柄に指がかかった。


「逃げ切れるとは思わないことだ。これまでの相手とは違う」


言われなくても分かる。分かるからこそ、頭の中は逃げる算段でいっぱいだった。逃げる算段だけは、誰にも負けない自信がある。褒められた特技じゃないけど、こういうときだけは役に立つ。


「セシル、換算は」


「今の蓄積量だと、全力で動いても五分は保たない。急いで」


五分。短い。短すぎる。あたしの人生、いつもこの手の数字に振り回されている。


それでも、五分あれば十分だ。今まで、それでずっと生き延びてきた。今日も同じでいい。根拠のない自信だと言われればその通りだけど、根拠なんて、あとから積めばいい。


「ヴァレナ」


「分かってる」


言葉少なに、ヴァレナが前に出る。あたしはトトの手を引いた。


「逃げるよ」


日が完全に落ちる前に、あたしたちは街道を外れ、森の中へ走り込んだ。木の根に足を取られそうになりながら、方向も分からないまま、ただ奥へ奥へと進む。


背後で、ザラの声が追いかけてくる。大きくはない。それなのに、やけにはっきりと届いた。


「置いていく」


その一言だけが、いつまでも耳の奥に残った。


走りながら、頭の隅で妙なことを考えていた。あの人は、本当に置いていくつもりなんだろうか。何を。誰を。答えの出ない問いを抱えたまま、あたしたちはただ、前へ前へと進み続けた。息が切れる。足が重い。それでも、止まる理由にはならなかった。


最後までありがとうございました!


楽しんでいただけたら、評価やブックマークを入れてもらえるととても嬉しいです。


反応があると更新速度が上がります(重要)


それでは次回の更新をお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。