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チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
6章 見下ろす魔導士

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(56)夜襲

夜の帳が完全に下りた頃、あたしたちは、それぞれの持ち場についていた。裏手の物陰で、あたしとヴァレナは、見張りの交代を待ちながら、息を潜めていた。


「そろそろ」


ヴァレナの声に、あたしは頷いた。遠くで、正面の方角から、微かな物音が聞こえてくる。セシルとトトが、陽動を開始した合図だった。


「見張りが動いた」


ヴァレナの言葉通り、裏手を守っていた見張りの一人が、正面の様子を確かめるように、足早に移動していった。


「今だ」


セシルの声に合わせて、あたしたちは、素早く裏手の扉へと向かった。鍵は、既に前回の潜入時に、セシルが細工を施していた。


「開いた」


扉をくぐり、あたしたちは、暗い倉庫の中へと足を踏み入れた。前回の記憶を頼りに、迷わずフェンのいる部屋へと進む。


「フェンさん」


小さな部屋の扉を開けると、フェンは、驚いたように顔を上げた。


「お前たち……本当に、来てくれたのか」


「約束しましたから」


あたしがそう言うと、フェンの目に、確かな安堵が浮かんだ。


「歩けますか」


「なんとか。世話になる」


ヴァレナが、フェンの体を支えながら、立ち上がらせた。痩せこけた体は、想像以上に軽かった。


「急ぎましょう」


あたしたちは、来た道を、慎重に引き返し始めた。倉庫の出口が見えてきた、その時だった。


「随分と、大胆な真似をするな」


冷たい声が、闇の中から響いた。振り返ると、そこには、あの鋭い眼光を持つ女――ザラ・ヴィントが、静かに立っていた。


「フェンを、返してもらう」


あたしが、フェンを庇うように前に出ると、ザラは、口の端を僅かに歪めた。


「返す、そちらこそ、何の権利があってそう言う」


「彼を、無理やり閉じ込めてるあなたたちの方が、間違ってる」


あたしの言葉に、ザラは、興味深そうに目を細めた。


「お前が、チキン流の使い手か。検問で反応が出たっていう」


その言葉に、あたしは息を呑んだ。ザラは、既に、あたしのことを把握しているらしい。


「その通りよ。だから、何」


「別に。ただ、貸し手様が、お前に興味を持ってるって話でな」


ザラの言葉に、あたしは背筋が冷たくなるのを感じた。貸し手が、既にあたしのことを認識しているという事実は、これまでの調査の中で、初めて聞く話だった。


「あたしに、何の用があるっていうの」


「さあな。俺は、ただの実働部隊だ。上の考えまでは、知らされていない」


ザラは、そう言うと、武器を構えた。


「悪いが、フェンを連れて帰るわけにはいかない。彼は、まだ利用価値がある」


ザラの宣言に、あたしたちは身構えた。


「フェンさんは、渡さない」


あたしがきっぱりと言うと、ザラは、僅かに笑みを深めた。


「威勢がいいな。だが、今のお前に、俺と渡り合う力があるのか」


その言葉に、あたしは、自分の中に残る、あの検問での違和感を思い出した。この結界の影響下で、あたしの力が、どこまで発揮できるのか。確かな不安があった。


「それでも、退くわけにはいかない」


あたしが構えを取ると、ザラは、少し意外そうな顔をした。


「勝ち目のない戦いに、飛び込むつもりか」


「勝ち目があるかどうかは、やってみないと分からない」


あたしの言葉に、ザラは、小さく笑い声を漏らした。


「面白い。だが」


ザラが、武器を構え直した、その瞬間、遠くで大きな爆発音が響いた。倉庫全体が、僅かに揺れる。


「陽動、成功したみたい」


ヴァレナが、緊張した声で呟いた。ザラの表情に、初めて、僅かな動揺が浮かんだ。


「厄介なことをしてくれる」


ザラが舌打ちした、その隙を突いて、あたしは、フェンとヴァレナに向かって叫んだ。


「今のうちに、逃げて」


「あんたは」


「あたしは、時間を稼ぐ。先に行って」


あたしの言葉に、ヴァレナは一瞬躊躇ったけれど、フェンを支えながら、出口へと走り出した。


「逃がすと思うか」


ザラが、二人を追おうとするのを、あたしは、自分の得物を構えて、その前に立ちはだかった。


「あたしが、相手よ」


ザラは、あたしを値踏みするように見つめてから、不敵に笑った。


「いいだろう。臆病者の剣、とやらを、見せてもらおうか」


ザラの言葉に、あたしは、静かに構えを整えた。まだ見ぬ強敵との、本格的な対峙が、いよいよ始まろうとしていた。この結界の中で、あたしのチキン流が、どこまで通用するのか。その答えは、これから、自らの手で確かめるしかなかった。


ザラが、最初の一撃を放ってきた。素早い踏み込みとともに、鋭い斬撃が、あたしの喉元を狙う。あたしは、辛うじてそれを躱し、後方へと跳んだ。


「速い……」


思わず呟くと、ザラは、口の端を歪めて笑った。


「これで終わりじゃないぞ」


ザラは、休む間もなく、二撃目を繰り出してきた。あたしは、得物でそれを受け止めたけれど、腕に伝わる衝撃は、これまで戦ってきたどの相手よりも重かった。


「くっ」


思わず声が漏れる。いつもなら、逃げた距離に応じて力が漲るはずのチキン流。それが、この結界の影響下では、明らかに、いつもの半分程度しか発揮できていなかった。


「どうした。噂ほどじゃないな」


ザラの挑発に、あたしは奥歯を噛み締めた。それでも、退くわけにはいかなかった。ヴァレナとフェンが逃げ切るまで、この場を持ちこたえなければならない。


「まだ、これから」


あたしは、姿勢を低くし、次の一撃に備えた。力が万全でなくても、これまでの旅で培ってきた、機転と粘り強さがある。単純な力比べだけが、勝負の全てじゃない。


ザラの三撃目が、鋭く振り下ろされた。あたしは、正面から受けるのではなく、体を斜めに逸らして、その勢いを逃がした。


「小賢しい真似を」


ザラの声に、微かな苛立ちが滲んだ。あたしは、その隙を突いて、素早く距離を取った。


「これが、あたしのやり方」


遠くから、ヴァレナとフェンの足音が、次第に遠ざかっていくのが分かった。あと少し、時間を稼げば、二人は確実に逃げ切れる。


「まだまだ、付き合ってもらうぞ」


ザラが、再び間合いを詰めてきた。あたしは、息を整えながら、次の一手を、慎重に見極めようとしていた。


その時、遠くから、アルドの声が響いた。


「結界の負荷、限界に近づいてる。あと少しだけ、持ちこたえろ」


その声に、あたしは、僅かに希望を見出した。結界の負荷が高まれば、あたしの力も、少しずつ本来の状態に戻っていくはずだった。


「アルド……あんたも、こっち側についたのか」


ザラが、忌々しげに舌打ちした。


「そういうことだ。悪いが、お前たちのやり方には、賛同できない」


「小賢しい真似を」


ザラの苛立ちが、次第に色濃くなっていく。あたしは、その隙を逃さず、次の攻撃を仕掛けた。踏み込みは、まだ本調子には程遠かったけれど、確かに、先ほどよりも力が漲るのを感じた。


「効いてきたか」


ザラが、驚いたように目を見開いた。あたしは、その反応を見て、確かな手応えを感じた。


「まだ、終わらない」


あたしは、更に踏み込み、鋭い一撃を放った。ザラは、それを紙一重で躱しながらも、体勢を崩した。


「くっ」


ザラが、初めて、明確な劣勢を見せた瞬間だった。それでも、彼女はすぐに体勢を立て直し、鋭い視線をあたしに向けた。


そういえば、これまでの攻撃は、どれも急所を的確に外していた。


「面白い。だが、今日のところは、ここまでにしておいてやる」


ザラは、そう言うと、素早く後方に跳び退いた。


「逃がさない」


あたしが追おうとすると、ザラは、不敵な笑みを浮かべた。


「無理はするな。これで終わりだと思うなよ」


その言葉を最後に、ザラは、闇の中へと姿を消していった。あたしは、しばらくその場に立ち尽くしていたけれど、やがて、大きく息を吐いた。


「アルド、ありがとう」


倉庫の外に出ると、アルドが、疲れた様子で壁にもたれかかっていた。


「礼はいい。それより、フェンは無事に逃げたか」


「うん、多分」


あたしの答えに、アルドは、小さく頷いた。


遠くで、セシルとトトの声が聞こえてきた。あたしたちは、合流地点へと急いだ。フェンとヴァレナの姿を見つけた瞬間、あたしは、思わず安堵の息を漏らした。


「みんな、無事?大丈夫?」


あたしの問いに、全員が力強く頷いた。フェンの救出作戦は、こうして、大きな山場を乗り越えたのだった。それでも、ザラ・ヴィントとの戦いは、まだ終わっていない。彼女の最後の言葉が、確かな警告として、あたしの胸に残っていた。


「フェンさんを、家族の元に送り届けよう」


あたしの言葉に、みんなが頷いた。夜の町を、フェンを支えながら歩く道すがら、あたしの胸には、確かな達成感と、これから待ち受けるであろう新たな困難への予感が、同時に渦巻いていた。


フェンの家に着くと、彼の妻は、扉を開けた瞬間、崩れ落ちるように泣き崩れた。


「あなた……本当に、あなたなのね」


「ああ。心配かけた」


フェンの言葉に、妻は、何度も頷きながら、彼を強く抱きしめた。奥の部屋から、幼い子供が、眠そうな目をこすりながら顔を出す。


「父さん」


その声に、フェンの目にも、涙が浮かんだ。あたしたちは、その光景を、静かに見守った。この瞬間のために、あたしたちは、この数日間、力を尽くしてきたのだった。


「本当に、ありがとうございました」


フェンの妻が、あたしたちに向かって、深く頭を下げた。


「あたしたちにできることは、これくらいです。あとは、家族水入らずで」


あたしの言葉に、フェンの妻は、涙ながらに微笑んだ。


懐に入れていた小さな包みを、あたしはフェンに手渡した。


「これ、奥さんから預かってました」


フェンは、少し驚いたような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべた。


「ありがとう。本当に、世話になった」


フェンの言葉を背に、あたしたちは、宿への道を歩き始めた。夜空には、満天の星が輝いていた。この町での戦いは、まだ終わっていない。それでも、確かな一歩を踏み出せたことに、あたしは、静かな充実感を覚えていた。


けれど、フェンを苦しめていたあの荷の行方――貸し手の狙いだけは、まだ謎のままだった。

最後までありがとうございました!


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それでは次回の更新をお楽しみに!

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