(53)夜の潜入
数日間の観察を経て、あたしたちは、ある程度、倉庫の警備パターンを把握できていた。見張りの交代時間、荷馬車の出入りする間隔、そして、裏手にある、比較的警備の手薄な小さな扉の存在。
「今夜、決行しよう」
セシルの提案に、あたしたちは頷いた。これ以上、慎重に様子を窺うだけでは、フェンの安否を確かめることができない。危険は承知の上で、一歩踏み出す時が来ていた。
夜半過ぎ、月明かりを頼りに、あたしたちは倉庫街へと向かった。裏手の小さな扉の前で、セシルが、慣れた手つきで鍵の仕組みを確かめる。
「開けられそう?」
「うん、少し時間はかかるけど」
セシルは、測量士時代に培ったという、細かい道具を使った器用な手つきで、鍵を弄り始めた。逃げることには自信があっても、こういう繊細な作業は、あたしには一生真似できそうにない。しばらくして、小さな金属音とともに、扉が開いた。額に浮かんだ汗を拭いながら、セシルは小さく息を吐いた。
「入ろう。物音を立てないように」
あたしたちは、忍び足で倉庫の中へと足を踏み入れた。中は薄暗く、積み上げられた木箱の間を、慎重に進んでいく。埃っぽい空気と、かすかな油の匂いが、鼻をついた。
「あの木箱、開けてみる?」
トトが、小声で尋ねた。
「中身を確かめたいけど、時間をかけすぎるのは危険」
セシルの判断に従い、あたしたちは、木箱には手をつけず、奥へと進んだ。しばらく進むと、倉庫の奥に、小さな扉があるのを見つけた。その扉の前には、他の場所よりも厳重な鍵がかけられていた。
「ここ、何かある」
ヴァレナが、緊張した様子で呟いた。セシルが、再び鍵と格闘を始める。時間をかけて、ようやく扉が開いた瞬間、あたしたちは息を呑んだ。
小さな部屋の奥、粗末な寝台に、一人の男が横たわっていた。痩せこけた顔、傷だらけの腕。それでも、その体格や年格好は、これまでに聞いていたフェンの人物像と一致していた。
「フェンさん……」
あたしが小声で呼びかけると、男は微かに身じろぎした。
「誰だ」
かすれた声で、男が問いかけてきた。
「あなたの奥さんに頼まれて、探しに来ました」
「妻に……」
男の目に、驚きと、僅かな安堵の色が浮かんだ。
「早くここから出しますから」
あたしがそう言うと、男は、弱々しく首を横に振った。
「駄目だ。ここを出れば、あいつらは、俺の家族に手を出す」
「あいつら、というのは」
「貸し手の手先だ。俺は、荷運びの仕事の途中で、見てはいけないものを見てしまった。それで、ここに閉じ込められてる」
フェンの告白に、あたしたちは顔を見合わせた。ようやく、事の全貌が見えてきた。
「見てはいけないもの、というのは」
セシルが、慎重に尋ねた。
「詳しくは言えない。だが、あの木箱の中身、ただの商品じゃない」
フェンが言いかけたその時、遠くから、足音が近づいてくるのが聞こえた。
「誰か来る」
ヴァレナが、緊張した声で告げた。
「隠れて」
セシルの指示に従い、あたしたちは、素早く物陰に身を潜めた。足音は、扉の前で止まった。
「妙だな。鍵が開いてる」
低い声が、そう呟いた。あたしは、息を殺しながら、その声の主を見つめた。暗がりの中に浮かび上がったのは、これまで見たことのない、鋭い眼光を持つ女だった。腰には、見慣れない形の武器を提げている。
その気配だけで、あたしは、これまでに感じたことのない、確かな緊張を覚えた。まだ見ぬ敵の存在が、いよいよ、はっきりとした輪郭を持ち始めていた。
女は、部屋の中をゆっくりと見渡した。その視線が、あたしたちの隠れている物陰の近くを、一瞬だけ掠める。心臓が、大きく跳ねた。
「気のせいか」
女は、そう呟くと、フェンの寝台に近づいた。
「まだ生きてるか、役立たず」
女の声には、冷たい侮蔑が滲んでいた。フェンは、何も答えず、ただ苦しげに顔を歪めるだけだった。
「上の指示だ。お前の処遇、そろそろ決まるらしいぞ」
その言葉に、フェンの体が、僅かに強張るのが見えた。あたしは、思わず拳を握りしめた。今すぐにでも飛び出して、フェンを助けたい衝動に駆られる。それでも、この状況で無闇に動けば、フェンをさらに危険な目に遭わせるだけだと、頭の隅で理性が囁いていた。
女は、しばらくフェンの様子を観察してから、踵を返した。
「せいぜい、大人しくしてることだな」
そう言い残し、女は部屋を出ていった。扉が閉まる音が響き、足音が遠ざかっていく。しばらくの静寂のあと、あたしたちは、ようやく息を吐いた。
「今の女、何者」
ヴァレナが、緊張した声で呟いた。
「分からない。でも、ただ者じゃない気配だった」
セシルの答えに、あたしは頷いた。あの冷たい眼光と、隙のない身のこなし。これまで出会ってきたどんな相手とも違う、確かな脅威を感じさせる人物だった。
「フェンさん、大丈夫ですか」
あたしが小声で尋ねると、フェンは弱々しく頷いた。
「ああ……お前たちも、早く逃げろ。あの女に見つかったら、無事じゃ済まない」
「あなたを置いていくわけにはいきません」
あたしがきっぱりと答えると、フェンは、少し驚いたような顔をした。
「なぜ、そこまで」
「あなたの奥さんと子供が、待ってます。それに、放っておけない」
あたしの言葉に、フェンは、しばらく黙り込んでいた。
「今夜は、一旦引き上げよう。次は、もっと確実な計画を立てて、必ず助け出す」
セシルの提案に、あたしたちは頷いた。フェンに、必ず戻ってくることを約束し、あたしたちは、来た道を慎重に引き返した。
夜の闇に紛れて倉庫街を後にする間、あたしの胸には、確かな決意と、あの女への警戒心が、同時に渦巻いていた。
宿に戻ると、あたしたちは、遅くまで、今後の作戦について話し合った。
「あの女、フェンさんを見張ってる立場みたいだった」
セシルが、手帳に今夜の出来事を書き込みながら言った。
「上の指示、って言ってたよね。ってことは、貸し手の直属の部下、ってこと?」
トトの疑問に、セシルは考え込んだ。
「可能性は高い。あれだけの気配を纏える人間が、末端の見張り役ってことは考えにくい」
セシルの分析に、あたしたちは頷いた。
「フェンさんの処遇が、そろそろ決まる、とも言ってた。あまり時間がない」
あたしが呟くと、みんなの表情が引き締まった。
「次の潜入は、もっと大人数で、確実な計画を立てて行う必要がある」
セシルの言葉に、あたしは頷いた。
「アルドさんに、協力を頼めないかな」
ふと思いついて口にすると、みんなが顔を見合わせた。
「あの人、味方かどうか、まだ分からないけど」
ヴァレナの懸念に、あたしは頷いた。
「でも、結界の弱点について、一番詳しいのはあの人。頼ってみる価値はあると思う」
あたしの提案に、セシルが頷いた。
「明日、もう一度、アルドさんに会いに行こう。今度は、もっと踏み込んだ話をしてみる」
セシルの言葉に、あたしたちは頷いた。夜が更けていく中、フェンを救い出すための作戦が、少しずつ、確かな形を取り始めていた。
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