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チキンナイフと呼ばれた少女 ~逃げて逃れて世界最強~  作者: 荒瀬 維人
5章 王都の裏側

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(43)トトの決意

山道の三日目、あたしたちは険しい峠道を進んでいた。標高が上がるにつれ、空気は薄く冷たくなり、木々の種類も少しずつ変わっていく。針葉樹の緑が、周囲の景色を深く染めていた。吐く息が、時折白く色づくほどの寒さになっていた。


「もうすぐ、峠の頂上に着く」


セシルが、地図と実際の景色を見比べながら言った。彼女の言葉通り、しばらく進むと、視界が急に開けた。眼下には、これまで通ってきた平野が広がり、遠くには王都の輪郭らしきものが、うっすらと霞んで見えた。


「すごい……こんなに遠くまで来たんだ」


トトが、景色に見とれながら呟いた。あたしも同じように、これまでの道のりの長さを、改めて実感していた。


峠を越えると、道は緩やかな下り坂になった。馬車の揺れも、幾分か穏やかになる。休憩を兼ねて、あたしたちは荷台の中で、これからのことを話し合った。


「トト、あんた、最近ずっと様子が違う」


セシルが、ふと切り出した。あたしも、内心で同じことを感じていた。トトは、旅を重ねるごとに、確かに変わっていた。以前の怯えた表情は、今ではほとんど見られない。


「そう、かな」


トトは、少し照れくさそうに、荷物の紐をいじった。


「王都に着いた頃から、特に。何かあった?」


ヴァレナの問いに、トトはしばらく黙っていたけれど、やがて、ぽつりぽつりと話し始めた。


「あの日、あたしを見捨てなかったこと。ずっと、不思議だったんだ」


「見捨てるわけないでしょ」


「うん。でも、最初は信じられなかった。誰かが、理由もなく自分を守ってくれるなんて」


トトの声には、これまであまり聞いたことのない、静かな決意が宿っていた。


「でも、今は違う。みんなが、あたしを大事にしてくれてるって、ちゃんと分かる。だから、あたしも、みんなの役に立ちたい」


その言葉に、あたしたちは思わず顔を見合わせた。トトが自分の意志で、こんなにはっきりと気持ちを口にするのは、珍しいことだった。普段は控えめな彼だからこそ、その言葉の重みが、いっそう強く胸に響いた。あたしなんて、似たような決意表明の一つも、台詞帳に用意した試しがない。少し反省した。


「役に立つって、具体的には」


セシルが、優しく尋ねた。


「戦えるようになりたい。今のままじゃ、いざという時、みんなの足を引っ張るだけ」


トトの言葉に、あたしは少し驚いた。彼はこれまで、戦闘には極力関わらず、後方で荷物の管理や炊事を担当することが多かった。それが彼の役割だと、あたしたちも自然と受け入れていた部分があった。


「戦うのは、危ないよ。無理しなくていい」


「無理じゃない。ちゃんと考えた上での話」


トトは、まっすぐにあたしを見つめた。その目には、以前の怯えた光ではなく、確かな覚悟が宿っていた。


しばらくの沈黙のあと、ヴァレナが口を開いた。


「本気で言ってる?」


「本気。ずっと考えてた」


トトの声には、迷いがなかった。ヴァレナは、その表情をしばらくじっと見つめてから、小さく息を吐いた。


「分かった。じゃあ、少しずつ、簡単な技から教えていこう」


ヴァレナが、思いのほかあっさりと頷いた。


「本当に?」


「本気なら、応援する。ただし、無茶はさせない。あたしが責任持って教える」


ヴァレナの言葉に、トトは嬉しそうに顔を輝かせた。


「明日から、少しずつでいいから、体を動かす練習を始めよう。無理はしないこと」


「うん、頑張る」


トトの返事には、これまでにない張りがあった。あたしは、その変化を、静かに、けれど確かな喜びとともに見つめていた。


「ありがとう、ヴァレナ」


「礼はいらない。仲間のことだから」


その素っ気ない言い方の裏に、確かな優しさが滲んでいるのを、あたしは感じ取った。


「セシルは、どう思う」


あたしが尋ねると、セシルは手帳に何かを書き込みながら答えた。


「反対はしない。ただし、無理な鍛錬で怪我をされたら困る。計画的に進めるべき」


いつも通りの、数字と論理に基づいた意見だったけれど、その根底には、トトを心配する気持ちが確かにあった。数字の裏に隠れた優しさこそ、セシルらしい思いやりの形だった。


「みんな、ありがとう」


トトの声が、少し震えていた。あたしは、その肩に軽く手を置いた。


「あんたの気持ち、しっかり受け取った。一緒に頑張ろう」


トトは、涙をこらえるように何度も瞬きをしてから、しっかりと頷いた。


馬車は、緩やかな下り坂を進み続けた。日が傾き始める頃、遠くに、次の中継地らしき建物の灯りが見えてきた。旅の疲れは確かにあったけれど、それ以上に、また一つ、仲間との絆が深まったという実感が、あたしの胸を満たしていた。


「今夜の宿、もうすぐだね」


「うん。あと少し、頑張ろう」


トトの声には、これまでにない張りがあった。


夕食の後、さっそくヴァレナが、トトに簡単な体さばきの基礎を教え始めた。剣を振るうというより、まずは体の重心の移し方や、相手の動きを見極める目を養うことから始めるという。


「まずは、足の運び方から。剣は、その後」


「うん、分かった」


ヴァレナの説明は簡潔だったが、要点を押さえていて、無駄がなかった。実戦を数多くくぐり抜けてきた彼女ならではの、的確な指導だった。


トトは、真剣な表情で、ヴァレナの動きを一つ一つ真似ていった。ぎこちない足取りではあったけれど、その眼差しには、確かな意志が宿っていた。何度もつまずきながらも、決して諦めようとしなかった。


「筋がいい。飲み込みが早い」


ヴァレナの短い褒め言葉に、トトの顔がぱっと明るくなった。あたしとセシルは、少し離れた場所から、その様子を見守っていた。焚き火の明かりに照らされた二人の姿は、師弟のように様になっていた。


「ああして見ると、トトも随分、逞しくなったね」


「うん。出会った頃は、想像もできなかった」


セシルの言葉に、あたしは頷いた。出会ったばかりの頃、トトはあたしたちの後ろに隠れるようにして、目を合わせることさえ、ほとんどなかった。今、目の前で汗を流しながら真剣に体を動かしている姿は、あの頃とはまるで別人のようだった。


「あんたも、あの子の成長、嬉しそうだね」


セシルの言葉に、あたしは素直に頷いた。


「うん。すごく嬉しい」


夕暮れの光に照らされた峠道の合間で、小さな訓練の光景が、いつまでも続いていた。長い旅の中で、また一つ、確かな成長の芽が育ち始めていた。

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